安倍晋三の国葬に異議あり 「反日邪教」を持ち上げた偽りの「保守」《田中・浅田》

「憂国呆談」第3回【Part1】
田中康夫×浅田 彰 プロフィール

党派性の強すぎる国葬

田中 ところが「反共」で日本の「保守」と連帯していた筈の統一教会は1991年に文鮮明が平壌を訪れ、金日成(キム・イルソン)と朝鮮民族としての“兄弟の契り”を交わしてしまう。朝鮮民主主義人民共和国は1972年以降、マルクス・レーニン主義を脱却して「自主・自立・自衛」を掲げる主体思想(チュチェササン)を確立したから問題なしという屁理屈だろうけど、その北朝鮮に平和自動車という合弁企業の自動車製造会社を統一教会は設立した。

資本関係を現在は解消と主張しているけど、霊感商法で社会問題化した資金源の少なくとも7割以上は日本からの献金だと「ワシントン・ポスト」も報じているから、謂わば日本から北朝鮮への「迂回献金」だ(文が1982年にワシントンD.C.で創刊した紛らわしい名称の日刊紙『ワシントン・タイムズ』を三浦瑠麗が「宗教色はほぼなく、保守系新聞としてふつうの実務家にも読まれている」と香ばしく持ち上げて失笑を買っているし、同じく文が1975年に東京で創刊の日刊紙『世界日報』に関するWikipediaに登場する数々の著名人も香ばしい)。

平壌に支局を日本メディアとして初めて2006年に開設した共同通信社は、「統一教会創設者の遺族に弔電 北朝鮮、90年代から関係」と見出しを打って、死去から10年を迎える文の遺族に北朝鮮の朝鮮アジア太平洋平和委員会が弔電を8月13日に送ったと報じた

「嫌韓・憎韓」を掲げて商売してきた『Hanada』『WiLL』『正論』の月刊3誌は「反日邪教」に騙されたと悲憤慷慨すべきなのに、黙して語らずのヘタレ振りだ。というか、結果的に片棒担いだ我々は愚かでした、と素直に懺悔すべきだよ。

Photo by Shinya NishizakiPhoto by Shinya Nishizaki

浅田 いずれにせよ、岸信介から安倍晋三に至る自民党右派は、現在の日本会議につながる神道系右翼のみならず統一教会のような反共反日集団まで選挙に動員する極端な存在だったのが、今世紀になると、吉田茂から池田勇人や宮沢喜一をへて岸田文雄にいたる「保守本流」を押しのけて主流になった。それが異常だってことは改めて意識しといた方がいい。

その意味でも安倍元首相の国葬は大問題だね。たしかに選挙運動中に凶弾に倒れた政治家を特別に追悼するのはおかしくないけど、それなら棺を乗せた霊柩車が国会や首相官邸を巡り衆参両院議長や首相を初めとする多くの政治家が見送った、あれで十分でしょう。

そもそも戦後の日本では国葬は法的根拠を持たないんで、吉田茂元首相の国葬(1967年)さえ問題ではあった。しかし、敗戦後、占領軍のダグラス・マッカーサー司令官と渡り合い、サンフランシスコ平和条約調印に漕ぎ着けた吉田、アメリカから再軍備を求められ警察予備隊あらため自衛隊をつくったものの平和憲法改正はしなかった吉田を、多くの国民が戦後日本の礎を築いた人物と見てたのは確かだろうし、そもそも1954年に首相を辞してからずいぶん時間が経っていた。

 

他方、安倍は強引な手法で日本を右の方へ引っ張っていったdivisiveな(融和ではなく分断を引き起こす)人物で、右翼には支持されてもそれ以外からは警戒されてたし、死ぬまで現役だったから、自民党葬ならともかく国葬には党派性が強すぎる。海外の首脳から弔電が殺到したとか言うけれど、ナショナリストを気取りながら実はアメリカべったり、ドナルト・トランプ前米大統領のような最低の人物にまで平気ですり寄ったんで「うい奴じゃ」と思われただけでしょう。

そういえば、国会でも議員が亡くなると反対党の議員が追悼演説をするのが普通だった。前に河野洋平元衆議院議長が言ってたよ、国会での演説で感動するのは追悼演説くらいのものだ、と。それが、安倍の場合は「お友達」の甘利明自民党衆議院議員がやることになりかけ、さすがにもめて先送りされる始末。このこと自体、国葬にふさわしくない人物だったことを物語ってる。

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