放送内容

8月31日
今夜の嵐にしやがれは…
★ロック界の帝王!矢沢永吉が降臨!
 上京秘話、キャロル結成、
 ショーケンとの初対面、休日の過ごし方…
 とにかく矢沢が喋りまくります!!
≪記念館≫

ゲストの宝物や思い出の品を見ながら、ゲストの半生をひもとく企画。
今夜のゲストは…日本ロック界の帝王“永ちゃん”こと「矢沢永吉」69歳
(進行:二宮)

1972年、矢沢が張り紙チラシでメンバーを募集しキャロルを結成。
ヒット曲を連発し、リーゼントに革ジャンというファッションが、
若者の間で社会現象となった。
1975年、キャロルは解散しソロデビュー!
1977年、日本のロック・ソロアーティストとして、初の日本武道館単独公演を成功!
1978年、「時間よ止まれ」がミリオンセラーを達成!
そして矢沢の半生を綴った著書「成りあがり」が100万部を売り上げ、
この年、初の長者番付歌手部門No.1に!
さらに!クイーン伝説のライブでも有名な「LIVE AID」では、
ポール・マッカートニーやデヴィッド・ボウイなどが参加する中、
日本代表として矢沢の歌が全世界に中継された。
その後も勢いは止まらず、
2017年、自身が持つ日本武道館での最多公演記録を142回に更新!
2018年は、国内アーティスト東京ドームでの史上最年長公演を記録した、
まさに生きるレジェンド!
今夜は、そんな矢沢永吉のロックな人生をひもといていきます!


「ロック界の帝王!矢沢永吉伝説」

■中2でスーパースターになると決意

→当時、ベンチャーズなどバンドブームが到来。
→特に影響を受けたのがザ・ビートルズで、
 彼らを見てロックシンガーになりたいと思ったという。


■高校の卒業証書を破いて上京

→破くつもりはなかったが、卒業後東京に行くつもりだったため、
 「それどころ(高校を出ている場合)じゃない」と、思わず破っていたという。
高校卒業と同時に広島から東京を目指した矢沢。
しかし、意外な理由で東京とは別の場所にたどり着く。


■上京後、まずは横須賀の米軍基地に乗り込む

→急行で上京した矢沢。
 電車に乗っている時間が「長すぎた」ため、途中の横浜で降りてしまった。
→横浜はザ・ビートルズが育ったリバプールと同じ「港町」だったのも、
 電車を降りた理由の一つだったとか。
→横浜から米軍基地がある横須賀へ向かった矢沢。ロックの本場はアメリカ。
 米軍基地内のバーなどでバイトして、なんとかアメリカに渡る方法はないかと考え、
 矢沢はゲートで「アメリカに渡りたいんですが」と伝えるが門前払いされたという。

伊勢佐木町でアルバイトをしながらスターを目指すことになった矢沢だが、
その道のりは決して順風満帆ではなかった。


■レコード会社に売り込みをするが、全く相手にされない

→いろいろなレコード会社に「アイ・ラヴ・ユー,OK」のカセットを持って
 売り込みにいくが、全く相手にされず門前払い。
→帰りにみた東京タワーの景色は今でも忘れられないという。


■展示品No.1&No.2:「上京して初めて買ったテレビ」「書類ケース」

→全く無名のバンドだったが、いつか契約書を交わした際に、
 必ず必要になると思っていたため、書類ケースを購入。
→常に成功するイメージを持ちながら日々の生活を送っていたという。

デビューを目指し音楽活動を始めるのだが、その売り込み方もYAZAWA流。

横須賀のキャバレーで歌うため、面接で「横浜でキメまくっているバンド」と
ハッタリを言い、見事合格。定期代にもらった1万円で、バンドメンバーと
ラーメンパーティーを開いたという。

