関係者の素顔に迫るインタビューを競馬ラボがオリジナルで独占掲載中!

矢野英一調教師×高橋摩衣

高:へー。アメリカのどちらに?

矢:アリゾナ大学の競馬学科というところです。最初は英語学校に入って、それから短大に行って、そこで単位を取って大学に入れる点数を取って、という形で大学へ行きまして。そこで真面目に…お勉強を……したり…。



高:わき目もふらずに勉強をしていた、という事で(笑)。



矢:あー、はい、そうです(笑)。その割りには中退をして…。



高:そうなんですか(笑)。



矢:年齢も考えて、そろそろ帰って来い、という事で日本に戻りました。



高:アメリカに行く前から、調教師になる、というお考えがあったんですか?

矢:はい。それもあって、競馬学科へ行こうと決めたんです。



高:留学は先生ご自身が決められたんですか?それともどなたかのアドバイスで。



矢:アドバイスというか、伊藤雄二調教師のご長男である伊藤先輩と、もう今は亡くなってしまった安藤さんという先輩を頼って行きました。その頃は、調教師になろうとは思っていましたけど、競馬の事はさっぱり分からない状態だったんです。



高:そうなんですか。



矢:でも、分からなかったから、かえっていろんな物が見えたのかな、とも思いますけどね。それで留学して「競馬ってこういうものなんだ」という考えが自分なりに出来ましたけど、それを日本に持ち帰ったら、凄いショックを受けたんですよ。



高:ショック、ですか。それはどういった点でショックを受けられたんですか?

矢:馬に対する扱い方もそうですし、日本での乗り手の立場の弱さと厩務員の発言力の強さには驚きました。今は全然違いますけど、僕がこの社会に入った頃にはまだそういう風潮があったんです。だから僕もまだペエペエでしたけど、かなりみんなとケンカしましたよ。



高:えー、そうなんですか。矢野先生は矢野照正先生の息子さんですから、そういう昔の厩舎のスタイルに違和感を感じたなんて意外です。



矢:僕は元々そんなに親父の厩舎作業を手伝っていたわけでもないですし、17、8歳の時に初めて牧場で馬に跨ったくらいですから。



高:じゃあ、凄く小さい頃から競馬に慣れ親しんでいたというわけでは…。



矢:無いんです。そもそもこの世界に入るつもりは無かったんです。馬臭いのがイヤで。



高:えー(笑)。



矢:僕の親父が騎手をやっている頃なんかは、親父が家に帰って来た時には「馬臭くてイヤだな」と思ったり。親父の事は好きでしたけど、競馬の仕事に対する憧れみたいなものは無かったです。



高:そうなんですか。



矢:はい。小さい頃は無かったですね。それで僕が中学生くらいの時に親父が調教師になって、一緒に厩舎へ移り住んでから「競馬の仕事ってこういう事をやっているんだ」って分かってきて。そこから自然に「この世界に入ろうかな」という感じになったんですね。



高:ある時を境に決心をした、というわけでもなく。



矢:ごく自然にそうなっていきましたね。親父が僕にレールを敷いてくれていたのかもしれないし、僕も自然に、自分でそういうレールを敷いていったんですね。やっぱり厩舎に暖簾(のれん)がかかっているから、それは僕が引き継がなきゃっていう気持ちも出てきて。



高:矢野厩舎を引き継ごう、と。お父さんの照正先生と「後を継ぐよ」という感じのお話はされたんですか?

矢:いや、そういうのは無いですね。普段からしゃべらないですから。もう全くしゃべらないですよ。僕の母が親父に「あなた、自分の息子が話しかけているんだから答えなさいよ」って言うくらい、僕が高校を卒業するくらいまで、まるっきり話さなかったですね。



高:えー(笑)。



矢:それで大学で留学して、たまにこっちに帰って来た時に、夜遊びして夕方まで部屋で寝ていたりすると、親父がダンダンダンッて階段を上がって来てバーンッと僕を蹴って「いつまで寝てんだ!」って。



高:そういう、えー、何というか…、男同士のコミュニケーションを(笑)。



矢:そういう感じでした(笑)。最近ようやく少ししゃべるようになりましたけど。



高:そうなんですか。あの、アメリカに留学された時の事をお聞きしたいんですけど、留学してご自身が変わった点は何かありますか?



矢:うーん、どうでしょうねえ…。



高:例えば、自分の意見をハッキリと言うようになった、とか。



矢:あ、それはあるかもしれないですね。アメリカは、自分の意見を言わないと損をする世界でしたから。それが日本では、あんまり自分の意見を言い過ぎると損をする事があったり。



高:そういう経験もされて。



矢:僕、競馬学校の入学試験を3回受けているんですよ。最初の2回は、1次試験は受かったんですけど面接の時に自分の言いたい事を言い過ぎてしまって…。2回落ちて、ようやく日本の社会を知って(笑)。



高:アハハ(笑)。



矢:3回目でようやく面接も合格出来ました(笑)。調教師試験の時には、この頃に勉強させていただいた経験が活かせたと思います。



高:そうですか。調教師試験は何回受験されたんですか?

