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つれづれ日記
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何が本当に大切なのか
2005年10月31日(月)
 朝、恒例の街頭演説を行なう。
 13時、本会議。国会の外では多くの方が抗議の声をあげる中、自立に決してつながらない「障害者自立支援法」が与党の圧倒的多数により成立。我々民主党は対案を出して対抗した。
 しかし、障害をもち、一生懸命働いても、十分な収入を得ない方たちに、介護サービスの1割負担(民主党案では負担を求めない)を求めることが、どうして「自立」につながるのだろう。これによって、浮く費用は350億円。決して少なくない額であるが、政府が金融機関に投入した公的資金の総額70兆円、イージス艦一隻が1000億円以上。どちらが有効な使い方であろうか。
 15時から民主党憲法調査会。枝野調査会長から、新憲法に対する方向性を示す民主党「憲法提言」が示され、「これから国民の皆さんの議論に付していく」という提案が出される。しかし、これから議論するためのもとの案とはいえ、多くの議員から、意見や疑問が相つぐ。私自身は、議論に付していくなら、@集団的自衛権を認めるか、否か A海外での武力行使を認めるか、否か を党内に意見が分かれている点を明記して、党員・サポーターの皆さんにまず提示すべきだと意見を言わせていただいた(憲法については、近々発行のメルマガにもう少し詳しく書くので読んでいただきたい)。
 夕方、韓国大使館を訪問。夜、東海ブロック議員団懇親会に出席し、久しぶりに岡田前代表とお話しする。
 
自民党憲法草案で気になるところ
2005年10月30日(日)
 10時、日本ニューダンベル協会の第15回指導員認定会で挨拶。
 13時、名古屋身体障害者福祉連合会の第50回大会で、出席の全議員(市・県・国)を代表して挨拶。ここでも憲法を意識して、「一人ひとりが個人として大切にされる社会、障害のある方も、そうでない方も、誰もが行きたい時に、行きたいところへ行ける社会をつくりましょう」と挨拶。なお、今大会では、中国の障害をもつ人たちの芸術団の招待公演が行われた。
 ところで、憲法の話といえば、自民党の憲法の草案が出された。まだ十分に読みこんでいないが、気になった点をいくつかあげたい。
1 第八十六条の二(予算)
当該会計年度開始前に前項の議決がなかったときは、内閣は、法律の定めるところにより、同項の議決を経るまでの間、必要な支出をすることができる。→これでは、内閣が勝手に何でも支出できることになり、戦争関連の予算だって簡単に支出できる。
2 第九条の三(自衛軍)
自衛軍は、第一項の規定による任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。→実質的に集団的自衛権(米国との)による戦争に突入しにくいことになり、歯止めが利かなくなる。
3 憲法前文の「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」が削除されてしまっている。→これでは、先の戦争の責任を曖昧にし、再びあやまった戦争に突入するおそれがある。
4 第二十五条の二(国の環境保全の債務)
国は、国民が良好な環境の恵沢を享受することができるようにその保全に努めなければならない。→改憲の色合いを薄めるため、世界の潮流に合わせてとってつけたようである。一体、沖縄の乱開発をはじめどれだけ環境破壊を現政権がしていることか。
5 第十九条の二(個人情報の保護等)
何人も、自己に関する情報を不当に取得され、保有され、又は利用されない。→プライバシーの権利を意識しているかもしれないが、現政府は、盗聴法など個人の権利を侵害する法律ばかりつくっている。
 
憲法の精神
2005年10月29日(土)
 9時、大隈労組の定期大会で県連を代表して挨拶。10時半過ぎに地元の小学校の子ども祭りに出かける。午後、「非営利事業組織の展望」をテーマとしたマラソントーク大会の冒頭にて、民主党NP0局長の立場から挨拶。夕方、情報労連デルソル分会の第三回定期大会で挨拶。
 どこの会でも、私は憲法を意識して挨拶させていただいた。つまり、憲法というのは元々フランス革命を中心とする近代市民革命の頃に生まれた「権力に制限を加え、人権を保障するもの」という考え方に基づいている。つまり、国民に対して「こうしなさい」という規範というよりも、国家に対して「人権を保障しなさい」という命令であり、好き勝手をしないように国家権力の行使に歯止めをかけるもののはず。
 しかし、ここのところの現政権は、先の10月26日付の私のつれづれ日記に書いたように、「とれるところからとる」という増税論を展開し、勝手なことばかりをしている。そういう意味で、それぞれの会合では、「一人ひとりを大切にしないやり方はおかしい」「現憲法の一人ひとりを大切にする精神を守るべきだ」と訴えたのである。
 
