八木詠美「空芯手帖」の謎

八木詠美の「空芯手帖」

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太宰治賞をとった時、「ウソ」だったはずの「妊娠」がいつの間にか本当になっている意味が分からず、当時産経で文藝時評をしていた石原千秋に「最初にウソだと言ったのがウソだったんじゃないか」というはがきを出したりしたのだが、そこのところはどういうわけかあまり話題にならないまま、世界各国で翻訳されているということになり、第二作では河合隼雄物語賞をとったので、文庫版の解説ではどうなっているのかと松田青子の解説を読んでみたら、主人公は「魔女」になったから妊娠が事実になる、と書いてあった。うーん。

車谷長吉「忌中」の虚実

 私は、伝記を書いた作家、つまり谷崎潤一郎久米正雄、里見弴、川端康成近松秋江大江健三郎江藤淳の著作は基本的に全部読んでいるが、それ以外にほぼ全作品を読んでいる作家となると、車谷長吉西村賢太になろうか。

 車谷の「忌中」という非私小説があって、私は好きなのだが、それは作中に越谷と水海道が出てきて、それが私の二つの郷里だからである。

 精神科医春日武彦は、2005年から06年にかけて『文學界』に「無意味なものと不気味なもの」を15回にわたって連載し、不気味な文学作品の短編を15本取り上げて論じている。のち文藝春秋から刊行されている。しかし本業でもないのによくこんなマイナーな小説を読んだなと呆れるくらいだが(ただし古井由吉高井有一富岡多恵子など、作者名は有名である)、その14回目で車谷の「忌中」を取り上げて論じている。「うふふ。」という変な題名である。

 筋をいえば、流山に住む菅井修治という66歳の金融ブローカーが、妻の病気に苦しみ、心中をはかるが妻だけ死んでしまい、妻の遺体を押し入れに放置したまま二ヶ月遊びほうけ、その後で自分も自殺して、「忌中」と書いた裏面に遺書を書いて、玄関に張っておいたという話である。車谷はこれを、朝日新聞2003年5月27日夕刊にあった三面記事を参考にしたと書いている。永井龍男の「青梅雨」みたいな趣向だ。だがその当該記事は見つからず、春日はフィクションだろうと書いているし、これを架空の記事とした論文もある。だが春日の本が今度中公文庫に入ったのを見たら、実は名前は違っているがほとんど同じ記事が1984年の朝日新聞にあった、という(実はこの発見は文藝春秋の元本の時からあったという)。

 

1984年8月18日夕刊

玄関に「忌中」の紙張り、自殺 野田で病気と借金苦の老夫婦

 十七日夜、千葉県野田市尾崎、金融ブローカー岡田幸八(64)方の玄関の戸に、「忌中」と印刷した紙が張りつけてあるのを、借金の取り立てにきた埼玉県内の金融業者が見つけ、千葉県警野田署に届けた。同署で調べたところ、台所で幸八が首をつって死んでいるのが見つかった。また、妻錦さん(65)の死体が十畳間の茶箱の中につめ込まれているのも発見され、「忌中」の紙の裏や十畳間にあった大学ノートに幸八が書いたとみられる遺書めいた走り書きも残されていた。
 死体の状態や遺書の内容から同署は、二カ月半前に病気を苦にして自殺した錦さんの死体を幸八が放置したうえ、多額の借金を抱える幸八もあとを追って自殺したものとみており、死体遺棄事件として調べている。
 遺書によると、六月四日、幸八と錦さんが、錦さんの高血圧を苦にして家の中で首つり自殺しようとしたが、錦さんだけが死に、幸八は死に切れなかった。幸八は死体の処置に困り、茶箱につめて隠した。また、幸八は、金融業や知人らから五百万円以上の借金があった。
 遺書には、借金の支払い能力がないため、「死にたい」などとも書かれており、妻の自殺と借金を苦にした幸八が後追い自殺したらしい。ただ、妻の自殺をなぜ警察に届けず、二カ月半も放置していたかなど、不審な点もあり、さらに調べている。
 幸八夫妻には、子供や身寄りがなく、近所付き合いもほとんどなかったことから、近所の人たちは事件には気づかなかった。

