昭和53年8月に新潟県真野町(現佐渡市)から北朝鮮に連れ去られ、平成14年10月に帰国した拉致被害者、曽我ひとみさん(56)が9月5日にさいたま市浦和区で開かれた集会に出席し、講演した。約1時間にわたって、曽我さんは拉致された状況や北朝鮮での生活、一緒に拉致されて今も帰国を果たせていない母、ミヨシさん(83)=拉致当時(46)=との思い出について語った。講演の主な様子は次の通り。
「自分の身に置き換えて」
私が帰国してから今年で13年目になります。この間、帰国できたのは私を含め5人(曽我さんのほかは蓮池薫さん・祐木子さん、地村保志さん・富貴恵さんの4人)だけです。これまでに政府をはじめ関係機関の方々も拉致被害者救出に尽力いただいたことと思っております。
しかし、一向にほかの被害者を取り戻すことができずにいます。あまりにも長い時間がたっているため、今の小中学校の子供たちは拉致そのものを知らないほうが多数であり、また大人の方も当時より興味、関心が薄らいでいるように感じています。
「まだか、まだか」と毎日心が折れそうになりながらも、日本に帰る日が必ず来ると信じて助けを待っている被害者がいることを、そして二度とこのような悲劇を繰り返さないこと、被害者を取り戻すにはどうしたらよいのかを真剣に考えていただきたいと思います。
私の話がどれくらい皆さんの心に伝わるかは分かりませんが、もし自分が被害者だったら、もし被害者を持つ家族だったらと置き換えてみてください。
母子に襲いかかる3人の男たち
昭和53年8月12日土曜日午後7時過ぎ、思いだすのも忌まわしい日。でも決して忘れることのできない日です。
当時学院(看護学院)の寮に住んでいた私は週末、必ず実家に帰っていました。当然12日も実家に帰っていました。母はいつも通り仕事に出ていました。帰宅後、家族で夕食を取りました。明日はお盆を迎えるということで、母は買い物前にお墓にそなえる赤飯の支度をしていました。準備をしていて足りない物があることに気づき、買い物に出ようということになったのです。
日も暮れかかっていたのですが、特に警戒することもなく、2人で近所の雑貨屋まで買い物に出かけました。家からそう遠くない400~500メートルぐらいの距離でしょうか。同じ集落内にある雑貨屋で買い物をし、店を出て他愛のない話をしながら歩いていたのですが、後ろのほうから人の足音がしてきました。特に私たちを抜き去るほどのスピードで歩いているわけではなさそうでしたが、でも間隔が徐々に縮んでいる気配を感じました。
それで母と一緒に後ろを振り向きました。3人の男性が歩いています。「なんだろうね」「ちょっと気味が悪いな」といいながら、足を止めることもなく家に向かっていました。変な感覚はあったものの特に身構えて警戒することもなかったように思います。家まで100メートル足らずというところまで来たときでした。男性3人が足早に駆け寄り、私と母に襲いかかってきました。