木内幸男さん通夜…グラウンドを模し左右に優勝旗の祭壇”甲子園葬”で2400人お別れ

野球のグラウンドを模した木内幸男氏の祭壇(カメラ・泉 貫太)
野球のグラウンドを模した木内幸男氏の祭壇(カメラ・泉 貫太)

 肺がんのため11月24日に死去した常総学院高(茨城)の元監督・木内幸男さん(享年89)の通夜が2日、茨城・取手市内で営まれ、約2400人の弔問客が訪れた。取手二(84年夏)、常総学院(01年春、03年夏)で甲子園大会を3度制覇した名将との別れ。“木内イズム”の継承を誓う教え子の姿を、アマチュア担当キャップ・浜木俊介記者が「見た」。なお、告別式は3日正午より行われる。

 4つの白いベースに、緑の外野の芝。洋風の菊をあしらって野球のグラウンドに仕立てた祭壇のバックスクリーンの位置で、常総学院のユニホームを着た木内さんが、穏やかな笑みを浮かべている。祭壇手前の左右に飾られた01年春の紫紺、03年夏の深紅の優勝旗のレプリカが、栄光の足跡を伝えていた。

 冷たい雨のなか、約2400人が会場を訪れた。常総学院時代の教え子で、93年夏の甲子園で4強入りを果たした日本ハムの金子誠1軍野手総合コーチ(45)の言葉が印象に残った。「実は、亡くなる2日前に木内監督からノックを受ける夢を見たんです。夢を覚えていることは、めったにないのですが、顔を見せに来てくれたのかな。そう思うと、言葉になりません」。意表を突く作戦を得意とした、木内さんらしいエピソードに聞こえた。

会場には取手二高と常総学院高時代のユニホームも飾られた
会場には取手二高と常総学院高時代のユニホームも飾られた

 戒名は「常光院摂取球誉幸叡清居士」。約55年に及ぶ監督人生の全てを表しているようだ。取手二と常総学院で、様々な野球を摂取しながら栄誉を手にしていった。賢いという意味を持つ「叡」の1文字は、「考える野球」を押し進めてきた名将にふさわしい。

 茨城県地方は、亡くなった翌日の11月25日が雨。この日も細かい雨が降り続いた。03年夏の優勝メンバーで、現在は野球部長を務める松林康徳さん(35)は、薄暗い空から聞こえる木内さんの声に耳を傾けていた。「『死んだじいさんより、いま生きている生徒を見る方が大事。雨で足元も悪いんだから、会いに来なくていいんだよ』と言っているような気がします」

87年、甲子園大会準優勝に乾杯する常総学院・木内監督(手前)と仁志(一番奥)
87年、甲子園大会準優勝に乾杯する常総学院・木内監督(手前)と仁志(一番奥)

 常総学院の87年夏の甲子園準Vに貢献し、このほどDeNAの2軍監督に就任した仁志敏久氏(49)は「木内監督は親以上の存在です。選手には、プレーする前に考える。準備して考えることを伝えたい」と話した。感謝の念に新たな決意。恩師との別れの時は、心に深く刻まれた“木内イズム”と改めて向き合う場でもあった。

 ◆主な参列者(敬称略) 市原勝人(二松学舎大付監督)、内田靖人(楽天)、金子誠(日本ハム1軍野手総合コーチ)、小菅勲(土浦日大監督)、坂克彦(元阪神)、島田直也(常総学院監督)、中島彰一(日本製鉄鹿島監督)、仁志敏久(DeNA2軍監督)、前田三夫(帝京監督)、松沼雅之(元西武)、持丸修一(専大松戸監督)、森士(浦和学院監督)

  • 通夜に参列した帝京の前田三夫監督

    通夜に参列した帝京の前田三夫監督

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