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ロシアのウクライナ侵攻で、脱炭素を加速するドイツ 熊谷徹のヨーロッパSDGリポート【2】

ロシアのウクライナ侵攻で、脱炭素を加速するドイツ 熊谷徹のヨーロッパSDGリポート【2】
Getty Images
在独ジャーナリスト/熊谷徹

熊谷徹さん
熊谷徹(くまがい・とおる)
1959年東京都生まれ。1982年、早稲田大学政治経済学部卒業後、NHKに入局。ワシントン支局勤務中にベルリンの壁崩壊、米ソ首脳会談などを取材。1990年からドイツ・ミュンヘンを拠点にジャーナリストとして活動。著書に『ドイツの憂鬱』『新生ドイツの挑戦』『ドイツ病に学べ』『なぜメルケルは「転向」したのか』『ドイツ中興の祖 ゲアハルト・シュレーダー』『ドイツ人はなぜ、年収アップと環境対策を両立できるのか』など。

ロシアのウクライナ侵攻は、ドイツのエネルギー政策に大きな影響を与えた。欧州諸国は、この戦争をきっかけにエネルギー自給率を高めるために、再エネ拡大を加速する。

石炭火力再稼働は、緊急避難

日本の一部のメディアでは、ときおり「ロシアのウクライナ侵攻後、ドイツは脱石炭政策を撤回した」という論調が見られる。これは、中長期的には正確な見方ではない。

確かにドイツ政府は法律を改正し、廃止が予定されていた石炭火力発電設備や褐炭火力発電設備の期限付き再稼働を許した。このため2022年のドイツの温室効果ガス(GHG)排出量は、2021年に比べて3.2%増えてしまった。

だがこの政策変更は、2022~2023年の冬の電力不足を避けるための、一時的な緊急避難措置だ。再稼働した石炭火力発電設備や褐炭火力発電設備も、来年3月31日には廃止される。

ロシアのウクライナ侵攻後、ドイツ政府は天然ガスの調達先を多角化するために、3カ所で液化天然ガス(LNG)の陸揚げターミナルの建設を始めた(2026年完成予定)。さらに過渡的手段として、浮体式LNG貯蔵再ガス化設備(FSRU)を接岸し、LNGの輸入を始めた。ただしLNGの陸揚げターミナルは、将来グリーン・アンモニアなど持続可能な気体の輸入に使われる予定だ。また現在使われている天然ガス火力発電所は、将来燃料をグリーン水素(再エネ電力によって水を電気分解して製造される水素)に切り替える。

長い目で見れば、ドイツ人たちの脱炭素の方針はぶれていない。ドイツ政府は、「前のメルケル政権が決めた脱石炭・脱褐炭の時期を8年前倒しして、2030年に実現する」という計画、さらに「2045年までにカーボンニュートラルを達成する」という目標を維持している。去年10月にドイツ政府は大手電力会社RWEとの間で、旧西ドイツの褐炭火力発電所の廃止を、2038年から8年早めることで合意した。政府は今年、旧東ドイツの褐炭火力発電所についても廃止時期の前倒しへ向けて地域電力会社LEAGなどと交渉する。

ドイツの2022年の発電量の中で、石炭・褐炭火力発電所からの電力は31.4%を占めていた。同国は石炭・褐炭を代替するために、再エネ拡大に拍車をかける。

ドイツの電力消費量に再エネ電力が占める比率

ドイツの電力消費量に再エネ電力が占める比率
出所:AGEB(エネルギー収支作業部会)

再エネ拡大を加速するドイツ政府

ロシアのウクライナ侵攻後の去年4月に、ドイツ連邦経済気候保護省のロベルト・ハーベック大臣(緑の党)は、「2035年には、電力消費量のほぼ100%を再エネでカバーする。そのために、2022年から2030年までの再エネ発電設備容量の増加幅を、過去10年間の増加幅の3倍以上に引き上げる」という新しい方針を打ち出した。ドイツの再エネ発電設備の容量は、2012年から2022年までに6860万キロワット(kW)増えた。ハーベック大臣は、2022年から2030年までに再エネ発電設備の容量を2億2600万kW増やすことを目指している。極めて野心的な計画だ。

ドイツ政府は、太陽光発電設備の容量を、2021年の5873万kWから、2030年には2億1500万kWに増やすと発表した。具体的には、新築される公共の建物の屋上に太陽光発電設備の設置を義務付けたり、今年から太陽光によって発電された電力の買い取り価格を引き上げたりすることによって、設置を促進する。

また連邦政府は、今年2月1日から、州政府に対して、州面積に陸上風力発電設備の建設用地が占める比率の目標達成を義務付けた。たとえばバイエルン州は、2026年までに州面積の1.1%、2032年までに州面積の1.8%を陸上風力発電設備の建設用地に指定しなくてはならない。こうした施策によって、ドイツ政府は、陸上風力発電設備の容量を、2021年の5609万kWから、2030年には1億1500万kWに増やすことを目指している。

