「異国船舶来話并図」に描かれた漂着船(県立文書館提供)

「異国船舶来話并図」に描かれた漂着船(県立文書館提供)

 幕末の1829(文政12)年、牟岐沖に現れた黒船は、イギリスの囚人が強奪した海賊船である可能性が高いことが分かった。有名な異国船漂着事件でありながら、当時は英国艦船としか分からず、実態は謎だった。英国出身の英会話講師ニコラス・ラッセルさん(51)=兵庫県芦屋市在住=が、約2年かけて歴史書や当時の新聞を調査し突き止めた。

 事件は、徳島藩士浜口御牧(ぎょぼく)が30(文政13)年に著した挿絵付きの見聞記「異国船舶来話并(ならびに)図」(篠原家文書)に紹介されている。

 牟岐町の出羽島に別荘を所有するラッセルさんが、見聞記を解読した史料「異国船牟岐浦漂着」(徳島の古文書を読む会)を読み、2015年から調査を始めた。英紙タイムズの記事(1830年10月18日付)や、オーストラリアの歴史書「キプロス号を盗んだ男」などと照合。その結果、船は英国の囚人収容所があった豪タスマニア島で、護送中の囚人が反乱を起こして奪った「キプロス号」と分かった。

 船の大きさ、帆柱の高さ、乗員の服装と人数、漂着時期がほぼ同じだったほか、弾が撃ち込まれて開いた船の穴の位置が歴史書などと一致した。

 今回の発見は、英紙ガーディアンが5月28日付で報道。調査に協力した徳島県立文書館の徳野隆館長は「黒船がキプロス号だった可能性は非常に高い。異国船の実態をつかみ、幕末の空白を埋める成果」と評価した。駐大阪オーストラリア総領事デイビッド・ローソンさんも「キプロス号の可能性が高い」とコメントした。

 異国船問題に詳しい下関市立大の鴨頭(かもがしら)俊宏講師は「貿易船ではなく海賊船だった点で、想定を超える国際的な有事が発生する可能性があった」と話した。

 ラッセルさんは「歴史解明の面白さを味わった。オーストラリアにはキプロス号を題材にした歴史書2冊と、民謡がある。ただ、徳島には触れていない。今後も調査を重ねたい」と語った。

◆異国船牟岐浦漂着事件

 1829年12月20日午前9時ごろ、英国籍の黒船が日和佐沖に現れ、その後、牟岐沖に移動した。徳島藩士や多くの農民が沿岸を警備。23日、徳島藩は幕府の異国船打払令に従って発砲したところ、船は出港し、行方不明になった。