STEP AHEAD さらに輝く先へ

矢沢永吉


Eikichi Yazawa
1949年、広島県生まれ。72年ロックバンド「キャロル」のリーダーとしてデビュー。75年、解散後にソロデビューを果たす。77年には、日本人ロックアーティストとして初の武道館公演、78年は後楽園球場公演と快進撃を続ける。ロック界のパイオニアとして多くのアーティストに影響を与える。100回を超える武道館公演は、現在も最多記録を更新している。
公式サイト
http://www.eikichiyazawa.com/

山本光男(CAPE COD)=写真
宮下 哲=インタビュー、文


矢沢永吉 インタビュー
これがラストでも 後悔はしない

“40年間、明けても暮れても
マイクスタンド
蹴っ飛ばして歌ってきた”


ドラマチックな生き様


 その日、颯爽とスタジオに現れたカリスマは、カメラマンの前に立ち、何の迷いもなくシャッター音にあわせて次々とポーズをとりはじめた。いまにもマイクスタンドを蹴飛ばしそうな勢いだ。
「オッケー、いいじゃない。もう撮れたでしょ?」
 撮影時間にして10分くらいだろうか。終始無駄のない動き、漂うオーラ、そして余裕。
 矢沢永吉が、日本を代表するロックンローラーと呼ばれるようになったのはいつの頃からだろう。1972年、ロックバンド、キャロルのリーダーとしてデビューし、75年に解散。ソロとなりシングル『時間よ止まれ』の大ヒットや自伝『成りあがり』のベストセラーなどで、一躍長者番付歌手部門1位に。80年には世界進出をもくろみ単身渡米。当時、インターナショナルに活躍していた矢沢は日本の音楽シーンにあって明らかに別格の存在だった。一方で、90年代には巨額の横領事件に巻き込まれ、失意のどん底に落とされる苦い経験もした。
「まあ、いろいろありましたね。そうとうドラマチックに駆け抜けた人生だと自分でも思いますから(笑)。そもそも、デビューした頃、なぜ芸能界に入ったのかって聞かれて、『金、儲かるから』って答えたのが矢沢です。そして、『10メートル先のタバコ屋にキャデラックでハイライトを買いに行けるような男になりたい』とまで言う。まあ、最初から言いたいこと言って、やりたいことやってきた。それゆえに、興味本位に面白がられたり、煙たがられたりしたのも事実です」
 インタビューはそんな昔の思い出話から始まった。
「いま思うと、僕って根がまじめで真っ直ぐなんですね。ロックで一発当てたらどうなるか? サラリーマンよりちょっといい暮らしができる程度なら、夜汽車に乗ってわざわざ上京しようとは思いません。行ったこともない都会へと向かった18歳の矢沢の心中には、きっとビートルズのように当てたらすごいことになると素直に思える自分がいた。バカがつくぐらい純粋だったから」



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