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<五感の旅>視 熊野古道(5) 山の神さまのご褒美

険しい山を登り尾根から対岸を見下ろすと、熊野・木津呂集落の丸い地形が姿を現した=和歌山県新宮市で

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 熊野の山の、奥深く。山あいにぽこっと現れた、まんまるの集落。なぜこんな形ができたのか。それは、山の神さまのさじ加減。川が丸く縁取り、遠路はるばる山道を来た人へ、ご褒美みたいな風景を見せてくれる。

 三重県熊野市の木津呂(きづろ)集落。暮らすのは、お年寄りら十一人。「蛇がとぐろ巻いた」形なんて言う人も。

 集落を囲む北山川には昔、木材を熊野川の河口まで流して運ぶ「筏(いかだ)師」がいた。河口付近は、かつて熊野詣での人が船で通った「川の参詣道」でもあり、熊野古道の一部として世界遺産になっている。

 北山川沿い、木津呂の上流にある和歌山県北山村。元助役の久保岡博(ひろむ)さん(82)は、十五歳で筏に乗った。切り出したヒノキやスギを百メートルほどの長さに組み、一、二泊しながら、数人で百数十キロ先の河口まで。川のどこに岩があり、ふちが潜むか。難所を頭に焼き付け激流をさばいた。

 木津呂も中継地でよく通った。緩いカーブになった深い、青緑のふち。「木津呂はまあるく見えるよなぁ」。集落の宿で一晩休み、翌朝また筏で下流を目指す。そんな日々。

 時代は変わり、上流にダムや道路ができて、木材はトラック運送に変わった。筏師の仕事は終わり、村役場に転職。観光筏としての復活に力を注ぎ、定年後も後継者を育てる。「俺が亡くなっても筏師の技は残るわな。誰かが引き継いでくれれば、それでいい」

 数百年、川沿いの人々がつないだ技術。伝統はこの川のよう。途切れず、ゆっくりと、まあるく流れてずっと先まで−。

 (文・蜘手美鶴、写真・小沢徹)

 熊野古道編を終わり、次回は湖東(滋賀)を訪ねます。

 

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