映画「日本人の忘れもの」フィリピン残留2世、老境に願う日本国籍取得
太平洋戦争下のフィリピンで、日本人の父親が日本軍の軍属に徴用されるなどして離れ離れとなった母子らが敗戦後、迫害を恐れて山奥に逃げ込み、身を隠すように生きてきた-。残留日本人2世に焦点を当てたドキュメンタリー映画「日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人」(小原浩靖監督)が8月、鹿児島市と大分県別府市のミニシアターで公開される。
戦後75年。中国残留孤児たちの戦後の歩みと重ね合わせて作品に映し出されるのは、日本政府から放置され無国籍状態のまま老境を深めるフィリピンの残留2世たちが、日本国籍取得を願う姿だ。プロデューサーで弁護士の河合弘之さん(76)は「2世たちはその存在もほとんど知られてこなかった。『自分を日本人だと認めてほしい』という肉声に耳を傾けてほしい。日本社会はその声にどう向き合うのか、ともに考えたい」と呼び掛ける。
河合さんは旧満州(中国東北部)生まれで、弁護士として長年、中国残留日本人孤児の帰国・永住支援に取り組んだ。同時に、フィリピン日系人リーガルサポートセンター代表理事として、フィリピン残留日本人2世たちを現地に訪ね、日本での父親探しや国籍取得を支援してきた。
映画は、2世たちを訪ね歩き、日本人と分かる手がかりや父親を巡る情報を聞き出そうとする河合さんら同センター関係者を追いながら、もう平均で80代半ばという2世たちの素顔に迫る。
父親が熊本県出身でミンダナオ島在住の赤星ハツエさん(93)は、ヤシ林の奥にある吹きさらしの家に住んでいた。日焼けした顔のしわと、きちんとまとめた白髪、ピンク色のTシャツ。何よりも痩身(そうしん)が気になる。
父親は戦前、フィリピンに移住し麻や野菜を栽培したが、日本軍の軍属に徴用された。米軍がフィリピン奪還作戦で上陸すると戦火が激しさを増し、フィリピン人の母親と妹と3人で家を捨て山奥に避難した。「逃げんとね(逃げないと)、殺されるよ」。赤星さんは死と隣り合わせだった当時の逃避行を振り返って語る。
戦後は父親と生き別れたまま、日本人の子という出自を隠し、母、妹とほそぼそと農業をしながら暮らした。同センターの支援で2013年に日本国籍を取得。その際に、父親は米軍捕虜となり日本に強制送還され、既に1960年代に亡くなっていたことが分かった。
フィリピン残留日本人2世で無国籍状態の人たちは現在、910人(2020年3月現在)。日本政府の支援で帰国・永住している中国残留孤児と違い、父親探しや国籍取得に対する政府支援がほとんどない。