 

自筆年譜(小谷野敦)

1962年 12月21日、茨城県水海道市(現常総市)三坂町(三妻駅そば)に生まれる。父建三は時計職人。水海道一高へ行っていたが肺結核で三年病臥し、大学へ行きそびれていた。母清子は中卒で銀行に勤めていた。

1965年 6月、同市森下町に平屋一戸建てを建てて引っ越す。

    市内の二葉幼稚園(キリスト教系)に通う。

1967年 5月、弟が生まれる。秋、交通事故に遭う。
1969年 水海道小学校に入学、担任は海老原昭子先生。
1970年 11月、三島由紀夫事件の数日後、二度目の交通事故にあう。
1971年 4月、埼玉県越谷市に転居、出羽小学校に転校。担任は女性の町田先生。

1972年 4月、担任は男の佐々木先生。

1973年 4月、クラス替えがあり、担任は男の小林先生。人形劇「新八犬伝」が始まり、夢中になる。

1974年 4月、クラス替えがあり、担任は男の田沼先生。
1975年 小学校を卒業、越谷市立富士中学校に入学。「刑事コロンボ」「警部マクロード」に夢中になる。
1976年 夏、米国ミネソタ州ルカンにホームステイ。大河ドラマ風と雲と虹と」をきっかけに原作を読み、歴史小説好きになる。長編漫画『昔今後六名記』を書き始める。天皇制反対論者になり、男女平等主義者になる。

1977年 竹下景子のファンになり、結婚したいと思う。創刊された雑誌『フェミニスト』を買い始める。
1978年 1月、『万延元年のフットボール』を読み、衝撃を受ける。浦和高校受験に失敗し、私立海城高等学校に入学。大江健三郎を耽読し、自分も23歳で芥川賞をとろうと考える。いじめに遭う。

1979年 クラス替えがあるがいじめの親玉とはまた同じクラス。担任は現代国語の岡部由文(のち就実大学教授。専門は中古国文学)。成績が良くなり、いじめがやむが、他の生徒や教師へのいじめはやまず。アニメ「赤毛のアン」や人形劇「プリンプリン物語」、再放送していたアニメ「キャンディ♡キャンディ」に夢中になる。読書ではシェイクスピアを愛読。

1980年 川端康成三木卓に熱中する。初めて歌舞伎を観に行く。

1981年 卒業、東大入試に落ち、駿台予備学校に通う。吾妻ひでおが好きになる。

1982年 東大文科三類に入学。第二外国語はドイツ語。同じクラスに岡田直樹、鈴木晃仁がいた。サークル「児童文学を読む会」に入り、同人誌に小説や戯曲を書く。秋、駒場祭コクトーの「恐るべき子供たち」を劇化し演出する。
1984年 東大文学部英文科に進学。授業が退屈で失望する。

1985年 エドワード・オルビーで卒論を書き、楽しいと感じる。
1986年 英文科大学院入試に失敗、留年する。12月、中野里晧史教授が急死する。
1987年 「マクベス」で改めて卒論を書いて卒業し、大学院比較文学比較文化に進学。
1989年 「八犬伝」の英米文学との比較で修士論文を書いて、修士課程修了、博士課程進学。秋より駒場の郵政省電気通信研修所で英語を教える。
1990年 6月、修士論文を修正した『八犬伝綺想』を福武書店より刊行。8月、カナダのヴァンクーヴァーブリティッシュ・コロンビア大学博士課程に入る。

1991年 寮で立命館大学から来た日本人学生たちと知り合う。
1992年 同退学、7月に帰国。
1993年 4月、帝京女子短期大学で英語の非常勤講師。
1994年 4月、大阪大学言語文化部講師となる。12月、シンガポールでの「暗夜行路」会議に出席。