 
小選挙区などいらない?!
2005年10月28日(金)
 8時、環境部門会議。来年度の予算要求についてヒアリング。
 10時、NPO局と打ち合わせ。
 11時15分、韓国の潘基文(パン・ギムン)外交通商部長官(外相)と前原代表との会見に同席し、終了後、記者団へブリーフィング。同長官は「アジアの平和と発展のため、とにかく日韓関係は大切だ」と話される。
 12時15分、青少年特別委員会委員部と打ち合わせ。
 13時、本会議。本会議終了後、急ぎ、名古屋へもどる。連合愛知の定期大会に遅れて出席。党県連を代表してあいさつ。憲法11条、13条をあげて「基本的人権が守られ、個人が尊重されるはずなのに、そうなっていない。サラリーマン増税、消費税アップ、とにかく、とれるところからとるやり方はおかしい。ともに働く者の立場を大切にして、がんばりましょう」と訴える。
 ところで、今日、自民党の造反(この言い方も考えてみればおかしい)議員に対する処分が出たようだ。私の大学の同期生・野田聖子元郵政大臣にも離党勧告(一見やさしそうだが、10日以内に離党しなければ、除名という厳しいもの)が出た。
 これでは、どんな法案にも反対できなくなる。もちろん、憲法改正にもである。一体、あの自民のよさはどこへ行ってしまったのだろう。どちらかといえば、わが民主党よりも、信条に従って「反対」「欠席」「退席」した人たちに寛容であったはずである。
 こんなことなら、小選挙区などいらず、比例だけで各党の勢力を決め、その党の政策を政府の政策にすればいい。そう思ってしまう。
 
元からたたなければダメ
2005年10月27日(木)
13時、大同特殊鋼築地工場労組の定期大会へ。15時、百寿会の勉強会に出席。
 やはり、病というのは、根本を絶たなければならないのであり、その意味で対症療法だけではなく、生活・食習慣をも変える東洋的発想が必要と思う。紛争や戦争もしかりであり、原因をなくすことが大切であり、力でおさえるだけでは絶対に解決出来ないと思う。18時30分、金剛山歌劇団の50周年記念公演に出かける。
20時過ぎの新幹線で東京へ。

 
とれるところからとる
2005年10月26日(水)
自民党は、政府税制調査会の答申の「サラリーマン増税」には同調しないとマニフェストで宣言したにも関わらす、選挙の圧勝を受けてか、小泉政権は、消費税(10%以上)も含めてサラリーマンに対する増税(定率減税廃止)を強行するつもりのようだ。しかし、最高二十九万円もの個人負担を増やす一方、企業に対する減税は継続するという。
「第3のビール」などの増税も含め、とれるところからとる。消費税は福祉分野への目的税と目くらましをする。小泉さんの「改革」はどこへ行ったのであろうか!?
 
