理想の私邸、守り続ける 聴竹居(時の回廊)
京都府大山崎町
竹中工務店の一人のサラリーマンが阪神大震災を機に社史を調べ、87年前にOBが手がけた重要文化財級の私邸がひそかに現存していることを知った。場所は京都府大山崎町の天王山の中腹。取り壊しを防ぐためボランティアで管理し、地域住民の協力を得て保存活動に取り組む。日本の住宅史に欠かせない貴重な建物をよみがえらせる――。そんなサラリーマンの夢の物語が紡ぎ出された。
■有志で保存活動
建物は建築家、藤井厚二が日本の住宅の理想を追求して建てた私邸で、「聴竹居(ちょうちくきょ)」と名付けられている。
戦前、竹中工務店に在籍した藤井は1916年竣工の大阪朝日新聞社ビル(大阪市、現存せず)などの設計デザインを手掛けた。3年後に退社し京都帝国大学教授に就き、28年、天王山の竹やぶを切り開いて聴竹居を建てた。「竹林の風の音を聴きながら静かに暮らす」心境だったのだろう。
ボランティアで保存活動に乗り出したのは、竹中工務店社員の松隈章さん(57)。「阪神大震災の翌96年に初めて聴竹居を見学し、不思議な魅力を感じた。藤井の発想の奥深さに引き込まれた」と振り返る。
数寄屋造りと欧米風のモダニズム建築との融合。畳の部屋もあれば椅子・テーブルの部屋もある融通性。そして何より「風の気流や太陽の採光など自然の力を生かし、工夫をしている」と松隈さんは解説する。昭和初期は冬の暖房器はあったが、高温多湿の夏の快適な過ごし方が課題だった。床下に土管を埋め、風通しの良い庭の木陰から室内の通気口に外気を直接送り込む仕組みを造った。
藤井の子孫が貸家にして第三者が住み続けていた2008年、転機が訪れる。親交を深めていた子孫から「残していきたいが、老朽化で維持管理が心配だ」と相談を受けた松隈さんが、自ら借家人になったのだ。
「維持費を捻出するため有料で一般見学に対応する体制にしたらどうか」と大山崎町職員から提案を受けた松隈さんは、紹介された地元有志6人とともに、維持管理をするボランティア組織をつくった。見学ガイドも運営。貴重な古民家を内覧できると評判を呼び、今や年3000人以上の見学者が訪れる。
■町おこしにも
松隈さんは「20年前は竹中工務店の社内で聴竹居を知る人は少なかった。それが今では新入社員の皆が『学生時代に見学に行きました』と言ってくれる」と目を細める。地元ボランティアの荻野和雄さん(71)は「ガイドの仕事は生きがいになった。町おこしにつながった」と話す。
竹やぶを開いて造った聴竹居の園庭は、藤井が愛(め)でた紅葉の木々が生い茂り、もうすぐ錦秋に染まる。風になびく枝葉の音は藤井の言霊のように聞こえる。「日本には優しい人の絆や四季折々の自然を生かした暮らしがある」と。
文 京都支局長 岩田敏則
写真 大岡敦
《ガイド本》公式ガイド「聴竹居 藤井厚二の木造モダニズム建築」(松隈章著、税込み1836円)が3月、平凡社から出版された。