第1回わっかフェスは2023年3月9日に終了しました。ご来場・ご視聴くださり、誠にありがとうございました。

未来を担う若者たちやゲストアーティストとともに、地域と伝統芸能の魅力を発信する「わっかフェス」。3月に秋田市で開催されるこの催しで、郷土芸能「なまはげ太鼓」を披露する岩澤将志さんと古仲栄文さんに、なまはげという存在が意味するものや和太鼓の魅力、わっかフェスに期待するものを聞いた。

音も見た目もただ怖かったなまはげ太鼓

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Akita和太鼓パフォーマンスユニット音打屋-OTODAYA- の岩澤将志さん(右)、古仲栄文さん(左)。

鬼に似た異形の面を着け、自然そのもののように荒々しいなまはげたちが、一心不乱に大きな太鼓を打ち鳴らす。大きく腕を振り上げ、時に聴衆をまっすぐにらみつけながら、地鳴りのような音の塊を激しく叩きつける。初めて目にした小学校低学年の時、その強烈な姿が怖くて仕方がなかったと語るのは、Akita和太鼓パフォーマンスユニット音打屋-OTODAYA-を率いる岩澤将志さんだ。

「男鹿の子どもにとって、なまはげは絶対的な恐怖の存在ですから(笑)。体の奥まで響くような和太鼓の音も怖かったし、見た目も音もとにかく嫌だった。ひたすら早く終わってくれということだけ願っていたのを覚えています」

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秋田県の男鹿半島一帯に伝わる「なまはげ行事」は、1978年に国の重要民俗無形文化財、2018年にはユネスコの無形文化遺産に指定されている。そこに和太鼓の演奏を組み合わせた「なまはげ太鼓」は、伝統の継承と地域振興のため、地元の人たちの手で昭和の終わり頃に生まれた古くて新しい郷土芸能だ。

音打屋メンバーで岩澤さんより6歳下の古仲栄文さんは、岩澤さんと同じ地域に育ち、同じ小学校の太鼓クラブで和太鼓の面白さに目覚めた。2017年からは九州を拠点とする和太鼓演奏グループ「DRUM TAO」に参加したのち、現在は男鹿を拠点に、フリーのなまはげ太鼓奏者として、音打屋をはじめとしたさまざまな団体で精力的に活動を行っている。県内外のイベントを中心に、コロナ禍以前は海外まで出かけて演奏活動を続けてきた。

「特に海外では、僕たちのような日本文化を強く感じるものは熱狂的に歓迎されるんです。聴衆と演奏者との間に生まれるあの熱が好きで今日まで和太鼓を続けてきましたが、ただあれほど怖かったなまはげ太鼓を今は自分が演じていると思うと不思議な気がします(笑)」

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子どもたちに道理を教える神のごとき存在

なまはげは、一般には鬼のような赤と青の面を着けた2体1対の姿で知られるが、男鹿では集落ごとに面の色やかたちが違うという。おおよそ共通しているのは、ケデと呼ばれる藁で編んだ装束を着け、出刃包丁と神性の証しである御幣(ごへい)を手にしていることだ。
※しめなわなどと同じような紙垂(しで)を先端につけた杖

神の使い、または神そのものと考えられ、大晦日に行われる「なまはげ行事」では、家々をまわって五穀豊穣や無病息災を祈る。大人たちはなまはげを丁寧に迎え入れ酒や料理でもてなすが、小さな子どもたちにはそんな意味合いがわかるはずもない。

「近所まで来ると、犬が騒ぐからわかるんです(笑)。ああ来た、去年はここに隠れて見つかったから今年はどうしよう、って。本気で逃げてましたね。大晦日は1年で一番憂うつな日でした」(岩澤)

岩澤さんによると、なまはげは子どもたちがどんなに隠していても、お手伝いをしない、夜ふかしをする、学校の決まりを守らないといった日頃のよくない行いを知っていて「お父さん、お母さんを困らせているだろう」と叱るという。実際は、なまはげに扮しているのが同じ集落の大人たちで、子どもやその家族と顔なじみだから当然なのだが、子どもにとっては神の千里眼のごとく思えることだろう。

「最近は、学校の先生も近所の人も、子どもをなかなか叱れないような空気があると感じています。そもそも親自身でも、いいこと悪いことをきちんと子どもに伝えられないケースもある。なまはげは、いいことはいい、悪いことは悪い、もしもお前が悪いことをするならそれは自分に返ってくるんだぞという、当たり前の道理を教えてくれる存在なんです」(岩澤)

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怠け者はいねがー。悪い子はいねがー。なまはげ行事で有名なこの言葉の通り、怠け心を抑え、自分を律し、家族は互いに支え合うようにと諭してまわるのがなまはげだという。そうすることで次の年も豊かな実りがもたらされ、家族が仲よく幸福に暮らすことができる。