すべての人を大切に!
2005年10月25日(火)
9時30分、日韓議員交流委員会の総会および学習会を行う。前原代表新体制のもと、鳩山さんが、幹事長になられたので、委員長を仙谷由人議員にバトンタッチする。
 事務局長は、引き続き私が務める。なお、講師は李鐘元立教大学教授でテーマは、「最近の韓国情勢と六者協議」であった。明らかに第二次ブッシュ政権は、対アジア外交を変更させており、中国とは、意見を異なっても、きちんと意見交換していると思う。そのため、六カ国協議といっても、5+1、1は残念ながらわが国・日本であり、せっかく、アジアの平和構築のための新しい枠組みが出来つつあるのに、一人、その外にいる気がする。
 11時30分、サンクチュアリ勉強会に出席する。講師は高野孟さんであった。14時40分、環境委員会。その後、青少年問題に関する特別委員会の視察で都内の板橋区立第二学童クラブへ。ここは施設は新しいが、子どもの数に比べて教室が狭い(こうした状況のところは多い)ということで、選ばれた。何人かの子どもにインタビューしたが、一人っ子の子が多いのには、数値的には知っていても、びっくりした。
 しかし、これからの社会にとって、放課後学童クラブ(いわゆる学童保育)の充実は必要だと思う。そして、それが子どもにとって学校の延長にならないような雰囲気が必要と思う。
17時45分、恒久平和議員連盟の役員会。先の国会まで幹事長を務めておられた石毛えい子前議員が今回の選挙でもどってこれなかったため、私がその職責を継ぐことになった。代表は引き続き鳩山由紀夫さんである。
 夜、団体交流委員会の役員会に出る。
 ところで、今日、日本の旧植民地統治下、韓国(朝鮮半島南端沖の小島、小鹿島にある韓国の国立小鹿島病院)と台湾(台北市近郊の楽生療養院)のハンセン病元患者(142名)が「ハンセン病補償法」に基づく補償請求を日本政府が認めなかったのは違法であると訴えた裁判の判決が東京地裁で出た。
 ともに、補償法は国内の診療所施設と韓国・台湾などの外地施設を区別はしていないとしながらも、「台湾訴訟」では、原告側の請求を認め、「韓国訴訟」では、認めないという全く相反する判決を下した。大変に残念であり、国は判決にかかわらず、一刻も早く国の誤った施策で強制収容した台湾・韓国などの外地療養所入所者への補償を宣言すべきだ。

 
地元消防団詰所の開所式
2005年10月23日(日)
 10時、地元のおまつりに顔を出す。
 11時、地元・有松消防団詰所開所式に出席。ここが所有する消防車の歴史は古く、来年、東京にできる「日産の自動車博物館」に貸与されることになっている。同消防団の長年の念願だった詰所が、地域の皆さんの多大な協力でできたことは、これからの活動にとって重要なことと思う。
 12時30分、全国戦災傷害者連絡会(全傷連)の「お楽しみ会」に少し顔を出したあと、守山での重要な会合へ。夜は、数人の知人と最近の「アジア情勢」について意見交換。
 
戦争よりも祭りを!
2005年10月22日(土)
 全トヨタ労連東海理化労働組合の大会で県連を代表して挨拶。青木委員長の「組合のことだけでなく、非典型労働者であるパート、アルバイト、派遣の皆さんのことも一緒に考えよう」「組合活動のことだけでなく、もっと大きな社会全体のことを考えよう」という挨拶に感銘する。
近藤昭一を応援する税理士の皆さんと懇談。中身の濃い意見交換ができた。
 15時40分、「プロダンス選手権大会」へ。大会顧問としてあいさつ。さすがに全日本の大会はレベルが高い。
 16時40分、友人の紹介で中国・江蘇省から来日された王段飛さんの展覧会をのぞく。シンプルでおちついた風景画に心がなごむ。
 17時の新幹線で東京へ。喜納昌吉議員がスティーブン・セガールさんとジョイントで開いた「戦争よりも祭りを!」コンサートに出かける。「戦争は絶対に二度とおこしてはならない」「核の問題も、拉致の問題も、38度線の問題をのりこえなくては、根本的解決ではない」という訴えに感動をうけた。最後の10分間は私も舞台に上がって、たくさんの人々とおどりまくった。もちろん、セガールさんともお話した。
 
山本譲司が来てくれた
2005年10月21日(金)
 13時から本会議。
 17時、私を支援してくださっている「21世紀の国づくりを考える会」主催のパーティー。講師として、私と同期初当選であった山本譲司元衆議院議員が講演をしてくる。演題は「塀の中から見えたもの」で、障害のある受刑者の方の話であったが、かなりショッキングな内容で、福祉問題を考える上で大変に参考になった。
 22時、「Kid´s AU」の運営メンバーと打ち合わせ。
 
