舞の海の相撲俵論

ぶれなかった潔さ

 しかし、かけてもらった言葉はあまりにも予想外だった。「お前は昨日どうして勝ったかわかるか?土俵入りに遅れたから、緊張しないで相撲が取れたんだ。今日も遅刻してみろ」と豪快に笑う。冷や汗が止まらなかった。

 弟子の1人1人に深い愛情を注いだ一方、己には厳しかった。

 2場所連続優勝した直後の場所で、序盤に連敗すると突然の現役引退。引き際の美学を貫いた。

 理事長として角界の行く末を憂い、高額で個人売買されていた年寄名跡を日本相撲協会が管理する案を示したが、親方衆の理解を得られずに頓挫。混乱を招いたとして、自ら協会トップの座を退いた。

 けじめをつけるように定年退職後はほとんど表舞台に姿を見せなかった。のちに協会が公益財団法人に移行する際に、最大の課題となったのが名跡問題。師匠の先見性に相撲界がまだ付いていけなかったのだろうか。

 10年ほど前。師匠の地元長崎・五島列島で開催された少年相撲大会に同行させてもらった。当時から病を患っていたのかもしれない。帰りの空港のラウンジで夕日が沈む故郷の海を名残惜しそうにじーっと見つめていた。それが最後の帰郷だったという。

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