オスカール・モルゲンシュテルン (Oskar Morgenstern), 1902-1976.

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オスカール・モルゲンシュテルンは オーストリア学派 の伝統の中で育ったけれど、でも当人の嗜好はオーストリア学派ほど教条的じゃなかった。ハイエク の後をついで 1931 年にオーストリアビジネスサイクル研究所の所長に就任したモルゲンシュテルンは、ハイエク式の金融過剰投資理論には関心を持たず、投機と経済予測 (かれの 1928 年の教員資格論文のテーマ) に興味を向けた。1935 年にはウィーン大学教授となって、カール・メンガーの ウィーン学団 にも活発に参加し、エイブラハム・ワルドを研究所に雇った。またオーストリア式資本理論 の強硬な批判者で、「平均生産期間」という概念を葬り去るのに手を貸した。

1935 年の完全な予測の難しさに関する論文は、部分的にはオーストリア学派としての教育から出たものであり、「ロビンソン・クルーソー」的な価格が空から降ってくるような行動に対する「戦略的行動」の一般性の高さを述べていた。このため、数学者エドヴァルド・チェックはモルゲンシュテルンに、ジョン・フォン=ノイマン のゲームに関する 1928 年論文を紹介した。モルゲンシュテルンは1938年にナチスに追放され、プリンストン大学に移ってついにフォン=ノイマンと出会う。二人はゲーム理論に関する有名な論考(1944) を書いたが、これは ゲーム理論 を確立しただけでなく、不確実性の下での選択理論も構築した。この本の経済分析は、ほとんどがモルゲンシュテルンによるものだ。

モルゲンシュテルンはその後もいろいろなテーマで研究を続けた。特にフォン=ノイマン多セクター成長モデルの再構築 (ケメニーとトンプソンとの共著, 1956, 1976), 国防について (1959), 経済データについて (1950)、そして ファイナンスの分野では、特に生まれつつあったランダムウォーク仮説の検証 (グレンジャーと共著, 1970)などだ。

オスカール・モルゲンシュテルンの主要著作

オスカール・モルゲンシュテルンに関するリソース


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