年の瀬も迫ってきているが、水俣病と諫早開門という大きな問題で国が苦しんでいる。水俣病は、昭和31年5月1日公式確認された四大公害病の一つであることは言うまでもない。
長年にわたって甚大な被害が続いていて、一体どれほどの被害者が存在しているのかすら分かっていない。しかし何度も幕引きが図られてきた。もう水俣病問題は終わったという宣伝が繰り返されてきたが、そのたびに被害者が中心となってそのフタを跳ね返してきた。それが水俣病の歴史である。
最近でも水俣病特措法が制定され、それに基づいて多くの被害者は申請を行ったし、その多くの被害者も一定の補償を受けてきたが、残された被害者がいることは紛れもない事実である。つまり特措法にも大きな問題が残っているのである。それに加えて、水俣病の認定審査のあり方についても、大きな問題がある。感覚障害という一つの症状だけでも水俣病と判断できる旨、今年4月の最高裁判決で指摘され、大きな反響を呼んだ。
これを受けて、熊本県知事が水俣病ではないとして棄却した被害者が、国の不服審査会が認定相当と逆転裁決を下した。熊本県知事はこれを受けてすぐにこの申請者に謝罪し、また水俣病と認定した。
しかし環境省は、参考事例だとの姿勢を改めようとはしない。業を煮やした県知事は認定業務を国に返上する旨、先の県議会で表明する事態になった。さあどうする環境省。消極的姿勢を示し続けてきた環境省ももう逃げられないのではないか。
熊本県も一見、板挟みのようにも感じられるが、そうではないと思う。実際に認定業務を行ってきて、まさに地元としてこの問題を熟知しているわけであり、単に環境省に対して認定業務の返上を表明すれば事足れりというわけではない。板挟みのように言うのはおかしいのだ、熊本県は被害者ではなく、加害者として既に最高裁判決で断罪されているのだ。積極的に認定の根本的あり方を示していく立場なのだ。
同じ事が諫早開門問題でも言える。確定判決では、国は開門をしなければならない、しかもその期限は12月20日であったので、もう既に徒過してしまった。他方、長崎県や干拓農民が開門に反対し、開門を止める仮処分も出されている。農水省は二つの真逆な司法判断があるので、国は動けないなどと板挟み状態であるかのように言い逃れている。しかしこれもおかしい。
もともと無駄な公共事業の典型と指摘された諫早干拓事業を強行してきたのは農水省である。歴代の自民党政権もそれを推進してきた。それが民主党政権下の菅政権のときに福岡高裁で開門を命じる判決が下され、上告断念を決断して判決は確定した。
その後、開門に向けて着実に進めていかなければならないのに、何だかんだと農水官僚が抵抗をして、結局、ズルズルと引き延ばし続けてきたのではないか。農民対漁民の争いという不幸な図式を作り上げてきたのは、国ではないか。今更、真逆の司法判断があるから動けないとか、長崎県と佐賀県や漁民との話し合いで解決を図りたいなどと言っているようだが、今日の事態の責任は国にある。
農水省が漁業被害を認めたくないばかりに、この主張もしないがために先の仮処分も出されたわけであり、国は率直に、漁業被害を認めることから始めるべきだ。長崎県と何度話し合いをしても、長崎県側が開門に賛成する姿勢に転じるとはとても考えられない。ここは大臣が腹を決めて開門を決断するしか決着はあり得ないと思う。
水俣病にしても諫早開門にしても国のサボタージュが事態を複雑にし、不幸、不毛な争いを続けさせている同じ問題だ。官僚に任せるのではなく、大臣が先頭に立ってそれこそ決める政治をやる時期だ。でも石原大臣や林大臣では、正直言って期待は難しいか・・・
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