青少年特別委員会で参考人質疑
2005年10月20日(木)
 9時から青少年特別委員会。初めて本格的に委員長として委員会をもつ。今回は「放課後児童クラブ(いわゆる学童保育)」についての参考人質疑であった。出席委員からは、「勉強になった。少子化社会問題にとりくんでいく上でも、こうした問題をどんどんやっていこう」とエールをいただく。
 12時20分、おくれて「東海ブロック担当常幹と各県連代表との打ち合わせ」に出席する。とりまとめは岡田克也前代表である。
 13時30分、本会議。
 14時30分、鉢呂・平岡両議員よびかけによる「憲法問題懇談会」に出席し、意見を言う。
 17時10分、党本部での「民主党憲法調査会総会」に出席する。私も、もちろん発言する。@武力で物事は解決できないA海外での武力行使は認めるべきでないB国連のもと、国際的な協力、警察力は必要。
 19時、おくれて96年総選挙初当選の同期会に出席。ちょうど9年前の今日、初当選したメンバー集まる。9年前のあの日、正直言って「まさか、比例復活でも当選できるとは思っていなかった」自分が多くの方の支援と時代の要請をいただいて、民主党東海ブロックの惜敗率2位(1位は古川元久議員)で当選させていただいた。結果がわかったのは深夜1時をまわっていたと思うが、本当にたくさんの方が事務所で私を待っていてくださった。いろいろと厳しい状況ではあるが、「あきらめずに」これからも絶対にがんばっていく。
 
「日本国憲法」と「パッチギ」
2005年10月19日(水)
 11時、国際局役員会。今国会から同期の末松義規議員(元外務省)が局長を務める。私は引き続きアジアを中心に担当する副局長であるが、今後の運営について打ち合わせる。
 12時、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の皆さんと民主党との懇談会に出席し、NPO局長として司会を務める。
 15時、団体交流委員会役員会、私は委員長代理兼NPO局長であるが、今日は「政党と労働組合のあり方」について議論する。
 17時、リベラルの会懇談会で「映画 日本国憲法」を見る。この映画は、いかに「第9条」が貴重で、日本にとって有益かをわかりやすく説いている。ぜひ見ていただきたい。
 19時からリベラルの会の懇親会。先般の選挙で厳しい結果だった前議員の仲間もかけつけ、もりあがる。
 22時30分、宿舎にもどり、「パッチギ」のDVDを見る。この映画もすばらしい。ぜひ若い人にも見てほしいと思う作品で、日本人が朝鮮半島の人たちとの関係で絶対に知っておかなくてはならないことがあふれている。
 
旧社会党グループが……
2005年10月18日(火)
 8時から、外交・安保部門会議。テロ特措法は、何とか「反対」でまとまった。しかし、一部のマスコミには嫌になる。前原代表の「賛成」への舵取りに強く反対したのは、私たち「リベラルの会」の多勢メンバーはもちろん、鳩山さんであり、羽田さんであり、小沢さんや達増さんであるのに、「旧社会党グループが・・・」と、いつもこの書き出しをする。確かに旧社会党出身の方もいらっしゃるし、反対もされたが、先頭に立ったのは、もっと若いグループであり、旧社会党の方もあくまで、「かつて社会党に所属した」ということであり、そして今も当時の考え方をもっていても、「旧社会党」からもっているわけではない。それに「旧社会党」という時には、なんか「旧い考え方」というニュアンスをもつが、「テロ特措法に反対する」「憲法9条の精神を守る」ことのどこが旧いのかわからない。
 なお、外交安保部門会議で若林秀樹参院議員、藤田幸久前衆院議員からパキスタンの現地報告があった。かつてアフガニスタン難民の視察に真っ先に出かけた民主党のノウハウと人脈をうまく活かせた視察だったようす。しかし、あまり報道はされていない(報道陣も入れない場所が多い)山間部の村では、救援もなく、悲惨な状況にさらされている被災者の方が多数おられる。親を失い、呆然と妹たちと立ち尽くす少女の写真はあまりにもつらく悲しい。亡くなられた方、被災された方に心からお見舞い申し上げるとともに、我々も出来る限りのことをしていきたい。国際社会の一致協力した息の長い支援が必要だ。しかし地震の大きかった地域は、インドとの国際紛争地にあたり、パキスタンは隣国インドとの争いの中で、全く高くないGDPの中で、多大な軍事費を使っている。
 亡くなられた方、被災された方たちのことを思うと、やはり「平和こそ大切」であり、政府は、軍事費などに使う予算を災害対策に使うべきだと思う。
 もちろん、日本も「国際貢献だ」というならば、こうした分野こそ充実させていくべきだし、こうしたことにこそ力をいれていくことによって、平和な国際社会をつくるリーダーシップをとらなくてはならない。
 13時から本会議。テロ特措法についての採決と、「障害者自立支援法」(政府案)と「障害者の自立の支援及び社会参加の促進に関する法律案(障害者自立支援・社会参加促進法案)」(民主党の対案)の趣旨説明と質疑もあった。しかし、与党は、わが党の対案に質問もしなければ、対案を出され、ややこしくなったのか!緊張感がないのか、本来賛成する法案にほとんどの議員が座ったままで慌てて立つという場面があった。本当に情けない。
夕方民主党憲法調査会の衆参合同会議が行われ、「国民投票案」について意見交換する。なお、今日は、私の事務所で受け入れる海外からの3人のインターンシップ留学生のうち、ベトナムのトラン・ホアイ・ブーさんが来てくれた。
 
