引退した大相撲の第72代横綱の稀勢の里(32)=本名萩原寛、茨城県出身、田子ノ浦部屋=が16日、東京都墨田区の両国国技館内で記者会見し「横綱として皆さまの期待に沿えないというのは非常に悔いが残りますが、私の土俵人生において、一片の悔いもございません」と、時折涙を流しながら心境を語った。
日本相撲協会理事会で引退と年寄「荒磯」の襲名が承認され、今後は田子ノ浦部屋付きの親方として後進を指導する。
進退の懸かった初場所で初日から3連敗して決断。「もうやり切ったという気持ちが最初に出ました」と説明した。思い出の一番に、初優勝した2017年1月の初場所で千秋楽に横綱白鵬を破った取組を挙げた。場所後に日本出身として19年ぶりに横綱へ昇進した。
15歳の2002年春場所で初土俵。貴乃花に次いで史上2番目に若い18歳3カ月で新入幕を果たすなど期待を集めた。
しかし、新横綱で優勝した17年3月の春場所で左上腕や左大胸筋を負傷。その後も故障が相次ぎ、昭和以降10番目に短い在位12場所で、皆勤も2場所に終わった。左上腕などにけがを負ってからの思いについて「一生懸命やってきました」と話した。
稀勢の里の師匠、田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)の話努力で横綱まで上がった。先代師匠(故鳴戸親方=元横綱隆の里)が夢に描いた初優勝、そして横綱と、僕たちができなかったことをやり遂げてくれたので、すごく感謝している。相撲ファンに恩返しできるチャンスはいっぱいある。
八角・日本相撲協会理事長(元横綱北勝海)の話これだけ応援された横綱はいない。この2年間は一生の中で一番努力したし、頑張った時期。横綱に上がって優勝したんだから、胸を張っていい。期待に応えた。
北村正任・横綱審議委員会委員長の話復活を願っていた者として、残念だ。横綱の権威を保つことと、ファンの期待に応えることとの間で大変苦しんだと思うが、良い結果が得られなかったのだからやむを得ない。静かな心を取り戻して、今後の相撲界での新たな役割を見つけてほしい。
玉ノ井親方(元大関栃東)の話仕方ない。大きな故障もあった中で、できることを最優先にやってきた。悔いというより、やり切ったという気持ちではないか。よくやったと思う。