1995年 3月「夏目漱石を江戸から読む」を刊行するが、執筆依頼がなく、うつ状態になり病院に行って薬をもらう。
1997年 4月「男の恋の文学史」となる論文で学術博士号取得。助教授となる。10月『男であることの困難』、12月『<男の恋>の文学史』を刊行。
1999年 1月『もてない男』が売れる。3月、大学を辞職して東京三鷹に住む。明治大学兼任講師。秋、由本陽子と結婚式をあげる(入籍はせず)。12月『江戸幻想批判』を刊行。
2000年 夏、仙台旅行。
2001年 1月『バカのための読書術』刊行。3月『軟弱者の言い分』刊行、記念に岸本葉子と対談。4月、東大教養学部英語非常勤講師となる。「聖母のいない国」(ユリイカ)「日本恋愛思想史」(文學界)連載。5月、『明治の文学・田山花袋』を編纂。
2002年 6月『退屈論』刊行。7月、由本と別れる。11月、『聖母のいない国』でサントリー学芸賞。永福町に移転。12月、駒場で恋愛シンポジウム、金沢の星陵短大で講演。

2003年 6月『性と愛の日本語講座』刊行(『月刊言語』連載)。
2004年 3月、明大を辞職。8月『すばらしき愚民社会』(『考える人』連載)を刊行。9月、アルヴィ宮本なほ子と共訳のハロルド・ブルーム『影響の不安』を刊行。11月、『評論家入門』を刊行。

2005年 3月、『恋愛の昭和史』を刊行。10月、栗原裕一郎らとの共著『禁煙ファシズムと戦う』を刊行。

2006年 6月『谷崎潤一郎伝』刊行。7月、小説「悲望」を発表。続いて「なんとなく、リベラル」を発表。11月、母が肺がんと分かる。
2007年 4月、柴田葵と結婚、浜田山に転居。『文學界』の連載終わる。9月『日本売春史』(『考える人』連載)刊行。12月、母死去。

2008年 5月『童貞放浪記』刊行。12月『里見弴伝』刊行。
2009年 1月『美人作家は二度死ぬ』刊行。3月、東大をクビになる。猫猫塾を開く。4月『東大駒場学派物語』刊行。7月『私小説のすすめ』刊行。映画「童貞放浪記」公開。
2010年 2月『天皇制批判の常識』刊行。5月『日本文化論のインチキ』刊行。10月「母子寮前」発表、芥川賞候補となる。『現代文学論争』刊行。
2011年 東日本大地震。5月『久米正雄伝』刊行。
2012年 猫猫塾を閉鎖。集英社インター事件。12月、父死去。
2013年 2月『日本人のための世界史入門』刊行、15万部売れる。5月『川端康成伝』刊行。
2014年 「ヌエのいた家」が芥川賞候補となる。3月『馬琴綺伝』刊行。
2015年 2月『江藤淳大江健三郎』刊行。8月『このミステリーがひどい』刊行。
2016年 8月、深澤晴美共編『川端康成詳細年譜』刊行。

2017年 3月『芥川賞の偏差値』刊行。7月、35年間喫い続けたタバコをやめる。噛みタバコスヌースをやる。9月『文豪の女遍歴』刊行。11月『純文学とは何か』刊行。

2018年 4月『東十条の女』刊行。12月『とちおとめのババロア』『近松秋江伝』刊行。

2019年 6月、妻が交通事故に遭う。9月、大腸にポリープが見つかり切除する。小池昌代との対談『この名作がわからない』刊行。

2020年 コロナ騒動始まる。3月『歌舞伎に女優がいた時代』刊行。

2023年 7月『蛍日和』刊行。

 

