モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら

さようなら、仏女優アンナ・カリーナ

ベネチア国際映画祭でのアンナ・カリーナさん(左)とジャン=リュック・ゴダール監督=1965年(AP)
ベネチア国際映画祭でのアンナ・カリーナさん(左)とジャン=リュック・ゴダール監督=1965年(AP)

甲斐バンドの曲に促されて

 フランスの女優、アンナ・カリーナが14日、パリ市内の病院で亡くなった。79歳だった。

 デンマーク出身で17歳のときにパリに進出した新進モデルに、アンナ・カリーナという名を与えたのはココ・シャネルだという。トルストイの名作『アンナ・カレーニナ』の主人公と新進モデルに重なるところがあったのかしらん。シャネルのおかげで、アンナ・カレーニナという名を目にすると、ロシアの画家、イワン・クラムスコイが描いた、物憂げな目をした「見知らぬ女」と同時に、ジャン=リュック・ゴダール監督の「女と男のいる舗道」(1962年)に主演したアンナ・カリーナ(当時22歳)を連想するようになってしまった。同じような人は多いのではなかろうか。

 学生時代、ハリウッド映画に背を向けフランス映画を好んで見ていた。間違いなく甲斐バンドの影響だ。75年に発表された、青春の痛みに満ちた佳曲「ポップコーンをほおばって」の冒頭のフレーズ《映画を見るならフランス映画さ》にまんまと引っかかり、さらには76年に出た「男と女のいる舗道」に心ふるわせてしまった小僧は、フランス映画、殊にゴダール作品を見ないわけにはいかなくなったのである。

 60年代初頭、女優を夢見るナナ(アンナ・カリーナ)は、夫と子供を捨てパリに出る。経済的に困窮し何の希望も見いだせない日々。ささいなきっかけから娼婦(しょうふ)となったナナは、彼女を転売しようとしたヒモと売春業者とのトラブルに巻き込まれ、あっけなく射殺される。「女と男のいる舗道」はこんな物語だ、表面的には。主人公の名前が同じため、エミール・ゾラの小説『ナナ』を思い起こす。こちらのナナは、娼婦から舞台女優に成り上がり、高級娼婦となって上流階級の男たちを虜(とりこ)にして破滅に導いてゆくのだが…。

 原題は「Vivre sa vie」(自分の人生を生きる)。40年以上も前に見た作品だが、記憶に残っている場面がいくつもある。まず何よりも、ショートボブのアンナが魅力的だった。ゴダールは、当時自分の妻だった彼女を世界に見せびらかすためにこの作品を撮った、などと言われていた。そりゃ見せびらかしたくもなるだろう。

 それはさておき、前半ではデンマークの名匠、カール・テオドア・ドライヤー監督の無声映画「裁かるゝジャンヌ」を鑑賞中、ジャンヌ・ダルクの言葉に感応したナナの目から大粒の涙がこぼれる場面が忘れられない。

 後半では、言語哲学者のブリス・パランとの対話の場面。自分を語る言葉を持てなくなっていたナナは、言葉についてパランに質問をぶつけ、哲学的問答が繰り広げられる。

 そうそう、ビリヤード場で一目ぼれした男を誘惑するように、ジュークボックスから流れるロックンロール調の音楽に合わせて踊る場面も捨てがたい。

映画史に残る美しい涙

 記憶だけに頼るのは心もとないので、いろいろと資料をあさってみた。そして驚いた。ゴダールは映画の冒頭でモンテーニュの言葉を引用しているのだ。

 ≪ Il faut se pr?ter aux autres et se donner ? soi-m?me.≫

 私の記憶からは完全に消えうせていた。というより、20歳前後の小僧は、モンテーニュなどに関心はなかったのだ。

 『随想録』第3巻第10章「自分の意志を節約すること」に登場する言葉だ。意味は《他人に自分を貸すことはしなければならないが自分以外の者に自分を与えてはいけない》。つまり、他人に対しては自分を貸すのが限度であり、けっして自分を与えてはいけないと戒めているのだ。いったん与えてしまったら、取り返すことができないからだ。主体性喪失への警句だ。400年以上も前に、モンテーニュは自己疎外(人間の個性や人格が社会関係の中に埋没して主体性を喪失、他人や周囲の出来事だけでなく、自分自身に対しても疎遠に感じるようになってしまう状態)の危険性を指摘していたといえる。

 このことを今になって知り、これまでぼんやりとしていた映画の意味が浮き彫りになったような気がした。原題の「自分の人生を生きる」とモンテーニュの言葉は見事に響き合っているのだ。邦題は雰囲気こそあるものの、ゴダールがこめたメッセージに霧をかけてしまったのではなかろうか。

 ナナのあっけない死で、映画はバサリと断ち切られるように終わってしまう。ゴダールらしい鮮烈さである。だが、注目すべきは、徐々に死に向かっていったナナの魂(主体性)の変化だろう。火刑を宣告されても、自らが信じる神を信じ切ったジャンヌ・ダルクの言葉に、ナナが感応し涙を流したのは、自分の魂が死につつあることを無意識のうちに感じ取っていたからだ。

 言語哲学者のブリス・パランとの対話も、その流れの中でとらえると、一層の切実さを帯びてみえてくる。娼婦然とした装い、虚無的な目でカフェに入ったナナは、読書をしている老人(パラン)に「退屈そうね」と声をかける。パランの返答は「全然」。「一杯おごってくださる」「お望みなら」

 こうしてパランの目の前にすわったナナは、いまの自分には、自らを語る言葉がない、と語り始め、人はなぜ話をするのか、黙ったまま生きるべきではないか、話しても無意味ではないか、とパランに問いかける。ならばパランに話しかけるべきではないはずだ。深刻な自己矛盾。瀕死(ひんし)の魂を抱えた彼女に、パランは誠実に言葉を尽くして答えてゆく。彼女はこの問答のあとで射殺される。

 映画通の方がどう感じるかは知ったことではない。アンナ・カリーナの死によって、モンテーニュの言葉の存在を知り、少しだけ作品の本質に近づけたように思う。同時に、アンナの役者としてのすごみを発見することにもなった。「裁かるゝジャンヌ」を鑑賞中にアンナが流した涙は、映画史に残る涙だ。世にアンナは多いが、私にとってアンナといえばカリーナ以外にいない。さようなら。

 ※モンテーニュの引用は関根秀雄訳『モンテーニュ随想録』(国書刊行会)によった。   

(文化部 桑原聡)=隔週掲載

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