2023.04.04

「過激な左翼だった」「三島由紀夫の遺体に会いたかった」坂本龍一さんが明かしていた「世界のサカモトの壮絶人生」

「教授」「世界のサカモト」と呼ばれ、数々の名曲を世に生み出した音楽家の坂本龍一さんが逝去した。享年71。「週刊現代」では2012年1月に人気連載「私の地図」にて坂本氏のインタビューを掲載していた。坂本さん自身が語った「壮絶人生」の一部を振り返りたい。

僕の最初の音楽の記憶

空き地で月光仮面ごっこをしていた6歳ごろまで、僕は中野の家に住んでいたのですが、そこにはピアノもレコードもなかったんです。近くにあった祖父の家には、当時まだ学生だった叔父の部屋にピアノがあり、その上にはレコードプレイヤーがあった。ピアノによじ上って、レコードをかけたりしたのが僕の最初の音楽の記憶です。

常に音楽の世界の最前線にいた(Gettyimages)
 

祖父はその後、港区白金に引っ越しました。毎週のように泊まりに行っていたんですが、日曜日には、祖父が僕の手をひいて、近くにある有栖川公園に散歩に連れて行ってくれるのが常でした。昔は山椒魚(サンショウウオ)がいるようなきれいな水場がありました。今も水鳥はいますが、公園の印象は当時と変わっていないですね。

PHOTO by Gettyimages

帰る途中、祖父は必ず本屋に立ち寄り、リンカーンや野口英世といった偉人の伝記を買ってくれるのです。しかも、無理矢理(笑)。面倒臭いし、偉い人の話なんてたいして面白くないと思っていたので、読まなかったんですが、翌週遊びに行くと、「感想を言え」と言われた。これが僕にはプレッシャーになりました。

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