日本の大学の博士号

「日本では昔は文系の博士号を出さなかった」というようなことを言う人がいる。これが「あまり」がついたり、「若い人には」がついたりすればいいが、「まず」「まったく」とか、「若い人にはまったく」とかつくと、それはデマである。実際には1924年以来多くの文学博士号が出ていて、中には30代の人もいる。そこでデマを防ぐために主な博士号取得者をあげておく。西洋文学系の場合、1960年ころからとらないことが増えるが、それは本国でとるほうが価値が高いと思われるようになったからだが、それにしては東大英文科の状況はひどく、中野好夫西川正身、大橋健三郎、平井正穂から、平石貴樹大橋洋一あたりまで、教授で博士号をとった人が、国内海外問わずいない。今は新井潤美阿部公彦など教員はまずとっている。英国と東大でとった河合祥一郎もいるくらいだ。あとフランス文学では菅野昭正、ドイツ文学では柴田翔、ロシヤ文学では川端香男里沼野充義がとっていない。本国でとるべしという強迫観念がこういう人を生み出したのか、私は知らない。

1924 笹川臨風「東山時代の文化」
1925 高野辰之「日本歌謡史」49歳
1926 平泉澄「中世に於ける社寺と社会との関係」31歳
   中村孝也「元祿及び享保時代における経済思想の研究」
1927 齋藤勇「詩ニ関スル「キーツ」ノ見解」60
1929 豊田実「ジョージ・エリオット研究」44歳
   諸橋轍次儒学の目的と宋儒(慶暦至慶元百六十年間)の活動」
1930 武田祐吉万葉集仙覚本ノ研究」
   辰野隆「ボオドレエルの態度」42歳
1931 大西克礼「カント「判断力批判」ノ研究」
   後藤末雄「拾七、拾八世紀ニ於イテ仏国思想上ニ及ホセル支那思想ノ影響」45
   金倉円照「ブリハダーラヌヤコーパニシヤツドバーシユヤの研究」
1934 藤懸静也「浮世絵起源論」
   橋本進吉「文祿元年天草版吉利支丹教義ノ用語ニツイテ」
   宇野円空「マライシアニ於ケル稲米儀礼
   久松潜一「日本文学評論史ノ研究」40
1935 金田一京助ユーカラノ語法特ニソノ動詞ニ就テ」53
   島津久基「近古稀覯小説ノ研究」
1937 坂本太郎大化改新の研究」
   出隆「ギリシア人ノ霊魂観ト人間学
1938 戸田貞三「家族構成」
   加藤常賢「爾雅釈親を通じて見たる支那古代家族制度研究」
1941 石川謙「石門心学史の研究」
1942 花山信勝勝鬘経義疏の上宮王撰に関する研究」44
1943 中村元「初期ヴエーダーンタ哲学史
   服部四郎元朝秘史の蒙古語を表はす漢字の研究」
   時枝誠記「言語過程説の成立とその展開」
1944 麻生磯次「近世文学の支那的原拠と読本の研究」
1945 鈴木信太郎「「ステフアヌ、マラルメ詩集」考」
   金子武蔵「ヘーゲルの国家論」
   相良守峯「独逸中世叙事詩研究」
   守随憲治「歌舞伎劇戯曲構造の研究」
1946 松浦嘉一「ダンの修辞的映像に現れたる彼の世界観及び将来の英帝国に対して彼の抱きたる幻想」
1947 前田陽一「モンテーニユとパスカルに於ける護教学的論証「レーモンスボンの弁護」と「パンセ」の関係についての研究」
   尾高邦雄「職業社会学
1948 池田亀鑑「古典の批判的処置に関する研究」
