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ラフォーレ原宿30周年 若手育て独自文化を発信

2008年9月2日

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写真ラフォーレ原宿30周年で開かれたロリータファッションのショー(24日)=東京都渋谷区神宮前、品田裕美撮影

写真にぎわうラフォーレ原宿の周辺=品田裕美撮影

写真セントラルアパートの掲示板。デザイナーやスタイリスト募集のチラシであふれる(75年ごろ)

写真今年2月にあった外国人対象の原宿ツアー=原宿神宮前商店会提供

地図

 東京・神宮前のファッションビル、ラフォーレ原宿で、開業30周年を祝うイベントが22日に始まった。若手ブランドの育成に力を入れ、独自のファッションを発信してきた。現在では世界が注目する「HARAJUKU」のシンボル的存在だ。その軌跡をたどった。(西岡一正)

 開業は78年10月。当初は他のショッピングセンターと同じく専門店が並ぶ構成だったが、80年に方針を転換。原宿周辺の若手デザイナーブランドを積極的に呼び込んだ。

 ベテランスタイリストの高橋靖子さんは振り返る。

 「60年代半ばから(表参道と明治通りの交差点にあった)セントラルアパートに広告や写真などのクリエーターが集まり、日本初のブティックといわれる店も誕生した。新しい時代をつくろうとする風の中で、70年代には、マンションの一室で服づくりをする『マンションメーカー』が原宿やその近隣に急増した」

 そこから出発したブランドが若い世代の注目を集め、ラフォーレ原宿は80年代のDCブランドブームを先導した。

 82年には多目的ホール、ラフォーレミュージアム原宿をビル内に創設。現代アートやパフォーマンスから文楽やアジアの舞踊まで、多彩な企画で文化の発信拠点として注目された。

 アートにも力を入れるファッション誌「装苑」の佐々木恵子前編集長は、「ファッションに限らず、若いクリエーターを支援する場所を提供している点に共感を覚える」と話す。

 「常に新しい仕掛けを続けるラフォーレ原宿が『ファッションの街・原宿』発展の原動力になった」と、60年代から原宿を拠点にするアパレルメーカー、ジムの八木原保社長は評価する。その好例が、ラフォーレ原宿から明治通りを渡った、「裏原」と呼ばれるエリア。90年代に若い世代を中心にしたストリートファッションが台頭し、パリ・コレクションに進出したアンダーカバーなどの新しいブランドが登場した。

 そのころから、裏原も含めたHARAJUKUが海外から注目され、観光客も集まるようになった。裏原エリアの商店会会長を務める八木原さんは昨年、外国人を対象にした「原宿ツアー」を始めた。今年は他の3商店会とも協力して2月に実施。英・中・韓の3カ国語の通訳で案内するツアーに、11回で100人を超す参加があった。

 ラフォーレ原宿も昨年から、パリで開かれる日本のサブカルチャーの祭典「ジャパンエキスポ」に参加。ロリータ、ゴシック、パンクといった要素が混交したストリートスタイルのショーで、東京ファッションを発信している。

 ラフォーレ原宿の館長、山本英躬子(えみこ)さんは「原宿の街の人と一緒に、人が集まる街を作ってきた。今後も、文化を含めた発信と若手の育成を続けていきたい」と話している。

 ◇30周年を記念して、ファッション誌10誌が日替わりで主催し、ラフォーレ原宿内のブランドが参加するショーを31日まで開催中。問い合わせ先は電話03・3475・0411。

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