歌手 KANさん死去 61歳 「愛は勝つ」などのヒット曲

ヒット曲「愛は勝つ」などで知られる歌手のKANさんが今月12日に亡くなりました。61歳でした。

KANさんは福岡県出身で、都内の大学を卒業後、1987年にアルバム「テレビの中に」でデビューしました。

自身が作詞作曲を手がけ、1990年にアルバムの収録曲として発表した「愛は勝つ」は躍動感あるメロディーと、どんな困難に直面しても信じることを呼びかけ、最後に愛は勝つと励ます歌詞が大きな共感を呼び大ヒットとなりました。

音楽ソフトの売れ行きを調査しているオリコンによりますと、「愛は勝つ」の売り上げはこれまでにCDやレコードなどで201万枚余りとなっています。(オリコン調べ 2023年11月20日現在)

また、「愛は勝つ」は東日本大震災で被災した人たちを応援しようと開かれたイベントで合唱されるなど災害からの復興を願う応援ソングとしても親しまれています。

KANさんは公式ホームページで、ことし2月に「メッケル憩室がん」と診断されたことを公表し、演奏活動を休止して療養生活を送っていると発表していました。そして、先月28日には自身のSNSに「治療専念のため、お休みをいただきます」と投稿していました。

所属事務所によりますと、KANさんはことし3月から療養生活に入って入退院を繰り返しながら活動再開を目指していましたが、がんのため今月12日に亡くなったということです。61歳でした。

メッケル憩室がんとは

消化器外科が専門の大阪警察病院の水島恒和副院長によりますと、メッケル憩室がんは小腸の一部の「メッケル憩室」という部分にできる珍しいがんだということです。

メッケル憩室は、すべての人にあるわけではなく、2%から3%程度の人に見られるとされています。

メッケル憩室がんは珍しいがんとして知られ、早期の診断は難しいとされていて、アメリカでの報告によりますと、1973年から2006年のがん登録のデータを分析したところ、り患率は、1000万人当たり1.44人だったということです。

ピアノの先生「もう一度ピアノを聴いてみたかった」

歌手のKANさん、本名、木村和さんが小学生から中学生だった頃にピアノを教えていた福岡市の中村順子さん(80)は「素直な演奏をする子だった。もう一度和くんのピアノを聴いてみたかった」と教え子の訃報を悲しんでいました。

中村さんは、KANさんが小学生の頃から中学2年生まで、週に1回、1時間ほどピアノを教えていました。

KANさんはレッスンをほとんど休むことがなかったということで、当時の印象について中村さんは「素直なお坊ちゃまでした。没頭して弾いていて自分で感じるものを出そうという気持ちがピアノに表れていた。教えていて楽しかった。ほかの子と才能が違っていたので『大人になったら音楽の道に進みなさい』と伝えていた」と振り返っていました。

中村さんは、KANさんがテレビに出ると欠かさず見ていたということで、「温かみがあり、誰でも親しみやすく歌いやすい曲ばかりだった」と話していました。

印象に残っているエピソードについては、招待された福岡市でのコンサートをあげ、「『僕のピアノの先生がきょう来ています』とコンサート中に言ってくれた。すごくうれしかった」と笑顔で話していました。

そのうえで、教え子が亡くなったことについて「ただただびっくりし、悲しい。今だったらどんなピアノを弾いてくれるのかなと思う。もう一度、和くんのピアノを聴いてみたかった。残念です」と話していました。

出身地 福岡市 CDショップや地元の人たちのしのぶ声

歌手のKANさんの訃報を受け、出身地の福岡市にあるCDショップにはKANさんをしのんで特設コーナーが設けられ、ベストアルバムなどが並べられました。

店は訃報を受け、KANさんのCDを新たに30枚ほど注文したということです。

CDショップの西信太朗店長は「福岡市出身なので身近に感じていたし、すごいメロディーメーカーだった。『愛は勝つ』が飛び抜けて人気ではあるが、ほかにもすばらしい曲が多いので多くの人に聴いてほしい」と話していました。

地元の福岡市では驚きと悲しみの声が聞かれました。

福岡市の50代の男性は「結婚式の披露宴で『愛を勝つ』を歌いました。すごくショックです」と驚いた様子で話していたほか、福津市に住む60代の女性は「亡くなったとニュースで見て驚きました。若い頃、仕事でつらい思いをした際に『愛は勝つ』を聴いて励まされました。残念です」としのんでいました。

また、福岡市の40代の男性は「人気な曲も多く、子どものときよく聴いていました。また聴きたいと思います」と話していました。