1950 玉井幸助「更級日記錯簡考」
   家永三郎「主として文献に拠る上代倭絵の文化史的研究」
   桂寿一「デカルト哲学研究」
1951 暉峻康隆「西鶴 :評論と研究」
   山本達郎「元明両朝の安南征路」
   岩生成一「南洋日本町の研究」
   倉野憲司「古典の研究」
1952 岩崎武雄「カントとドイツ観念論
   重友毅雨月物語の研究」
1953 小池藤五郎「徳川時代大衆文学の主軸である赤本、黒本、青本の研究」
   堀一郎「わが国民間信仰史の研究」
1954 高木市之助「古文芸の論」
   市古貞次「中世小説の研究」
1955 石田吉貞「藤原定家研究」
   宇野精一「先秦礼思想の研究」
   豊田武「中世日本商業史の研究」
1956 渡辺一夫「フランソワ・ラブレー研究序説」
   杉捷夫「スタール夫人文学理論(「文学論」一八〇〇年まで)成立課程の研究」
   有賀喜左衛門「日本家族制度と小作制度」
1957 志田延義「近世調成立期以前の日本歌謡史の諸問題」
   松尾聡「平安時代の散佚物語の研究」
   松村博司栄花物語の研究」
   小場瀬卓三「モリエールドラマツルギー
1958 小野忍「中国現代文学の研究」
1959 平川彰「律蔵の研究」
   阿部秋生「源氏物語研究序説」
   井上光貞「日本浄土教成立史の研究」42
   玉城康四郎「天台実相観における心の捉え方の問題」
   前田護郎「言語と福音」
1960 佐々木潤之介「幕藩制下基礎構造の研究」
   竹内敏雄「アリストテレスの芸術理論、美学的、文芸学的研究」
   大島建彦「民間文芸史の研究」
1961 高橋健二「ヘッセ研究」
   築島裕平安時代漢文訓読語につきての研究」
   児玉幸多「近世宿駅制度の研究」
   海老沢有道「南蛮学統の研究」
   手塚富雄ゲオルゲリルケの研究」
   高橋義孝「文学研究の諸問題 ドイツ文芸学を中心として」
   宝月圭吾「中世量制史の研究」
   竹内理三「日本に於ける貴族政権の成立」
   阿部吉雄「江戸初期儒学と朝鮮儒学
   詫間武俊「双生児法による遺伝心理学的研究」
   石田英一郎「河童伝説 日本の水精河童と馬を水中に引き入れんとするその習性とに関する比較民族学的研究」
   桝井迪夫「チョーサーの脚韻語の構造研究」47歳
   永積安明「日本中世文学の成立」
   三上次男「満鮮原始墳墓の研究」
   井上究一郎マルセル・プルーストの作品の構造」
   星野慎一「晩年のリルケの伝記的研究」
   西嶋定生「二十等爵制の研究」
   井本農一「蕉風を中心としたる俳諧史の問題的研究」
   大石慎三郎享保改革の経済政策」
   長沢規矩也「和漢書の印刷とその歴史」
   増谷文雄「アーガマ資料による仏陀の生涯の研究」
   武田清子「人間観の相剋」
   中島文雄「英文法の体系」
   佐藤進一「鎌倉時代より南北朝時代に至る守護制度の研究」
   小松茂美後撰和歌集 校本と研究」
   次田香澄「玉葉和歌集・風雅和歌集の研究」
   宮本常一「瀬戸内海島嶼の開発とその社会形成」
      梅津八三
   新城常三「社寺参詣の社会経済史的研究」
   尾山篤二郎「大伴の家持の研究」
  
