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「国厨」墨書土器他 稲荷前A遺跡第1地点 1号竪穴住居址出土資料 一括
こくちゅうぼくしょどきほか いなりまえAいせきだい1ちてん 1ごうたてあなじゅうきょししゅつどしりょう いっかつ
平塚市指定重要文化財
所有者  平塚市教育委員会(ひらつかしきょういくいいんかい)
指定   平成16年10月1日
国厨墨書土器


 稲荷前A遺跡は平塚市四之宮から東八幡の埋蔵文化財包蔵地として周知されている、砂州・砂丘上の遺跡。本資料が出土した第1地点は、店舗建設に伴って平成元年4月3日〜4月22日に発掘調査された。

 指定資料は、奈良時代後半(8世紀後半)の所産と見られる1号竪穴住居址から出土した一括資料である。土師器(はじき)、須恵器(すえき)、灰釉陶器(かいゆうとうき)、黒色土器(こくしょくどき)、瓦、鉄製品、石が含まれ、土師器と須恵器に「国厨」と墨書されたものを複数含む点が注目される。

 墨書土器の存在は識字層の存在を示唆する。更に「厨」を記した土器は、官衙(かんが)内の諸施設に対する食膳の準備、食料の調達・管理等を担当する厨家(ちゅうけ)の備品であることを示したものと考えられる。

 「厨」を記した土器の出土は、出土地周辺に厨家が存在したこと、ひいては厨家を含む官衙施設が存在したことを裏付けるものである。つまり「国厨」墨書土器の出土は、そこに国府があったという根拠となり得るものと言える。

 「国厨」墨書土器は、国衙内の施設の名称を具体的に記した資料として、その後の相模国府四之宮所在説の最大の根拠となった。更には、その資料の年代が8世紀後半と考えられることが、当初から大住郡に国府が設置されたこと(二遷説)を裏付けるものとして、平塚の古代史には欠くことができない資料であるとともに、古代の地方官衙研究には欠かせない資料の一つとなっている。
交通案内 〔JR平塚駅北口より神奈川中央交通バスを利用した場合 ( )内の数字は乗り場番号〕
平塚市博物館(平塚市浅間町12−41)  
田村車庫行(7)、本厚木駅南口行(8)ほか 「日産車体前」下車 徒歩3分
案内地図
※当文化財は平塚市博物館常設展示でレプリカ(複製品)を公開しています。

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