小泉総理、五度目の靖国神社参拝
2005年10月17日(月)
 朝、街頭活動。地元政治の後、夕方の新幹線で東京へ。
 なお、今日の10時、小泉総理が5度目の靖国神社参拝。先の大阪高裁の違憲判決や最近の中国による対日政策の柔軟化に配慮したのか、平服で昇殿せず、参拝だけされたとのこと。
 しかし、二つの意味で間違っているのではないだろうか。@参拝を歓迎する靖国関係者にとっては、総理としてのきちんとした参拝を望んでいる。A中国・韓国の人々にとっては、平服であることは関係なく、対応を甘くみているのでは。
 私たちの国のリーダーとして、アジアのリーダーとして、小泉総理には、国民の利益とアジアの人々の感情にもっと思いをはせてほしい。

 
平和運動
2005年10月16日(日)
 名古屋にもどり、夕方、ある組合の支部の勉強会で「憲法と平和」について約1時間お話しと質疑応答をさせていただく。
 夜は、地元の友人たちと、月を見ながら一献をかたむける。

 
国際環境会議GEAのメンバーになって
2005年10月15日(土)
 「ギア GEA」Global Environmental Action 地球環境行動会議という組織がある。
 1991年の「地球サミット」(環境と開発に関する国連特別総会UNCED)を成功させるため、東京において「地球環境賢人会議」が開催された。この会議は大成功をおさめ、その成果を継承させていくべく、竹下登元首相ら関係者が発足させたのがこの「GEA」なのである。
 今年から私もメンバーに加えていただいたのだが、全体のメンバーは41人、経済界、学会、政界からのメンバーで構成されており、現会長は斉藤十郎元参議院議長が務めておられ、顧問には平岩外四東電顧問、カーター元米国大統領、相談役に石川六郎鹿島建設名誉会長、豊田章一郎トヨタ自動車名誉会長らがおられる。民主党からは元衆議院議員の伊藤英成氏も加えて3名が参加している。私の場合は、環境問題のスペシャリストとして    強い行動力で活躍してみえた佐藤謙一郎氏が先の総選挙の結果、国会へもどってみえることができず、入れ替わる形となった(何回も書いているが、政党による政策選挙とはいえ、あまりにも個々の議員の活動が軽くしかとらえられなかったのが、先の総選挙の問題点と思う)。
 昨晩の歓迎レセプションにつづいて、会議には、皇太子殿下、雅子様御夫妻もご出席下さり、会場になったホテルの玄関でお迎えをさせていただく。
 冒頭、小泉総理の挨拶などがあって後、記念基調講演として95年のノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェン氏のお話があって、雅子様は「この方の話を是非聞きたかった」ということである。残念ながら、マスコミの取材が多く、その後の各セッションには、ご出席できなかったようだ。
 いくつかの各セッションでは、基本となる報告の後、数人の専門家が意見を述べ、その後、出席者が自由に討論するという形式で進められ、私も発言させていただいた。
 ざっくりとまとめて、「日本においても、多くの異常気象(気象の狂暴化)が現れている。統計的に見ても、1時間75ミリ以上の降雨日数が増え、降水傾向の幅も大きくなっており、過去のデータが参考にならなくなってきている。日本が温帯から亜熱帯にかわりつつあるようで(統計でみれば月平均気温20℃以上の月が4ヶ月以上ある県が日本国内で増加している)、雨の降り方もスコールのような感じ。科学的に完全に証明するのは難しいが、明らかに温暖化との関係があり、一刻も早く根本的な対策をとらなくてはならない。このままでは、食物の生産にも影響が出る(日本でとれる米がジャポニカ米からインディカ米なんてこともあるのか?)」。
 今こそ、学者も行政も政治も立ち上がらなくてはならないということだ!
 18時までめいっぱい討論のあと、19時から懇親会。ノーベル化学賞受賞学者のパウル・クルッツェン氏ともお話しできたし、各国からの代表者とも話しができて、大変に有意義であった。GEAのメンバーとしてこの会議に参加できたことは私にとって大変にプラスである。
 