1962 中村幸彦「戯作論」
   玉上琢弥「源氏物語研究」 
   犬養孝萬葉集の心情表現とその風土的関聯につきての研究」
   伊東一夫「島崎藤村の人と文学における諸問題」
   渡辺照宏「摂真実論並びに釈の研究」
   金岡秀友「ミーマーンサー・スートラ研究」
   田村芳朗「鎌倉新佛教の研究 日蓮思想の周辺」
   福鎌忠恕「モンテスキュー社会学思想」
   関敬吾「日本昔話の研究」
   三角寛「サンカ社会の研究」
   魚返善雄「文体理論の言語学的研究」
   辻達也「享保改革の研究」
   井浦芳信「日本演劇史の研究」
   金田一春彦「邦楽古曲の旋律による国語アクセント史の研究」49
   笠原一男一向一揆の研究」46
   鎌田茂雄「華厳思想史研究」
   赤塚忠「周代文化の研究」
   大畑末吉「ゲーテにおけるスピノチスムス」61
   護雅夫「古代北アジア遊牧民族史の研究」
   早島鏡正「パーリ仏教における実践の発展」
   石田瑞麿「日本仏教における戒律の研究」
   藤堂明保「上古漢語の単語群の研究」
   花山勝友「十住心論の研究」
   小林正「「赤と黒」成立過程の研究」
   前田恵学原始仏教聖典の成立史的研究」
   榎一雄「エフタル勃興前後の中央アジア
   下村富士男「明治初年条約改正史の研究」
   佐藤晃一「トーマス・マン研究」
   小林太市郎「大和絵史論」
   菊池栄一「イタリアにおけるゲーテ
   福武直「日本村落の社会構造」
   登張正実「ドイツ教養小説
   窪徳忠庚申信仰の研究」
   小島憲之「出典論を中心とする上代文学の考察」
   安士正夫「バルザック研究」
   国松孝二「ニーチェ伝研究序説」
   斯波義信「宋代における商業的発展 : 宋代商業史のための基礎的研究」 

1963 中西進万葉集比較文学的研究」34歳
   池田弥三郎「日本芸能伝承論」
   渡辺二郎ハイデッガー哲学の研究」
1964 神品芳夫「表現形式からみた後期リルケ
   杉富士雄「「聖女フォワの歌」の文学的一考察」
   鳥居修晃「視野における・・・」34歳
   石井進鎌倉幕府律令国家の関係についての研究」33歳
1965 戸張智雄「ラシーヌ悲劇の成立におよぼせるギリシャ古典の影響」
1966 諏訪春雄「近代演劇史の研究」36歳
1967 鹿取広人「認知・・・」39歳
   中村雄二郎パスカルとその時代」37歳
1968 小栗浩「「西東詩集」研究 :その愛を中心として」
1969 小堀桂一郎「若き日の森鴎外」36歳
   亀井俊介近代文学におけるwhitmanの運命」37歳
   柴田武「言語地理学の方法」
   秋山光和「平安時代世俗画の研究」
1971 森暢「歌仙絵の研究」
   布目嘲風「隋唐史研究 唐朝政権の形成」
   吉田六郎「ホフマンー浪漫派の芸術家」
   大曽根章介「本朝文粋の研究」
1972 高崎直道「インド大乗仏教における如来蔵思想の形成に関する研究」
   伊藤勝彦「デカルトの人間像」43歳
   原実「Tapas研究」
1973 前田専学「シャンカラ研究序説 「ウパデーシャ・サーハスリー」とその哲学」
   湯浅泰雄「近代日本の哲学と実存思想」49歳

