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HPV母子感染 知られざるリスク

谷口恭・谷口医院院長

理解してから接種する−−「ワクチン」の本当の意味と効果【14】

 ワクチンシリーズ第11回「あなたにも起こるかも…尖圭コンジローマがもたらす苦悩」で紹介した男性、松本隆平さん(仮名)は、奥さんではない女性との性的接触で尖圭コンジローマに感染し、発症していました。松本さんの言葉をそのまま借りると「尖圭コンジローマなんて病気知らなかったし、そもそも性感染症はコンドームで防げると思っていた」そうです。

“浮気”で感染した男性は妻を診察に連れてこなかった

 コンドームですべての性感染症を防げるわけではありません。たしかにHIV(エイズウイルス)やC型肝炎ウイルスであれば、コンドームでほぼ予防することができます(ただしオーラルセックスでの感染もあります。私が経験した症例でも、生涯ただ一度のオーラルセックスでHIVに感染したという人がいます。コンドームはオーラルセックスにも用いて初めて有効なのです)。一方、コンドームをきちんと使用したとしても防げない性感染症もたくさんあります。もしワクチンを接種していないならB型肝炎ウイルスが最も危険ですし、梅毒や性器ヘルペスもコンドームで防げません。尖圭コンジローマについても同様です。

 私は松本さんに、奥さんの診察が必要であることを何度も言いました。彼自身は幸いなことに、液体窒素療法を数回おこなっただけで性器のイボは完全に消失し、その後受診していませんから、おそらく再発もしていないのでしょう。しかし、ついに奥さんを連れて来ることはなく、最後の診察時にも「まだ伝えていない」と話していました。「浮気」をしてしまったことが言えない彼の気持ちは理解できなくはありません。しかし、この感染症を奥さんにうつすと大変やっかいなことになります。そしてこの夫婦は不妊治療を受けているというのです。

妊娠中のHPV感染は特に危険!

 前回までに述べてきたように尖圭コンジローマは、男性よりも女性の方が治療は厄介です。膣内に発症しても自身では分からないからです。尖圭コンジローマの潜伏期間は長ければ数カ月から半年にもなり、膣内のみに出現した場合はイボが少なくとも1〜2mmのサイズになるまでは発見が困難なため、感染、発症を知るまでさらに時間がかかります。松本さんの例ように、夫に尖圭コンジローマが発見された場合、最後に性交渉をもった時点から少なくとも半年程度は性交渉を再開すべきでない、ということになります。これは不妊治療をおこなっている夫婦には耐えられないつらさとなるに違いありません。

 なぜそこまでして奥さんへの感染を防がねばならないのでしょうか。尖圭コンジローマは「治る病気」です。しかし、妊娠してからの発症は可能な限り避けなければなりません。それは、尖圭コンジローマの原因であるヒトパピローマウイルス(HPV)が妊娠中の女性から子供に母子感染したとき、「喉頭(こうとう)乳頭腫」という尖圭コンジローマに輪をかけて厄介な疾患が、赤ちゃんに起こりうるからです。

計53回も 再発→手術の繰り返し

 喉頭乳頭腫とは、分娩時の母子感染により、生まれてくる赤ちゃんに生じる喉頭(のどの奥)の腫瘍です。原因ウイルスは尖圭コンジローマを起こすのと同じ種類のHPVと言われています(注)。治療法は手術しかなく、全身麻酔で行う必要があります。手術をすれば腫瘍は切除できますが、問題は「再発の多さ」です。尖圭コンジローマの特徴も再発の多さでした。しかし尖圭コンジローマの再発なら、再び液体窒素療法や外用療法を行えばいいのです。しかし、喉頭乳頭腫の場合、再発すれば、再び入院し全身麻酔での切除手術が必要です。

 ある国内の報告では、喉頭乳頭腫の平均手術回数は18.1回、最大ではなんと53回の手術を行った症例もあります。のどの奥にできる腫瘍ですから、大きくなれば気道閉塞して窒息してしまう可能性があり、場合によっては首にメスを入れて呼吸のための管を入れる気管切開を行わねばなりません。

 53回もの手術……。全身麻酔はそれなりにリスクがあり、体に負担もかかります。喉頭乳頭腫を根本的に防ぎ、こんな事態を避けるには、妊娠中の尖圭コンジローマ発症、あるいはその原因となる種類のHPV感染を何としても防ぐことです。それを伝えようと、松本さんに奥さんに話すように繰り返し言ったのですが、残念ながら私の説得は通じませんでした……。彼はその後受診していません。奥さんに感染しなかったことを祈るばかりです。

HPVワクチン接種が最も効果的な対策

 松本さん、同じ回で紹介した女性の患者さん、山岡彩花さん(仮名)、2人とも尖圭コンジローマなんて病気は知らなかったと話していました。この病気がまれだからでしょうか。国立感染症研究所のウェブサイトでは、年間発症者は5000人程度、2014年の実績は5687人とされています。しかし、こんなに少ないはずがありません。この統計は定点報告対象といって「定点」と決められた医療機関のみの報告です。そして患者さんは定点の医療機関を探して受診するわけではありません。実際、定点の平均患者数は年間わずか5.83人です。一方、私が院長を務める太融寺町谷口医院は定点ではありませんが、少ない年でも年間30人以上の尖圭コンジローマの患者さんを診ています。決してまれな病気ではないのです。そして「治る病気」とはいえ、尖圭コンジローマがいかに悩ましい感染症であるかがお分かりいただけたと思います。

 では尖圭コンジローマの最も効果的な対策とは何でしょうか。それは「HPVワクチン接種」です。ワクチンによりこの悩ましい疾患に感染する可能性が激減するのです。尖圭コンジローマの話は今回で終了ですが、ワクチンについては後の回で詳しく述べます。

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注:ヒトパピローマウイルス(HPV)には100種類以上の型があります。尖圭コンジローマや喉頭乳頭腫の原因ウイルスは、このうちの6型と11型が大部分を占めます。子宮頸がんを起こすリスクが高いとされているのはこれとは別の16型、18型でこれらは「ハイリスク型」と呼ばれます。

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谷口医院院長

たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。