金銀鈿荘唐大刀は、中国・唐代の儀礼刀の典型と考えられている。全長99・9センチ。手で握る部分は木製で鮫の皮を巻いている。鞘も木製で動物の薄い皮を張り、漆を塗って金の蒔絵を施している。研いでは塗る工程を繰り返して文様部分は盛り上がり、また点描のような表現になっている。これが動物や草花の姿をより優雅にしている。部分的に銀製鍍金(ときん)の透かし彫り金具をかぶせて、水晶や色ガラスの玉をはめ込んでいる。明治期に補修されている。
室瀬さんは、昭和20年代末と40年代中頃に行われた正倉院宝物の漆芸調査を踏まえ、蒔絵の金粉が大小混在していること、金粉文様の周囲に、まるで縁取りをしたかのような濃い色の漆があることなどに着目。濃い色の漆は金粉を定着させる「粉固め」のためと判断し、周辺に広がる4層の塗り込みと合わせ、計5 回も漆が塗り重ねられていたとみた。4層の塗り込みは、塗っては研ぎ、また塗っては研ぐという作業を4回繰り返したことを意味する。
それでは、金粉の大きさが大小不ぞろいなのは、なぜだろうか。
室瀬さんが試作し技法を確認するには、この唐大刀と同じように不ぞろいな金粉を作る必要があった。現代用いる金粉はもっと細かく、大きさも均一だ。「鑢 (やすり)粉」という言葉を手がかりに、試しに数種類の鑢で金の塊を削り、金粉を作ってみたが、唐大刀ほど不ぞろいにはならない。また、金は柔らかいため、一部の粉は、Cの字形にカールしてしまった。バターやチョコレートの表面をナイフなどで薄く削いだ時に起きる現象と同じである。
どうすれば唐大刀と同じ金粉を復元できるか。答えの一つは正倉院宝物の中にあった。それは「十合鞘御刀子(じゅうごうさやのおんとうす)」の一つで、鑢(やすり)である。
現代の鑢は、目がそろっていて鋭く切れる。ところが正倉院宝物の鑢を拡大して見ると、目は明らかに不ぞろいで、とがった三角形の先端の向きもバラバラだった。切れ味も鈍そうである。
また、同事務所で唐大刀の蒔絵部分に蛍光エックス線を当てて分析したところ、金粉は、銀が5%、銅が1%含まれている金であることがわかった。銀を少量混ぜることで金は少し硬くなり、鑢にかけた際に粉がカールしにくくなる。
銀を少量混ぜた金で、正倉院宝物の鑢のように目が不ぞろいの鑢を新たに作り、削ってみると、唐大刀と同様の金粉ができた。室瀬さんはこれを用いて鞘の蒔絵を実際に製作し、技法を確かめた。4回の漆の塗り込みや研ぎ出しも、その都度方法を変えた。金粉が不ぞろいなため、粗く大きな粉は研ぎ出しで表面が削られる。細かく小さな粉は塗り込みで埋没する。小さな粉は埋没しても、漆の薄い層を通して赤く見える。こうして繊細な点描の文様が生まれたことが追認できた。
正倉院宝物として伝えられてきた古代の道具、そして現代の分析機器結果が、人間国宝の技と経験を支えた。
「金粉の大きさが不ぞろいなため、結果的には、文様は(点描のような)粗い線になっているが、下図は相当優れた絵だったのではないか」と室瀬さんはみる。「何より直接拝見することができて、本当に感動しました。師匠の松田権六先生から何度もお話をうかがっていましたから」
室瀬さんはこの技法を、試作を通じて、平安時代以降の日本の蒔絵の源流と改めて位置づけた。だが、中国製か日本製かと尋ねると、こう述べた。「難しいですね。類例が他にないので。どちらとも取れる。近い将来、必ず類例がでてくると信じています」
漆芸家で人間国宝だった松田権六氏は以前の正倉院漆芸調査に参加していた。著書「うるしの話」(岩波文庫)でもこの唐大刀について触れている。また別の漆器の項でこう記す。「正倉院文化が全面的に中国文化の輸入だと断定できるかどうかという問題とからんでくると思う」
正倉院宝物は、蒔絵技法一つとっても、大きな問題をはらんでいるのである。
(読売新聞大阪本社記者・戸田 聡)
(2011年7月29日 読売新聞)