貴乃花・信念の男が目指す「正しき相撲道」とはなんなのか

忖度はしない。全霊を尽くす

おのれの正義を貫こうとしても、それが周囲に理解されるとはかぎらない。むしろ厄介な人間だと思われることさえある。たとえ「平成の大横綱」だとしても、それは避けられないことなのか――。

若貴フィーバーのトラウマ

暴行事件の加害者である横綱・日馬富士が現役を引退しても、事態はまるで収束しない。

「知らなかった」

貴乃花親方は、11月29日の日馬富士の引退表明について、スポーツニッポンにこうコメントした。

「これで事件を終わらせはしないという意思の表れでしょう。親方は現役時代から、自分に関する報道はほとんど見ていません。相撲のことだけに集中していた。いまも余計な情報を遮断しているのでしょう」(貴乃花部屋後援会関係者)

なぜ、貴乃花はあえて周囲との軋轢を招くような行動に出るのだろうか。前出の後援会関係者はこう続ける。

「周囲の意見は聞かず、不要なことはしゃべらない。こうした親方の考え方の背景には、若貴フィーバー時代の嫌な思い出があるのではないかと言われています。

現役時代、親方の注目度は異常なほど高く、私生活を執拗に追われました。それこそ、『今日は何を食べましたか』というレベルの相撲と関係ない質問ばかりされて、親方は心底うんざりしていたらしいです。

親方は、中学卒業後、15歳の時に藤島部屋(後の二子山部屋)に入門しました。父親が師匠で、母親が女将さん。親方は両親にも常に敬語で話さなければならなかった。

思春期にプライベートでも心を休めることができなかったでしょうね。ストレスを発散できずに、内に溜め込んでしまった。いま思えば、他の部屋に入門していればよかったんです。どんどん孤独を深めていった……」

 

'92年に20歳で女優・宮沢りえと婚約するも、翌年には破局。マスコミの報道はさらに過熱した。

'98年に起きた整体師による洗脳騒動が追い打ちをかけた。このときも、メディアに一挙手一投足まで追いかけられ、両親とも話をしなくなった。

当時、父である二子山親方は暴言を注意しても無視され、「私と女房は2年も貴乃花とは話していない」と明かしている。

このころから、自分で一度こうと決めたらてこでも動かない貴乃花のポリシーは、一層堅固なものになった。そして相撲道にひたすら邁進した。

当時の若乃花ら部屋の他の力士が当たり稽古を始めても、貴乃花は土俵の横でただ一人、四股、すり足、股割りなど基本動作を繰り返す光景がよく見られた。

ときには四股だけで30分間を費やすことも。当たり稽古では、若手力士は遠慮もあり、横綱には強くぶつかれないものだが、貴乃花はそうした「忖度力士」に、「相撲を取ってるんだぞ!」と檄を飛ばした。

「2階の大部屋で若手力士たちが談笑していても、貴乃花がドアを開けた瞬間、一気に空気が変わり、緊張感が張り詰めました。若い衆が慌てて左右に別れ、貴乃花が歩く一本の道ができます。

部屋でも貴乃花は別格で、生活をともにする付き人でさえ、しょっちゅう『あー、緊張した』と漏らしていましたね。横綱となった貴乃花は、孤高の存在たらねばならないという自負に縛られていた印象すらあります」(スポーツ紙相撲担当記者)

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