アスベスト問題
2005年10月14日(金)
 朝8時からの環境部門会議に引き続き10時10分から環境委員会。
 先の大臣所信表明に対する一般質疑であるが、私は何と言っても「アスベストの問題」にきちんと取り組まなくてはならないと思う。
 新聞等で報道されているように、今後10年間の間に5万人以上の方、もっと長期的にみれば10万人以上の方がアスベストを原因とする中皮腫により亡くなられると予測されている。
 英国から1968年頃には、その危険性を指摘されていたにもかかわらず、きちんとした対策をとらなかったため、長い潜伏期を経て多くの方が生命を失うというのである。またしても、行政と政治の怠慢である。
 さらに、日本で製造されたアスベストの多くが建築材料(ストレート板など)などに加工され、あるは直接、建築材料として使用されてきた。
 今後、建物が解体される時にこれらが飛散する恐れがある(ストレート板などは粉砕され、土壌改良剤にも使われている)。しかし、それに対する方策は十分に規定されていない。一刻も早い対応が必要である。
私はさきの日記にも書いたが、このことに対する小泉総理、小池環境大臣のとりくみは不十分なのであり、現場でもなかなか環境委員会が開かれなかったのである。表に見える一部の話題だけにスポットがあたる小泉政府に大きな危惧を感じる。
夕方、青少年問題について、厚生労働省、文部科学省、内閣府の担当の方からレクチャーを受ける。
 
水俣のこと
2005年10月13日(木)
 夕方、松野信夫前衆議院議員(弁護士)が来所。同氏が取り組んできた「水俣病問題」について、今後どう続けていくかについて意見交換する。2004年10月の最高裁判決により、水俣病の被害が広がってしまったことに対する国の責任を認め、患者さんの認定基準の見直しを求めた。しかしながら、環境省は大臣が謝罪したものの、実質的に何の変更もせず、進展がみられない。
 わが国は三権分立の国であり、行政は司法に従うべきと思う。そうでなければ、原告団の皆さんの努力はもちろん、苦しみや悲しみは解消されない。
 中学生の時に見た「水俣病患者の女性の写真」は今なお、私の心に強くつきささっている。司法の判断がなくても、政治が動くべきことと思う。
 
