シュヴトーニュ修道院のケルビム聖歌の譜(Maxime Gimenez 編曲) |
ビザンツ−スラブ典礼という背景において日本の旋律を選んだことは,少なからず恣意的かつ大胆に見えるかも知れない.しかしいかなる外的,形式的基準も,こうした音楽が神聖であるか否かを決めることなどできない.ある作品の美的着想において,その普遍的・宗教的特性を形成するものを見分けるためには,ある心からの感性に従うだけで足りることがままあるものだ.こうして「荒城の月」の旋律の音楽的本質を吟味してみると,画家の偉大なスケッチのように純粋で率直な足跡を持っているいるように感じられる.なによりも,この旋律は魂の深い動きに合っている.そして,日本の精神的繊細さをなす優雅な郷愁を,またあらゆるものの愛で方を示す優雅な謙虚さや慎みを,言葉を用いずに告げている. |
バッハ、メンデルスゾーンなどの教会音楽に精通されておられて,
自らもドイツなどの教会で唱ってこられている吉田弘さんにお聞きしましたところ,
メンデルスゾーンのこの作品23は,マルチン・ルターの作曲した
コラール(ルター派の賛美歌)の旋律の基づいて作られているということです.
そして,ギリシャ正教の聖歌の旋律,あるいはカトリックのグレゴリ聖歌
にも似たような旋律があって,ルターはその旋律を使っているのかも
しれない,ということです.吉田さんのお考えでは,旋律のルーツ
を辿っていくと古い教会音楽にたどりつくということがある,ということで,
これは西洋音楽史ではよくあることのようです.
吉田さんはメンデルスゾーン作曲のモテット "Mitten wir im Leben sind"(作品番号23,「我ら人生のただ中にあって」) の曲をお贈りくださいました.私は何度も何度もこの曲を聞きました. もしかして瀧廉太郎もこの曲を何度も何度も耳にしたのではないのかなあ,とも 思いました. |
ケルビム像の一例. | 聖クリュソストモス (イスタンブール,アヤ・ソフィア). |