記録に残るなまはげについての最も古い記述は、1810年の紀行文だという。江戸時代、自然の厳しいこの地で農業をなりわいとする人たちが少しでも安定した暮らしを送るためには、誰かが怠けたり和を乱したりすることなく、互いに助け合っていかねばならなかったはずだ。なまはげは、雪国の人たちの生きる知恵が生み出したものなのかもしれない。

「演じる」のでなく、なまはげに「なりきる」

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昨年4月の総務省の発表によると、秋田県の出生率は27年連続で全国最低となり、人口減少率は9年連続で全国1位となった。岩澤さんと古仲さんは、そう遠くない将来になまはげ行事が消えていくかもしれないという危機感を口にする。

「ただ、なまはげ太鼓についていえば、いい兆しもあるんです。現在なまはげ太鼓を演じるグループは僕らの他にもたくさんあって、若い人や男鹿の外から休日だけ練習に来るというような人たちも増えてきました」(岩澤)

「小中学校に太鼓の指導に行った時など、なまはげがかっこいい、自分も太鼓をやってみたいといってくれる子どもがいます。なまはげは本来おそろしいものじゃなければいけないので少々複雑ですが(笑)、そういう声は素直にうれしくもあります」(古仲)

音打屋は、なまはげ太鼓のためだけのグループではなく、レパートリーの中にはラテン的なリズムに乗って岩澤さんが吹く篠笛のメロディを聴かせる曲や、アフリカのポリリズムのような複雑なリズムのアンサンブルを奏でる曲もある。しかし現在は、なまはげ太鼓の魅力を伝え、次世代の担い手につないでいくことも自分たちの重要な役割と考えている。

「もちろん演奏者としては和太鼓を聴いて欲しいし、音だけで感動させたいという思いもあります。でもなまはげ太鼓では自分がしっかり『なまはげになりきる』ことを何より大切にしています」(古仲)

「みなさんにとっては、『なまはげの衣装を着た人』に見えると思いますが、演じている僕らの意識としては、完全になまはげという存在になっているんです。特段意識しなくても、まわしを締めて面を着けると自然にスイッチが入るというか。ステージでは、なまはげそのものとして動き、演奏する僕らの姿を見てほしいです」(岩澤)

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未来へと伝えることが上の世代への恩返し

2月、わっかフェスのステージで共演予定の東京の大学生4人が、岩澤さんと古仲さんのもとを訪れた。和楽器演奏サークルに所属し和太鼓の経験もあるという彼らだったが、プロのお二人はまずバチの持ち方や腕の上げ下ろしから丁寧に解説。そのまま共演曲「真山おろし」のさわりまでを一気に教わった3時間はかなりハードだったはずだが、学生たちは「難しいけど楽しい」「帰ったら他の部員にも今日教わったことを伝えたい」と充実した表情を見せていた。

10日後に2度目の対面を果たした際には、前回とは明らかにフォームが変わり出音もしっかりとしてきた彼らの姿に岩澤さんたちは何度もうなずき、音の強弱のつけ方やなまはげとしての動きのコツなど、細かなポイントについて時間いっぱいまで指導を続けた。

「曲もよく覚えているし、東京に帰ってから練習を続けてくれたことがはっきりとわかるほど上達しているのがうれしいですね。本番までの短い時間では、なまはげという存在がどういうものかを本当に理解するところまでは難しいと思いますが、太鼓の演奏についてはまだまだ上達できるはずなので期待しています」(岩澤)

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彼らとともに上がる3月のステージでは、初めてなまはげ太鼓を目の当たりにする聴衆も少なくないはずだ。そこでお二人はどんなパフォーマンスを披露してくれるのだろう。

「なまはげの荒々しさと、体に響く和太鼓の音の魅力を伝えられたらと思っています。できればただ『面白かったね』で終わらずに、そこから男鹿に興味を持ったり、実際に来て下さったりという方が1人でもいればうれしいです」(古仲)

「自分がなまはげ太鼓に関わるようになってから、大人たちがなまはげを通して教えてくれたことが何だったのか、ようやくわかった気がするんです。今はそれを少しでも返したい。僕らが受け取ったものを次の世代に伝えていくことが、本当の意味での恩返しだと思っています」(岩澤) 

岩澤さんは今も欠かさず大晦日のなまはげ行事に参加し、そこで自分の身に宿ったものをステージの上で解放している感覚があると語ってくれた。岩澤さんや古仲さんという個人ではなく、「なまはげ」が伝えるメッセージを、わっかフェスではぜひ感じとってほしい。

※第1回わっかフェスは2023年3月9日に終了しました。ご来場・ご視聴くださり、誠にありがとうございました。

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