「競輪の神様」のスタートはアルバイト感覚だった…松本勝明さん評伝

スポーツ報知
松本勝明さん

 競輪選手として登録された1949年は京都医大をめざして浪人中。上京して専門学校のドイツ語科で学んでいた。選手としてのスタートはアルバイト感覚だったという。「選手の募集を知り、自転車振興会連合会(現JKA)へ出向いたら、すぐに登録手続きをしてくれました。競走用の自転車を求め、本郷の土屋製作所へいったところ、親切にレーサーをつくってくれたんですよ。ところが所持金は6000円で1万円も不足。土屋さんが『あとは賞金を稼いでからでいいよ』と、気持ちよく貸してくれてね」

 選手1年目の9月、久留米で初優勝したときは百円札で4万円の賞金。束の厚みに驚いたという。「当時、大卒の初任給の何十倍ものお金を稼げたのだから辞められないよね。初めて購入した車は外国産のスポーツカーだったな」。競輪が本業になるまで、そう時間はかからなかった。

 競走スタイルは先行、逃げ切り。デビュー当時は一日2回乗りで、年間60~70勝台を50年から8年続けたことが大記録の原動力。史上初の1000勝は1965年12月、後楽園で達成。表彰台で花束をかざしてファンの祝福にこたえる姿にはうれしさがあふれ、ファンからの拍手はいつまでもやまなかったという。

 引退後は競輪学校で後進の育成にあたり、「日本名輪会」の発足にも尽力。会長として競輪の発展、イメージアップに努める姿が各地の競輪場でのイベントで見られた。「ファンのハートをつかめる選手になってほしい」。競輪の神様の言葉は、これからの競輪界も支え続ける。

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