「何が何でも盗塁しろ」。監督からそう厳命された3人の選手たちは、来る日も来る日も死にもの狂いで塁間を駆け抜けた。三者三様の個性でファンから愛され、球史に名を刻んだ俊足トリオの誕生秘話。
みんなワクワクした
昨シーズン、セ・リーグのチーム盗塁数1位は阪神の100。パ・リーグは西武の134。これは一軍で試合に出場した全選手の合計だが、かつて1、2、3番の3人だけでこれを上回る数の盗塁を決めた男たちがいた。
それは1985年、大洋ホエールズの高木豊(61歳)、加藤博一('08年・56歳没)、屋鋪要(60歳)だ。「スーパーカートリオ」と呼ばれた彼らはこの年、高木が42個、加藤が48個、屋鋪は58個の盗塁を決め、3人の合計は実に148個になる。
相手ピッチャーが脚を上げた瞬間にすかさずスタートを切り、次の塁を果敢に陥れる。塁間を引っ掻き回す3人の姿に、本拠地の横浜スタジアムは歓喜に包まれた。
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大洋、横浜ファンの作家・村瀬秀信氏が言う。
「当時、セ・リーグは役者の揃ったチームが多かった。巨人はクロマティ、原辰徳、中畑清。阪神はバース、掛布雅之、岡田彰布。彼らに対して、大洋はいまいちチームの軸が見えなかった。そこに突如として現れたのがスーパーカートリオでした。
天才肌のアベレージヒッター・高木に、小技の利いたエンターテイナー・加藤、そして身体能力では誰にも負けない野生児のアスリート、屋鋪。3人ともキャラクターが立っていて、球場に行くたびにワクワクしました」
果たして、この空前絶後の記録を残したトリオは、いかにして結成されたのか—。
きっかけは'85年、故・近藤貞雄が監督に就任したことだった。前年最下位の大洋を率いるにあたり、近藤はチームの「売り物」を探していた。
高木が回想する。