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事件の流れと経緯

2007年9月25日 午後6時過ぎ 事件発生

路上を自転車で蛇行運転し、交差点でバイクにぶつかり逃げようとしたとして、警察官5人に取り押えられ心肺停止状態になる。(後日、逃げてはいないと警察訂正)

7時20分頃、搬送先の病院の医師より死亡が告げられた。
その時、健太さんの顔は全体的に腫れ上がり、多くの傷痕があった。

翌朝、新聞各紙で情報が伝えられるも詳細は不明。


2007.9.25
健太さんが最後の時の警察・パトカーの数
機動隊も含まれていた

9月26日

警察からの説明があるが、はじめは手錠を後ろ手にかけられていたことの説明もなく、健太さんが自転車を蛇行運転していたので、薬物、又はアルコール中毒だと判断したとのことであった。また、取り押えに加わった警察官の数も4人と事故当日の説明から2名増える。


10月4日

M新聞に「真相が知りたい」として父親、孝行さんの記事が載る。
この記事で警察の説明が二転三転していることなどが報道される。


10月19日

佐賀県授産施設協議会では、10月11日の臨時総会対応を検討、10月19日に県警に声明と書面での回答を求める質問書を提出。


10月26日

きょうされん九州ブロックが、佐賀県警と佐賀県へ「警察の対応は人権無視」と抗議する声明文を提出。
遺族へ警察の説明があるも薬物・アルコールが精神錯乱という言葉になった。


10月31日

警察は遺族に精神錯乱を繰り返し、健太さんの死に気づいたのは押さえていた5人の警察官ではなく、6人目が気がついたと伝えた。


11月1日

県警より授産協に対し質問書の回答を持参する。しかし、要望した内容の回答ではなく、再度の要望をする。


11月3日

新聞各紙で、この事件について女子高生の「殴っていた」という目撃証言を警察が把握していたにも関わらず、調書に記載していなかったことが明らかとなる。また、同様の証言が複数、遺族に寄せられていたことが判った。


11月9日

きょうされん九州ブロックが、九州管区警察局に事件の真相究明を求める申入れを行う。


12月3日

県議会にて2日間にわたり、健太さんの件が質問される。
(真相も明らかにならず、進展もない。)


12月25日

佐賀県弁護士会に佐賀県警を相手に人権救済警告を求める人権救済申立書の提出。


12月29日

M紙に「警察の立件困難と判断」との記事が載るも佐賀地検は記事は一切出していないと否定し立腹する。


2008年1月17日

特別公務員暴行陵虐致死罪で刑事告訴。


1月26日

有志主催で「安永健太さんの死亡事件について考えるつどい」が開催される。
約400名が集い、真相究明を訴えた。


1月28日

佐賀地方検察庁検事正宛に、1/26の集会で採決した「集会アピール」を添えて陳情書を提出。


2月24日

有志主催で「安永健太さんの死亡事件について考えるつどい 〜新たな取組み〜」が開催される。
約300名が集い、後半では障害者を含む参加者が会場ステージに上がり、真相究明を訴えた。


3月9日

安永健太さんチャリティー映画会が佐賀市文化会館中ホールにて午前・午後の2回上映にて行われる。参加者1600名。


3月15日

「安永健太さんの死亡事件を考える会」を結成。
結成総会後、佐賀市内をデモ行進し、真相究明を広く訴えた。


3月19日

「考える会」の結成報告と結成宣言を添えて申込書を佐賀地方検察庁宛に提出。


3月27日

「考える会」の結成報告と結成宣言を添えて申込書を佐賀県知事宛に提出。


3月28日

警察官の行為と健太さんの死亡に関しては明確な因果関係が無いとして、佐賀地方検察庁が不起訴処分とした。



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