郵政改革、国民の民意とは?テロ特措法、党内の民意とは?
2005年10月11日(火)
8時、外務・防衛部門会議に出席し、テロ特措法延長に対する賛否について議論する。
 民主党は、過去2回にわたってこの法案について反対してきた。ましてや2回目は、再度の延長は認められないという主張をした。しかし、部門会議の役員は、今回、賛成の余地があるという。つまり、「イラクとは異なり、テロ対策は必要であり、現場では他国の軍隊から感謝されている」と。
 しかし、「必要だから」と言って賛成してしまっていいのだろうか。民主党もテロ対策は必要だと認めている。しかし、そこに後方支援といえども、自衛隊を派遣するのがよいのか。元々、米国が9.11同時多発テロを受けて、反撃の形で始めたものであり、派遣するのに事前の国会承認(今まで民主党はシビリアン・コントロールのため、少なくともこれが必要と言ってきた)が必要ないのか。「現場で感謝されている」。しかし、何をやってどこから感謝されているのかさえ、明確ではない。
 部門会議役員は「現場での活動を委員会質疑の中で明確にする」「明確になったかどうかの判断は部門会議役員に任せてほしい」という。そして、最終決定は「NC(次の内閣)会議」(党の合同政策会議)に任せてほしいという。
 参加者の情勢認識から「今までと違う採決の意志(つまり法案に賛成)を示すなら、全議員の会議を開くべき」という意見が出たが、「我々では決められない。党執行部に対しては伝える」ということで、幕が引かれてしまった。部門会議の大方の意見は、「賛成するには十分な理由が必要である」というのにである。
午後一時から本会議。新聞報道のように、郵政法案が可決。総選挙前の衆院本会議ではわずか5票差であったものが、200票差である。私の大学時代の同級生、野田聖子議員が言うように、これが民意なのであろうか。しかし郵政法案に賛成した当時の与党(自・公)と、反対した野党(民・共・社)の、それぞれの得票を足すと、野党(反対)の方が多い。民意とは難しい。なお、私自身は、「米国でも郵政の民営化はしていない」「民間会社の最大の目的は利益をあげることであり、郵政サービスは、民営にはそぐわない」と今でも思っている。また「さぼっての非効率はあらためなくてはならないが、人口過疎地での非効率はやむを得ない部分があり、分けて考えなくてはならない」と思う。本会議終了後、NPO局長に就任したことで、多くの関係者が訪問に来てくださる。「グリーンピースジャパン」「シーズ」「ジャパンリターンプログラム」などなど。
夕方議員年金廃止に関する両院議員政策懇談会。
 
無題
2005年10月9日(日)
週末の地元活動について、不思議といくつもの行事が重なってしまう時がある。
 今日がまさしくその日であり、地元の県連や国際学校の運動会、宗教法人の記念行事、父が創立当時から係わっている民謡会の発表会、介護予防を考えるシンポジウムなどなど、どれを優先するのか難しいところであるが、できる限り顔を出すようにしている。
 
民主党愛知県連刷新プロジェクト
2005年10月8日(土)
地元のお祭りに顔を出した後、テレビ局の取材を受ける。「選挙から約一ヶ月経った」ということで、私の場合、古川元久代表辞任にともない、突然、職務代行することになったこともふまえ
1.民主党愛知県連の刷新
2.総選挙の敗戦からの反転攻勢
などについてインタビューを受けた。
 16時、県連幹事会を初めて主宰する。終了後、先の党本部への申し入れの報告、ならびに、了承された刷新プロジェクト答申の中身などを記者会見し、発表する。
 私としては同プロジェクトチーム座長として、古川代表に答申し、代表に発表してもらう予定であったものを自ら行うこととなった。上意下達の硬直化したタテ組織としてではなく、顔の見えるきちんとした調整機能をもった民主党愛知県連にしていきたい。
 原点である「政治は皆さんのためにある」ということを必ず実践してきたい。

 
無題
2005年10月7日(金)
8時30分、党本部へ鳩山幹事長を訪ねる。民主党愛知県連として、今回の小林憲司元衆議院議員の事件に鑑みて
1.党本部における各議員、候補者に対するチェック機能の強化
2.各総支部の単なる連合体ではない、県連の位置付けと機能強化
などを申し入れる。今回の事件は本当に恥ずかしい事件であり、二度と起こしてはならない。そのために、もちろん、地元の県連としても必死に取り組むとともに、そうしたチェック機能をきちんと党規約の中に位置付けて欲しいということである。
 9時、友人とともに東京新聞記者さんと意見交換。青少年問題に関する特別委員会に関連して「外国人の子どもたちの学習問題について」である。10時、文喜相韓国ウリ党議長一行と前原代表との会談に同席。10時30分、環境委員会、小池大臣の所信表明。
 昼の新幹線で名古屋へ戻る。19時より、友人の仲介で異業種交流勉強会にて講演をし、「アジアの平和と北朝鮮」についてお話をする。たくさんの方とお話しができ、また意見交換ができてよかった。
 