1974 平川祐弘「和魂洋才の系譜」43歳
   小山敦子源氏物語の研究」43歳
   石田穣二「源氏物語論集」
   島田謹二「日本における西洋文学の考究 比較文学研究」72歳
   今道友信「同一性の自己塑性」
   木藤才蔵連歌史の研究」
   山本正秀「近代文体発生の史的研究」
   河竹登志夫「近代日本演劇とハムレット ハムレット移入史の研究」
1975 江藤淳夏目漱石「薤露行」の比較文学的研究」43歳
   福田秀一「中世和歌史の基礎的研究」
   下出積与「日本古代の神祇と道教」48歳
   中山恒夫「ホラテイウスと民衆」
   江島恵教「Bhavavivekaを中心とする中観学派の研究 : 空性論証の論理をめぐって」 
1976 太田雄三「日本のキリスト教徒における世界主義と日本主義 :内村鑑三を中心として」38歳
   小林一郎田山花袋研究」
   加藤秀俊「コミュニケイション体系と社会体系」46歳
   前野直彬「中国小説史考」
1977 渡辺守章ポール・クローデル 劇的想像力の世界」44歳
   山中裕「平安朝文学の史的研究」
   清水礼子「スピノザ研究」
1978 風間喜代三「印欧語の親族名称の研究」
1979 久保田淳「新古今歌人の研究」
   神作光一「曽禰好忠集の研究」
   国広哲弥「意味論の方法」
   西尾幹二「初期のニーチェ」46歳
   山口瑞鳳吐蕃王国成立史の考証的研究」
1980 義江彰夫鎌倉幕府地頭職成立史の研究」43歳
   目崎徳衛「西行の思想史的研究」
1981 鈴木康司「下僕像の変遷に基づく十七世紀フランス喜劇史」
   佐藤次高「アラブ中世社会史研究」
   森祖道「パーリ・アッタカターの研究」
1982 伊井春樹「源氏物語注釈史の研究 室町前期」
   稲垣良典「習慣の哲学」
1983 谷脇理史「西鶴研究序説」
   田仲一成「中国祭祀演劇研究」
1984 高村直助「日本資本主義史論」48歳
1985 荒井貢次郎「近世被差別社会の研究」
   稲岡耕二「万葉表記論」
   黛弘道「律令国家成立史の研究」
   山口佳紀「古代日本語文法の成立の研究」
   芳賀徹「絵画の領分」
1986 山下宏明「平家物語の生成」
1987 田代慶一郎「文学としての謡曲
   長谷川寿一「野生チンパンジーの性行動」35歳
   金井円「日蘭交渉史の研究」
   岩田靖男「アリストテレスの倫理思想」
   井田進也中江兆民のフランス」
1988 山口仲美「平安文学の文体の研究」
   上村勝彦「インド古典演劇論における美的経験 Abhinavaguptaのrasa論」
1989 桜井由躬雄「ベトナム村落の形成 村落共有田=コンディエン制の史的展開」
   笹山晴生「日本古代衛府制度の研究」
1990 遅塚忠躬「ロベスピエールとドリヴィエ フランス革命の世界史的位置」
   永積洋子「近世初期の外交」

 

 

エミール・ギメと「忠臣蔵」

エミール・ギメはフランスの富豪で、明治初期に来日して日本を見て回り、浮世絵などを大量に買い込んでフランスでギメ美術館を作ったり、日本についての著述をした人で、その挿絵を友人のフレデリック・レガメーが描いている。

 そのギメの『明治日本散策 東京-日光』(角川ソフィア文庫)を読んだら、赤穂事件について詳しい解説があったのだが、ギメはこれを、近松門左衛門の「碁盤太平記」をもとにして書いている。確かに事件を太平記の世界に移し、吉良を高師直、大石を大星由良助としたのは近松だが、当時知られていた「忠臣蔵」といえば、竹田出雲・並木千柳らの作で、ちょっと疑問が残ったから、調べようかと思ったが、別に事実関係に間違いはないし、手間がかかる割に大したことにはならないだろうと思ってやめにした。

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高村光雲「幕末維新懐古談」レビュー

岩波文庫版で読んだのだが、これは青空文庫にも入っている(ただしバラバラなので注意が必要)。高村光雲の懐古ばなしを、大正11年に日曜ごとに光太郎と田村松魚が聞いて、松魚が筆記したものだが、ですますの語り口調でべらぼうに面白い。それはまあ、光雲が才能があって作品が評価されちゃくちゃくと出世していくということの、出世物語的な面白さには違いないのだが、長女の夭折とか、廃仏毀釈とか苦労をしたところもあって、それが時代の職人の精神でさらり、さらりと流していく、そこに何ともいえぬ清々しさを感じる。

 確かに意識は古めかしいのだが、それが嫌な感じがしないというのは、もしかすると田村がそういうところを削った可能性もあるのだが、筆記者田村もまた大したもので、近時久しぶりに面白いものを読んだ。

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