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社会

兵庫に4駅集中なぜ?幻の「夜行新幹線」計画 

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夜行新幹線の待避線として造られたJR姫路駅13番線=姫路市駅前町

夜行新幹線の待避線として造られたJR姫路駅13番線=姫路市駅前町

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夜行新幹線の車内デザイン案。シートの色なども決まっていた(鉄道総合技術研究所提供)

夜行新幹線の車内デザイン案。シートの色なども決まっていた(鉄道総合技術研究所提供)

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 山陽新幹線の新大阪‐岡山間が開業して15日、40周年を迎えた。兵庫県内には新神戸、西明石、姫路、相生の4駅が設けられたが、平均駅間距離は約21キロしかなく、先に開業した東海道新幹線の約43キロ(当時)の半分にも満たない。集中的に駅が並ぶ背景を探っていくと、幻に終わった「夜行新幹線計画」にたどり着く。(小川 晶)

 JR姫路駅の新幹線ホームに立つと、東京方面と博多方面で乗り場の数が違うことに気付く。東京方面は11番線だけだが、博多方面は12、13番線と二つある。

 大半の列車は12番線に発着し、13番線を使用するのは早朝、深夜の3本のみ。1972年3月の開業に合わせて国鉄が発行した工事誌には、13番線について「夜行列車の待避線として設備された」と記されている。

 夜行新幹線計画は、新大阪‐岡山間の開通を前に国鉄が検討を開始。66年の「山陽新幹線技術基準調査委員会報告」では、東京‐博多間を一晩で計24本を運行するダイヤ案、片道平均5千〜7千人台という利用見込みなど具体的なデータがそろう。交通科学博物館(大阪市)の楠原一輝学芸員は「人や物の流れが活発だった高度経済成長期らしい発想だ」と話す。

 計画では、新大阪‐岡山間は保線作業などの関係で、博多、東京方面のいずれかの線路を使う単線運転を想定。この区間は東京と博多の中間に位置するため、一方が通るのをやり過ごす待避場所として「4〜5ケ所」(山陽新幹線新大阪岡山間建設工事誌)の駅が必要となり、兵庫県内に集中的に設置される一因となったらしい。

 計画の前提だった東京‐博多間は75年3月に全線開通。しかし、鉄道ジャーナリストの梅原淳さん(46)は「計画は70年代半ばには難しくなっていた」と指摘する。新幹線の設備にトラブルが続発し、国鉄は改善に追われる一方、ストライキや相次ぐ値上げによる客離れなどが進んだためだ。

 新幹線の騒音も社会問題化。75年7月、環境庁(当時)が午前6時〜深夜0時という運行時間を前提とした環境基準を定めたため、計画は事実上、不可能となる。

 80年ごろ、午前0〜6時は新大阪‐岡山間で停車させ、時間待ちする代替案も出たが、梅原さんは「国鉄改革が叫ばれる中でのアドバルーン的な要素が強い」とする。

 87年の国鉄民営化で計画は姿を消した。その後、新幹線は各地に路線を広げたが、現在、夜行新幹線の具体的な計画はないという。

(2012/03/15 15:30)

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