青少年問題に関する特別委員会理事懇
2005年10月6日(木)
10時、青少年問題に関する特別委員会の理事懇談会を行う。今後の委員会運営のあり方、次回の具体的な委員会設定を行う。
 今国会では、特に法案審議はないが、青少年問題は課題が山積みしており、まず、少子化対策も視野に入れた、いわゆる「学童保育」をテーマに参考人質疑を行うことを決定する。民主党の小宮山洋子野党筆頭理事はもちろん、自民党の河野太郎与党筆頭理事、公明党の池坊保子理事の積極的な活動で、実のある委員会にできると確信する。なお、今回は大臣の所信表明を割愛したが、これは異例であり、短い特別国会の会期の中で「実質的に論議しよう」という、各理事の心意気の表れである。
11時、国立国会図書館の調査員の方が来所。委員長に就任すると、色々な部署から、説明に来てくださる方が増え、ありがたい。11時10分、さきがけ時代の友人が来所。名古屋から上京した親父も交えて旧交をあたためる。11時半、農業問題で山田正彦議員の部屋を訪ねる。12時、NPO局の運営のことで、若井康彦前議員らと打合せ。さきの選挙で無念の思いをされた同氏の考えも引き継いでしっかりがんばりたい。もちろん、若井さんの一日も早い復帰を祈る。その後、石毛えい子前衆議院議員の秘書であった福田氏と打ち合わせ。同議員のやってきた仕事を受け継いでほしいということで、「私でよければ」と快諾させていただいた。
 しかし、この総選挙、「郵政法案への賛否を問う選挙」というが、現場で動くのは一人一人の議員であり、それぞれの議員がそれぞれの得意の分野で地道に確実に活動してきたことは何だったのかと思ってしまう。どんなに、政党選挙になっても、動くのは議員であり、それぞれの力量が実際の現場の政治を動かしていくのである。
 外国議員との交流はもちろん、地道な積み重ねをふきとばしてしまった「この選挙」に大きな違和感をもつのは私だけであろうか。
14時30分、古巣の東京新聞を訪問。16時にはNTT本部へ出かける。

 
無題
2005年10月5日(水)
8時から県連刷新プロジェクトチームを主宰し、先の小林憲司元衆議院議員の事件をふまえた、県連の再生と政治信頼回復のためプログラムを検討する。
 夕方の新幹線で東京へ。仲間の議員らと意見交換。
 
『Kid’s AU(子どもたちのアジア連合)』
2005年10月2日(土)
一泊二日の強行日程で韓国・ソウルへ。私が、実行委員長を務める「北東アジア子ども交流」Kid’s AU Camp in Korea出席のためである。この事業は、第一回から第四回までを日本で行い、今回は韓国・ソウルで、次回はモンゴルで行う予定の子ども交流事業である。今なお、戦争をなくせず資源の無駄使いをとめられない大人たちは、言葉は通じなくても見事に文化の違いを克服し、人間として共通するところを発見し、交流する子どもたちに大いに学ばなくてはならない。第一回から続ける中でそんな思いをさらに強める。今回は、今なお東京をと実現していないAU(アジア連合)に先立って、子どもたちのAUを作ろうとKid’s AUと銘打って、モンゴル、中国、韓国、日本の子どもたちに参加してもらい事業を行った。残念ながら、いつも参加してくれているロシア、在日朝鮮の子どもたちの参加はなかったが、代わりに中国の朝鮮族の先生と子どもたち、指導スタッフとして台湾からの参加もあり、かなり中身の濃い交流を行うことができた。
 私は、日本側委員長として、開催に尽力して下さった、地元ソウル市恩平区の区長さんや、韓国の国会議員、たくさんの応援ボランティア、そして中心になってがんばってくれた博愛在家老人福祉園の金玄勲さんへの御礼のあいさつを申し上げるとともに、交流隊やスタッフミーティングにも参加して、ハードながらも有意義な時間をすごさせていただいた。来年のモンゴルでの開催をさらに成功させ、本物のAUにつなげていきたい。
 
無題
2005年10月1日(土)
朝のうちは、豊和工業労組、鳴海製陶労組での大会に県連を代表して出席する一方、午後から事務所のスタッフ会議を行う。夜は、学生の皆さんたちとの懇親会に出席する。
 
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