ゲームメーカー・カプコン創業者が「世界最高のワイン造り」に励む理由

「おカネは他人のために使いなさい」
週刊現代 プロフィール

 そして'70年代末にインベーダーゲームのブームが起こります。

辻本 タイトーからライセンスを得て、スペースインベーダーの機械を製造し、レンタルしました。最盛期で日本中に5万台くらい貸していましたね。ところがブームは1年で終わり、結局残ったのは借金だけ。10億円くらいありました。

その後、自宅も売り払って、くすぶっていたら、タイトーの社長だったミハイル・コーガンさんにお金を出すからビジネスをやってみないかと言われたんです。それで、'83年に1億5000万円借りて創業したのがカプコンです。おカネは5年間借りるつもりでしたが、コーガンさんが半年後に亡くなったために急いで返すことになり、8ヵ月で返しました。

 やはり人生の節目で人との出会いというものがあったんですね。カプコンを興したときは、ゲームで成功するという確信はあったんですか?

辻本 そうですね。最初、3人で始めて、1年目には社員が15人くらいになって、その後は倍々に増えて、設立5年で200人くらいになっていました。証券会社が株式を公開しましょうというので、8年目で公開した。そのときの売上高が80億円で、利益が8億円。それから5年間で売上850億円、利益160億円の会社になりましたね。

 5年後、10年後というスパンで経営ビジョンを描いておられたと思うんです。今は目先の数字に追われて、将来的なビジョンをもった経営者が少ないように思います。

辻本 いまはサラリーマン社長が多いですから、トップになって、長い人でも6年、短ければ4年で代わる。どうしてもその間のことだけしか考えなくなりますよ。

私はね、人生の楽しみの一番は自分の考えていることがどんどん実現していくことだと思うんです。

私は定時制高校に通っていたから、学生生活の楽しみって何もなかったんです。クラブ活動も囲碁も将棋も、スキーもテニスもできない。ゴルフだけは中年になってから始めましたけども、遊びより死ぬまでというか、できる限り仕事を続けるほうがいいんですよ。

夢のような話をしよう

 すると、いまご自分の考えていることを実現していく楽しみは、最上級のワインをひとりでも多くの人に、という部分につながるわけですか?

辻本 それに加えて、80歳を超えたら、「女遊び」でもしようかと思っていまして(笑)。

 ええっ?

辻本 いや、5歳とか、6歳の女の子や男の子ですよ(笑)。孫ができてからというもの、子供が可愛くて仕方がない。子供たちの幸せや将来を考えるのは、年寄りがしなければならない仕事です。

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