エネルギー転換に投じる資金も大幅に増やす。ドイツ連邦政府は、ロシアのウクライナ侵攻後の去年3月6日、「2026年までにエネルギー転換に投じる基金の予算規模を、これまで予定していた1100億ユーロ(15兆4000億円・1ユーロ=140円換算)から、2000億ユーロ(28兆円)に増やす」と発表した。気候保護・エネルギー転換基金(KTF)と呼ばれるこの基金は、再エネ発電事業者に対する助成や、鉄鋼業や化学業界の脱炭素化のための資金などを拠出する。

外国からの化石燃料への依存の危険性

ドイツが再エネ拡大を急ぐ理由は、長年続けてきたロシア依存の危険性に目覚めたからだ。国際エネルギー機関によると、ドイツは2021年に輸入した天然ガスのうち、60.3%をロシアに依存していた。その理由は、ロシアからのパイプラインで送られるガスの価格は、日本などが買っていた液化天然ガス(LNG)のほぼ半分だったからだ。ソ連は1970~1980年代の東西冷戦の時代にも、ガスを契約通り西欧に送り続けた。このため、ドイツなど西欧諸国は「ロシアがガスを政治的な武器として使うことはあり得ない」という誤った先入観を抱いた。

ドイツは、ロシアから割安のエネルギーを輸入し、高級車や工作機械など付加価値の高い製品を輸出して、国富と雇用を増やしてきた。だがロシアのウクライナ侵攻によって、このビジネスモデルは破綻(はたん)した。

去年8月31日以降は、ロシアがドイツなど西欧諸国へのガス供給を止めたため、ガスの卸売価格(ダッチTTF)が一時1メガワット時あたり300ユーロを超えるという異常事態が起きた。これは2021年8月に比べて約6倍の価格だ。このためガスや電力の小売価格も高騰し、企業や市民に強い不安感を与えた。去年10月には、ドイツの一部の電力会社・ガス会社が、「電力・ガスの小売料金を2023年1月1日から、約2倍に引き上げる」と消費者に通告した。

ドイツは欧州連合(EU)でロシアからのガス輸入量が最も多かった。ドイツのガス消費量の約37%は、化学メーカーや鉄鋼メーカーなど、製造業界が使っていた。ガスの需給が逼迫(ひっぱく)した場合、ドイツ政府は消費量が多い約4万社の企業のガス供給量を制限することを準備していた。その場合、一部の企業が生産縮小・中止や倒産に追い込まれる危険もあった。ドイツ政府は去年の秋、「2023年2月1日の時点で、ドイツのガス貯蔵設備の充塡(じゅうてん)率が40%よりも低くなった場合には、ガス緊急事態を発令してガスの配給制を導入する」と警告していた。

しかし今年2月7日の時点では、貯蔵設備のガス充塡率は75.4%と、真冬としては、非常に高い水準にある。これは去年企業と市民がガス消費量を例年に比べて減らしたことや、去年12月の温暖な気候により、暖房のためのガス消費量が少なかったこと、ノルウェー、オランダなどがドイツへ着実にガスを送り続けたためである。

このためドイツ連邦系統規制庁のクラウス・ミュラー長官は、「この冬にはガス危機を回避できる公算が大きい」と発言した。しかし今年の冬にガス不足を回避できても、将来も外国からの化石燃料に依存し続けることは、ドイツ経済の屋台骨である製造業を揺るがす危険がある。

再エネ拡大が経済安全保障の柱に

ドイツがこれまで再エネを拡大してきた主な動機は、GHGを減らし地球温暖化の進行に歯止めをかけること、つまり持続可能性だった。これに対して、ロシアのウクライナ侵攻以降は、「再エネ拡大によってエネルギー自給率を高める」という経済安全保障の観点が加わった。ドイツ人たちは、外国からの化石燃料への過度の依存が、自国産業を脅かすことを学んだ。

このように考えているのはドイツだけではない。EUもエネルギー部門のグリーン化へ向けて、アクセルを踏む。欧州委員会のウルズラ・フォンデアライエン委員長は去年5月18日、ロシアの化石燃料への依存を終えるために、2030年までに、再エネ拡大などの非炭素化プロジェクトに3000億ユーロ(42兆円)を投資する方針を明らかにした。フォンデアライエン委員長は、「他国へのガス供給を一方的に減らす国は、もはやエネルギー供給国として信用できない」と断言している。

ロシアにとってエネルギーは最も重要な外貨収入源だった。ウラジーミル・プーチン大統領は、ウクライナ侵略戦争を始めたことによって、中長期的に化石燃料からの収入を減らし、欧州の脱炭素の後押し役を果たす。この戦争は、欧州のエネルギーの歴史の中でも、一つの分水嶺(ぶんすいれい)として記憶されることになるだろう。

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