矢:9回ですね。僕は「30歳になったら受ける」と決めて、毎年自分なりに勉強を続けまして。39歳で合格しました。



高:9回の受験、9年間…長いですね。



矢:いえ、短かったですよ。最初の頃から本気で取り組んで、年々レベルアップしている実感もあったんですけど、本当に真面目にやったといえるのは最後の3年間ですから。



高:そうなんですか。



矢:遊びたい気持ちや趣味に時間をかけたい気持ちもありましたけど、最後は、1次試験に合格してからは全部シャットアウトして試験に取り組むようにしましたね。そこまでやっても3年かかっちゃいましたけど(笑)。



高:そのような経緯を経て開業されて。今後の厩舎をこうしていきたい、というような理想像というのはありますか?

矢:うーん、理想像…、理想というより、スタッフによく言っているのは「一生懸命やっていこうよ」っていう事ですね。あとは、これがウチの厩舎のスタイルだって決めてしまうとそれ以上の物が生まれなくなると思うので、開業当初から、僕の厩舎のスタイルは未完成だよ、というのも言っていますね。未完成でいいから一生懸命やっていこう、とスタッフに話しています。



高:一生懸命、ですか。



矢:今までの僕の周りを見ていると、みんな自分なりにしか仕事をしないんですよ。自分なりの仕事の進め方ではなくて「本当に馬にとって何が必要か」という事を考えて、自発的に仕事を進めてくれると自然に良い方向に向かうと思っています。それにはやっぱり一生懸命やらないと難しいですからね。



高:言われた事だけやっていればいい、という訳ではないんですね。



矢:そうなんです。その「言われた事だけやっていればいい」というのが、僕は嫌いなんです。だからスタッフにもよく「あなたはどうしたいのか?」と聞きますよ。スタッフの自発性が大事なのは、どこの厩舎、どんな社会でも同じですよね。



高:そうですよね。



矢:あと馬作りに関して言うと、先ほど留学から帰って来て日本の乗り手の立場の弱さにショックを受けたという話をしたように、自分の厩舎では乗り手の意見を上手く取り入れていきたいと思っています。僕が親父の厩舎に入った頃は、調教師と厩務員の間で物事が決まって、乗り手はただ乗っていればいいという空気を感じたんですね。だから「親父、それは違うんじゃないの?」って、意見というか、自分の考えを伝えまして。



高:そうなんですか。



矢:今は親父の厩舎も昔のような感じではないみたいですけどね。…やっぱり僕がうるさかったのかな(笑)?

高:アハハ(笑)!

矢:いや、僕は乗り手の意見を必ず聞きたいんですよ。だから自分の厩舎では、より乗り手の意見を尊重して上手く生かしていきたいですね。



高:実際にレースや調教で馬に乗った人が何を感じたのかを知りたい、と。



矢:そうなんです。なかでも特に、その馬にとって将来マイナス面になりそうな事を聞きたいんです。それを教えてもらえば、また調整方法を変えたりする事も出来ますからね。



高:なるほど。分かりました。まだまだお話をお聞きしたいのですが、そろそろお時間となりました。最後にファンへメッセージをお願いします。



矢:はい。土日の競馬に向けて、いかに馬を良い感じに仕上げていこうかと日々厩舎スタッフが一生懸命やってくれています。その仕事の全てをファンの方にご覧いただくのは難しいですけれど、競馬場やパドックなどの仕事ぶりでスタッフの一生懸命さが伝わると嬉しいです。そうやってファンの方に見ていただく事が我々にとっても励みになります。まだまだ未熟で勉強する事ばかりですが、温かい声援をよろしくお願いいたします。



高:私も応援しています。今日はお忙しいなか、ありがとうございました。



矢:ありがとうございました。




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矢野 英一

1970年東京都出身。
2008年に調教師免許を取得。
2009年に厩舎開業。
JRA通算成績は8勝(09/11/4現在)
初出走:2009年3月1日 2回 中山2日  5R レオタイムリー(10着/16頭)
初勝利:2009年5月2日 2回 東京3日  5R アンシャンレジーム

■主な重賞勝利
特になし

08年に調教師免許を取得し、引退した中野隆厩舎、田子厩舎の馬を中心に引き継いで09年に厩舎を開業し、11月4日現在までに、中央競馬で8勝、地方競馬で1勝の計9勝をあげている。他に類を見ない金色の厩舎ジャンパーは、100を超える厩舎数がある美浦トレセンの中でも一際異彩を放っている。矢野照正調教師は実父。





高橋 摩衣

生年月日・1982年5月28日
星座・ふたご座 出身地・東京 血液型・O型
趣味・ダンス ぬいぐるみ集め 貯金
特技・ダンス 料理 書道(二段)
好きな馬券の種類・応援馬券(単勝+複勝)

出演番組
「Hometown 板橋」「四季食彩」(ジェイコム東京・テレビ) レギュラー
「オフ娘!」(ジェイコム千葉)レギュラー
「金曜かわら版」(千葉テレビ)レギュラー
「BOOMER Do!」(J SPORTS)レギュラー
「さんまのスーパーからくりTV」レギュラーアシスタント


2006年から2008年までの2年間、JRA「ターフトピックス」美浦担当リポーターを務める。 明るい笑顔と元気なキャラクターでトレセン関係者の人気も高い。 2009年より、競馬ラボでインタビュアーとして活動をスタート。 いじられやすいキャラを生かして、関係者の本音を引き出す。