初の近代的植物図譜か シーボルト来日前に作成?
「彩色ジャワ植物図譜」の成立過程の解明は今後の課題だが、京都大の松田清名誉教授は「1823年に来日したドイツの医師で博物学者のシーボルトが日本人に初めて近代的植物画を指導したとされているが、それ以前に作成されたと推測できる」と指摘する。
植物図譜の大半の図に、25枚目の表を示す「二五ヲ」などの記号があり、和とじの植物図集を模写した際に付けたとみられる。植物図譜以前に、原本を模写した和とじ本があったと考えられる。
植物図譜の約8割で、葉や花、枝など、同じ植物と確認するのに必要な部分だけを彩色する模写方法がみられた。この方法は、蘭学者の宇田川榕菴以前では、総合的博物誌「本草綱目啓蒙」を著した京都の博物学者、小野蘭山(1729~1810年)の特徴という。
初の近代的植物画は、23年に来日したシーボルトから指導を受け、榕菴や長崎の絵師、川原慶賀が描いた絵とされている。
これに対し、松田名誉教授は「シーボルトの書き入れがある、榕菴の現存する約300の植物図と比較して、植物図譜はそれ以前の作と考えられる」と指摘。「蘭山がノローニャの原本から和とじの模写本を作り、それを榕菴が京都に滞在した記録がある18年7月ごろに模写したのではないか。日本に現存する最古の近代的植物写生図の可能性がある」と話す。〔共同〕