金刀比羅宮 美の世界

題字・米今正一

第35話

金毘羅祭礼図屏風

元禄の門前にぎやかに

香川歴史学会会員・溝渕利博

 昭和五十九年の秋、中村吉右衛門丈を金丸座にご案内する機会があった。翌年の第一回四国こんぴら歌舞伎大芝居の公演を前に、座頭としての熱い思いが伝わってきたのを覚えている。以後、毎回盛況を博すようになったこのこんぴら歌舞伎の原型が、金刀比羅宮所蔵の「金毘羅祭礼図屏風」に描かれている。

金毘羅祭礼図屏風は1702(元禄15)年の本社屋根吹き替えを記念して、元禄末に描かれたと伝えられている
金毘羅祭礼図屏風は1702(元禄15)年の本社屋根吹き替えを記念して、元禄末に描かれたと伝えられている

 「金毘羅祭礼図屏風」は、金毘羅大権現の大会式(例大祭)当日の様子を描いた六曲一双の図屏風で、左隻には二王門(大門)から本社に達するまでの山上の風景が、右隻には頭人行列や門前町など山下の有様が描かれている。各隻には、「清信筆」の署名と「岩佐(方印)」「清信(円印)」の押印があり、狩野休圓清信が金毘羅の依頼で元禄年間(一六八八―一七○三年)に描いたものと伝えられている。

 近年、絵画を「史料」として読む新しい歴史学の動きがあり、この図屏風にも二百四十八軒の建物と千四百九十二人の人物が描かれており、文献史料の乏しい元禄期の金毘羅門前町の様子や社会風俗などを知る上で貴重な史料となっている。

 参道沿いには瓦葺き屋根の家が多く、それ以外ではまだ板葺きや藁葺きの家が多かったが、道の両側には職人の家や宿屋、漆器・鉢・反物・弓矢・かんざし・鍋・道具・魚などを売る店が並び、お茶や菓子・食事を出す店もあった。店は開放的な造りで参詣客のための銭両替もあり、うどん屋のように看板や暖簾を出して営業している店もある。

歌舞伎や人形浄瑠璃などの小屋が集中する金山寺町周辺(部分)
歌舞伎や人形浄瑠璃などの小屋が集中する金山寺町周辺(部分)

 また、歌舞伎・人形浄瑠璃・相撲・見世物小屋なども描かれ、大勢の見物客でにぎわっている。今にも元禄時代の参詣客の息づかいや金毘羅門前町の雑踏の声が聞こえてきそうだ。

 二王門と鞘橋の前にはそれぞれ高札場(こうさつば)が設けられており、金毘羅領内でもこの二つの場所は特別な空間領域であったことがわかる。馬や駕籠も二王門前で待機している。

 参詣客は山伏・四国遍路・僧侶・武士・町人・職人など、様々な身分や職業に及び、いずれも表情豊かで老若男女や階層差に応じた風俗などをうかがい知ることができる。服装は小袖が主流で、格子や横縞模様が多く、女性の髪型も垂髪から髪を後ろで束ねる結髪スタイルに変わりつつある様子が描かれており、覆面姿の女性が目立つのも特色である。また、接客相手の遊女や衆道の姿も見られ、水垢離(みずごり)や喫煙、頭上運搬、幼児を着物の中で抱いたり、子供を肩に担いだりする風習があったこともわかる。

右端や中央付近に見えるのがうどん屋。店先にスルメイカのような看板を下げている(部分)
右端や中央付近に見えるのがうどん屋。店先にスルメイカのような看板を下げている(部分)

 いずれにせよ、この「金毘羅祭礼図屏風」の中には、歴史・絵画・芸能・民俗・信仰・建築・植生など、様々な分野のデータが隠されており、興味は尽きない。

(2003年11月30日掲載)

香川歴史学会会員・溝渕利博氏

みぞぶち・としひろ 1947年高松市生まれ。広島大学卒。高校教員となり、81年から文化財保護、85年からは香川県史編纂にも携わる。著書論文に『讃岐歌謡史』「金毘羅祭礼図屏風研究ノート」「金毘羅庶民歌謡史」「金毘羅参詣」(『地方史事典』弘文堂)などがある。専攻は中・近世文化史。「二十四の瞳」「藤十郎の恋」「三木高校歌」などの作詞も手掛ける。

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