フィギュアスケート本田真凜選手のパパに直撃。才能伸ばす「超参加型」子育て

フィギュアスケート本田真凜選手のパパに直撃。才能伸ばす「超参加型」子育て

2017年7月5日公開

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各メディアで「『平昌オリンピック』の候補選手」と言われ、次世代のフィギュアスケート界を担う存在として注目を集めている、本田真凜さん(15歳)。2016年3月の『世界ジュニア選手権』では、ジュニア1年目での優勝。さらに今年3月の同大会でも、日本人ジュニア史上初となる200点越えを記録しました。

そんな彼女は5人兄妹の3番目(次女)。長男の太一さん(18歳)も日本スケート連盟の強化選手に選ばれているフィギュア選手。三女である望結さん(13歳)は、ドラマ『家政婦のミタ』で一躍注目を浴び、女優とフィギュアスケーターの二刀流で活躍しています。さらに四女の紗来さん(10歳)も子役、そしてスケーターとしての将来も期待されています。

そんな多才な兄妹を育てた本田家の子育てに注目が集まり、父親の竜一さんは、2013年に著書『本田家流 子育てのヒント』を出版。近年、メディアへの露出を控えていましたが、今回特別にSAISON CHIENOWAのインタビューにご登場いただくことができました。竜一さんに聞いた、「本田家流の才能を伸ばす子育て法」とは? 貴重な家族写真とともにお届けします。

取材・文:石本真樹
プロフィール

本田竜一(ほんだ りょういち)
1968年大阪府生まれ。大学時代に知り合った妻と結婚。翌年に長女・真帆さんが誕生。その後、3学年ずつの間隔をあけながら、長男の太一さん、次女の真凜さん、三女の望結さん、四女の紗来さんが誕生。子どもたちのフィギュアスケートや芸能活動のフォローに夫婦でまい進する毎日を過ごしている。
「子育て、発育にいい」と聞いたものは、どんどん子どもに与えていました
―本田家は5人兄妹のうち、4人がフィギュアスケート選手です。子どもたちの才能を見つけて伸ばすために、親としてどのようなサポートをしたのでしょうか?

本田:子どもがやりたいことを見つけられる環境をつくることが、親の役目かなと思うんです。そのきっかけを与えるために、私と妻が良いと思ったものはフィギュアスケートに限らず、すぐに飛びついて子どもたちにやらせていました。もともと妻がそういうものを探すのが好きで、「これどうかな?」と、習いごとだけじゃなく、子どもに良いといわれるおもちゃや食べ物とかをよく見つけてくるんですよ。

―お子さんにフィギュアスケート以外の習いごとをさせていたのでしょうか?

本田:長男の太一と次女の真凜はアイスホッケー、水泳、体操、テニスに、ピアノと絵画教室。勉強も頑張っていて、七田チャイルドアカデミー(脳科学に基づいた独自の教育論「七田式教育」を取り入れた幼児教室)と公文式に通わせていました。長男の太一はこれ以外にもスピードスケートとサッカーも習っていて、太一も真凜も1日に2、3つかけもちをして、毎日何かしらの習いごとに通っていました。

左から望結さん(三女)、真凜さん(次女)、紗来さん(四女)、太一さん(長男)
―それはすごいですね!

本田:というのも、長女に水泳を習わせたときに、週1よりも週2で通っていた子のほうが早く上達していたのを目の当たりにしたので、可能な限り1つのスクールを週2、3回通えるようにしていたんです。フィギュアスケートに関してはほぼ毎日。いま思えばものすごく忙しかったですね。

三女の望結もほぼ同じ習いごとをしていましたが、街で芸能事務所にスカウトされたことをきっかけに毎週、京都から東京まで演技とダンスのレッスンに通い始めました。四女の紗来は、生まれてすぐに七田チャイルドアカデミーに通っていましたが、それ以外の習いごとを始めるころには、子どもたちみんながスケート中心の生活になっていました。

真凜さんがアイスホッケーを習っている様子
―子どもに何かやらせたくても、つき添いなどの大変さに尻込みしてしまう親御さんも多いと思います。本田さんがそこまで熱心に続けられたのはなぜですか?

