「アラブの春」震源地チュニジア 「清廉な独裁者」を市民が支持 強まる独裁色

2022年10月3日 12時00分
<連載・揺らぐチュニジア~民主主義のともしび㊤>

8月下旬、鉄条網などで囲まれ閉鎖されたままのチュニジア議会の正門

 2011年に中東民主化運動「アラブの春」の震源地になったチュニジアで、大統領が自らの権限を強化して独裁色を強めている。民主主義に逆行するが、長引く政治と経済の混乱に失望した市民らは「現状が変わるなら」と強権政治を支持する。チュニジアにともった民主主義が揺れ動いている。(チュニスで、蜘手美鶴、写真も)
 鉄条網で囲まれたチュニジア議会の中庭では、肩から銃を下げた兵士が巡回していた。その横には装甲車が1台。昨年7月に大統領令で議会が停止して以降、議事堂の正門は閉ざされたままだ。
 ものものしい雰囲気とは裏腹に、市民は楽観的に見える。喫茶店を営むアイマン(35)は「大統領は汚職と無縁の良い人だ。そのうち議会も開くさ」。周りの男性客らも「心配ないよ」とコーヒー片手にうなずく。
 チュニジアでは大統領サイードが主導する「改革」が進む。19年に民主的な選挙を経て大統領となった憲法学者サイード。まず首相を解任して議会を解散させ、裁判官50人以上を罷免した。国民投票による承認を経て、8月には大統領権限を大幅に強化する新憲法が発効。大統領の権限をチェックできる機能はほぼなくなった。

チュニスで8月27日、国際会議に出席するサイード大統領

 手荒く見える改革だが、国民の大半は歓迎している。背景にあるのは従来の政治への強い失望だ。
 11年1月、「ジャスミン革命」で20年以上続いたベンアリ独裁政権が倒れた。市民らは、経済が発展し、表現の自由がある民主化した社会を思い描いた。しかし現実は、革命前まで抑圧されていたイスラム主義政党が躍進。その反動からイスラム主義への反発が広がり、政治は混乱に陥った。汚職がはびこり、経済も停滞したままだ。
 「政治家の100の約束は、100のウソになった。革命以来、チュニジアはまだ暗いトンネルの中にいる。トンネルから抜け出すためには改革が必要だ」。ジャスミン革命に加わり、民主化を願った高校事務職員ガッサム・ブアジ(33)もサイードを支持する。「汚職撲滅」「公平と正義」を繰り返し訴えるサイードの言葉は、苦しむ市民の心に響く。

8月下旬、チュニス市内で「政治家の約束は全てうそになった」と憤るブアジ氏

 市民の厚い信頼についてスファクス大教授のサミハ・ハムディは「大統領は国民の怒りをうまく利用している」と冷ややかだ。
 大統領令を駆使するサイードの手法を疑問視する声も強い。大統領令が合法かどうかは憲法裁判所が判断するはずだが、チュニジアにはいまだ憲法裁判所が存在しない。ハムディは「たとえ民意を得ていても法的根拠が不明確だ。大統領の改革手法は国にとって脅威となる」と懸念する。

8月下旬、チュニス市内で「改革を進めるべきだ」と話すマハフード弁護士

 チュニジアの民間4団体は15年、「対話を通じた民主化への取り組み」が評価され、ノーベル平和賞を受賞した。4団体の代表の1人として授賞式に出席した弁護士モハメドファデル・マハフード(56)は、サイードが議会を否定し、国民との対話を軽視して改革を進めることに危うさを感じている。「大統領の思いは理解できるが、誰しも1人では走れない。対話の場は絶対に必要だ」
 一部の市民はサイードを「清廉な独裁者」と呼ぶ。「少しぐらい独裁でもいい。現状さえ変えてくれれば」。このニックネームには、そんな思いがにじんでいる。(敬称略)

 アラブの春 2011年1月以降、中東・北アフリカで広がった一連の民主化運動。チュニジア中部で貧しい露天商の青年が焼身自殺したことでデモが始まり、その後に周辺国に波及。チュニジア、エジプト、リビア、イエメンでは長期独裁政権が倒れ、シリアは内戦に突入した。

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