主体性といったような言葉

自由とか愛、幸福、主体性といったような言葉は、個人の価値観によって意味が大幅に異なり、その概念が違うと、いくら話し合っても往々にして行き違いになり、コミュニケーションは成立し得ない。家庭にいて家事、育児に専念するのが女の幸せであり、それこそが良妻賢母、夫への愛の発露と考えている男と、女も仕事を持ち、自分の頭で考え、自分の足で立つのが人間としての幸せであり、その平等の上に築きあげる愛こそが本物と信じている女が生活を共にした場合、基本になるべき愛と幸福の概念に一致点がないのだから、どんなに話し合ってみても一方が変わらない限り、真のコミュニケーションは生まれない。理由に挙げるが、その圧倒的多数はこのジャシルに属し、彼女たちが一番話し合いたかった。

離婚経験者が相手

前にも記した通り多くの離婚経験者が相手とコミュニケーションは成立しないが持てなかったこと。で知り合った生き方や二人の関係について。相手はいまのままで何が不服かと無視し話合いを拒否したというパターンが多い。そうした申し出を「うるさい」とハネつける夫はそうザラにはいなくても、仕事が忙しいとか疲れたとかいった口実を探したりと明らかに不機嫌になったりする男はたくさんいる。日本の三代の主婦たちの中にも、子育てが一段落、自分自身の生き方をどうしようかと悩む人が増えたのはいいが夫に相談を持ちかけても、夫たちの多くは彼女たちの気持がわからず、決定的破綻に直面してやっと、それほど深刻だったのかと理解する。夫は話合いは歓迎するが、自分の価値観を押しつけるか、相手の真に考えていることが理解できない男たちもいる。

人間として成長してゆく

口では男女平等、女も仕事を持ち人間として成長してゆくべきだなどと結構なことをいった男が、生活を始めてみると封建夫たちとさして違わず、話合いを開始しても、言葉が空廻りし、言葉遊びになってしまうことがある。私もかつてその類の男と生活し、毎日毎日論争を繰り返し、結局価値観の違う相手とは、たとえ同じ言葉を使っても真意は通じあえないとしみじみ思ったものだった。一心同体でなく、どう触れ合うかが大切。一方愛や幸福、生き方などの概念が基本点で一致していれば、時に言葉や感情のゆき違いや好みによる差違などが生まれでも、話し合うことで解決点を見出してゆくことができもちろんいくら話し合ってみたところで一心同体になどなろうはずはなく!これは妻は己の心さえ捨てた夫でしたのです。