本田:もちろん大変なこともありましたけど、なんとか乗り越えてここまで来たというのが正直なところです。一番大切なのは子ども自身の「やりたい」という意欲ですが、それプラス、子どもが取り組んでいることを親がどれだけ好きか、ということ。そして、子どもが競技する姿を見たいという気持ちが、大変な毎日を乗り越える原動力になっていたと思います。

でも、多くの習いごとを広く浅くただ習っていた、というわけではありません。太一は、アイスホッケーの4年生以下の大会で、チームのキャプテンとして挑みました。勉強においては、公文式で太一と真凜がそれぞれの学年で3教科(数学、国語、英語)の総合成績が京都で一番になったんです。子どもたちはどの習いごとに対しても一生懸命努力をしていましたね。

ピアノの発表会で演奏する真凜さん
父親もフィギュアスケートの練習に参加。きっかけは息子の「やってみなよ」の一言
―お父さまは長男・太一さんと一緒にフィギュアスケートを始められたとか。

本田:そもそもわが家がスケートを始めたのは、太一が4、5歳のとき。近所にスケートリンクがあって、そのリンクで「アイスホッケーをやりたい」と言い出したのがきっかけでした。でも見学しに行ったときホッケーをやっていたのは小学校高学年から中学生くらいの子たちで、レベルがとても高かった。

それにアイスホッケーは週末のみの練習だったので、そんな環境で太一は上達できるんだろうかと思い、同じリンクで毎日レッスンをやっていたフィギュアスケートのクラスに週4回、通わせることにしました。

習い始めたころ、課題が上手くできない太一にリンクサイドから、「もっと、こうやれば」と声をかけたら、「むずかしいからやってみてよ!」と言うので、「よし! やってやろう!」と一緒にやり始めたんです(笑)。

―太一さんの一言がきっかけで、本当にフィギュアスケートを始めてしまうとは!

本田:ほかにも親子でリンクに入っている人もいたし、そこのレッスンは大人も一緒に習っていたので、ぼくがフィギュアスケートを始めることにそんなに抵抗はなかったです。

それよりもぼくが滑れるようになれば、当時の真凜を一緒に習わせることができるし、リンクで面倒を見ることができるなと。そのことがきっかけで真凜もスケートを始めるようになりました。でも一緒にやってみるとこれが難しくて。子どもの上達のほうが早いので、親が置いていかれます(笑)。
習いごとに親も参加することで、子どもに「なんでできないの?」とは言えなくなった
―やってみたことでアドバイスしやすくなったということはありますか?

本田:やってみたからこそ、子どもに「なんでできないの?」と簡単には言えなくなりましたね。フィギュアスケートって一気に上達するものではなくて、少しずつ積み重ねていく競技なんです。

じつはぼくも小さな大会に出たことがあるのですが、リンクでひざが震えて自分が持っている力の半分も出せませんでした。誰からも注目されていないぼくですらこんなに緊張するのだから、『世界ジュニア選手権』に出場したときの真凜の緊張ははかりしれないものがあるなと。それは経験したからこそわかることですよね。

―ほかにも参加した習いごとはありますか?

本田:ぼくが参加できるものはなるべくやってみることにしています。スイミングスクールのほか、ピアノの発表会も一緒に練習をして連弾をしましたし、英検も一緒に受けました。わが家では、子どもたちに習いごとを習わせる、通わせるというのではなく、家族で習いごとを習う、通うという感覚でした。それに私が習いごとに参加するのは、子どもたちを一番近いところで見ていたいから。

もちろん、参加しなくても、一緒にやらなくてもいいんです。習いごとでの子どもの成長をじっと見ていれば、それも立派な「参加型子育て」です。じっと見ていると、子どもの気持ちもわかってくると思うんです。

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