その後、いくつかのバンドを結成するも売れないまま解散。
しかし、1972年、伝説のバンド「CAROL」を結成。
そのブレイクのキッカケは意外なことだった。


■ハッタリでテレビ出演する

→フジテレビの「リブ・ヤング!」という番組で
 革ジャンにグリースを塗った「ロキシーファッション」の特集をしていた。
→当時、革ジャンは着ていたが、頭は塗っていなかった。
→そこでポマードで頭を固め、すぐにフジテレビに連絡。
 「俺たちとっくの昔からロキシーファッションだけど?」と嘘をつき、
 デモテープを渡しテレビ出演を掴んだという。

テレビ出演をきっかけにスター街道を突き進んでいったキャロル。
活動期間2年半ほどにも関わらず、数々の伝説を残していく。


<伝説のバンドCAROL!ここがスゴイ!>

①あのスターに対して…

→大スター、萩原健一から会いたいとの申し出が。
→なめられたらいけないと、サングラスをかけ寝たふりをしていた矢沢。
→ショーケンがメンバーに対し「君たちがCAROLか。格好いいね」と、
 声をかけたのに対し矢沢は「そういうアンタも格好いいね」と、返答。
→心の中では「オレ何言ってんだろう」と思っていた。


②解散コンサートでセットが燃える

→最後ということで印象に残るほどの爆竹を仕掛けたのだが、火がセットに燃え移り、
 崩れ落ちるハプニング。しかし、この火事もまた演出だと信じるファンも多く
 YAZAWA伝説の一つとなっている。


■展示品No.3:「ソロになって初のコンサートで着た衣装」

→本番直前、何か物足りないと厚紙で星形を作り、
 スプレーで吹き付け、急遽、星のワンポイントを付け足した。

ここで特別企画!
スタジオに来ていた男性観覧客から「YAZAWA」に質問!

Q 「仕事で失敗した時に立ち直る方法は?」
矢沢 「僕は酒を飲んでた。酒で助けられたこといっぱいある。
 場所を変えて気持ちを変えてまた頑張ろうやってことなんじゃないの?
 やめるわけにいかない。進まなきゃいけない。」

Q 「一番、歌が上手いと思うアーティストは?」
矢沢 「一芸で頑張っている人は皆何か持っている。
 職業だってプライドを持ってやってる人は大体何か光ってる。」

続いて嵐からも質問!

相葉 「休みの日は何をされてるんですか?」
矢沢 「いっぱいありますよ。車の運転大好き、ハーレーの運転も大好き。
 クルーザーも大好き。矢沢永吉を張ってると疲れるのよ」

■ファンに対して「マナーが守れないなら俺のファンをやめろ!」

→会場の90%以上が男性ファン。
→ライブ中にケンカが起きると「お前とお前帰れ!」と、ファンを帰らせたという。


■シングルがヒットして、歌番組に呼ばれるも出演拒否

→実は…カッコつけてて後にひけなくなっただけ。
 矢沢「この場を借りて、当時はすみませんでした!」

ここで、まことしやかに語り継がれる「YAZAWA語録」を検証!


<THIS IS YAZAWA語録①>

ただ、ボクは別にいいんだけど「YAZAWAが何て言うかな?」

→スタッフが手違いでホテルの部屋をスイートではなくツインを取ってしまった。
→間違えたスタッフが慌てて謝った際に発したのがこのセリフ。


<THIS IS YAZAWA語録②>

ぶつかったガラスに向かって「フェアじゃないよ」

矢沢永吉の代名詞マイクターンには大きく分けて2種類。
1つ目は、手と背中を使いマイクを回転させるパターン。
2つ目は、マイクスタンドの下を蹴りあげ回転させるパターン。
さらにテンションが上がると神ワザ・Wマイクターンも!

ということで、嵐がマイクターンに挑戦!
「矢沢が判定!マイクターン選手権!」
結果、最もマイクターンが上手だったのは…
矢沢「松本さん!」

以上、「ロック界の帝王!矢沢永吉記念館」でした!

ゲスト紹介
矢沢永吉