元二所ノ関親方が死去 「ほらふき金剛」75年名古屋で平幕V

[ 2014年8月15日 05:30 ]

1975年、名古屋場所で初優勝した金剛

 大相撲の元関脇・金剛で、二所ノ関親方として日本相撲協会の理事も務めた北村正裕(きたむら・まさひろ)氏が12日午後3時28分、肺炎のため千葉県印西市内の病院で死去したことが14日、分かった。65歳だった。通夜、葬儀・告別式は北村氏の遺志で近親者のみで都内で執り行われる。

 北村氏は相撲協会に在籍中の12年10月下旬に体調不良を訴え、都内の病院に入院。脳梗塞と診断され、同年九州場所前に手術を行い、その後リハビリなどを続けていた。親族によると「ずっとリハビリを続けて、だいぶやせていた。8月に入って体調が一度よくなったが、肺炎を起こしたようだ」と話した。

 現役時代は明るい性格と軽妙な話術で「ほらふき金剛」の異名で親しまれた。75年名古屋場所では「北の湖に勝って休場させるか」と言い放って本当に横綱・北の湖に土をつけた。優勝争いに加わると「夜は寝付けない。ナポレオンは3時間しか寝なかったけど、金剛は2時間で十分」などと豪語。結果、13勝2敗で平幕優勝を果たした。

 76年9月には27歳の若さで引退し、二所ノ関部屋を継承。元小結・大善(現富士ケ根親方)らを育てた。相撲協会では08年から理事となり、11年の八百長問題の際には要職の広報部長として事態の対応にあたった。しかし一言多い性格が災いし、失言や問題発言なども多かった。

 脳梗塞で倒れた後は思うように回復せず、部屋運営が困難となった。後継者が見つからなかったため、横綱・大鵬ら数々の強豪力士を生んだ部屋は昨年1月の初場所限りで閉鎖。北村氏は松ケ根部屋に転属したが、定年前の同年6月に相撲協会を退職した。華やかな現役時代とは一転、寂しい晩年となった。

 北村 正裕(きたむら・まさひろ)1948年(昭23)11月18日生まれ、北海道雨竜郡一已村(現深川市)出身。大鵬に憧れて二所ノ関部屋に入門し、64年夏場所で初土俵。70年秋場所で新入幕を果たし、75年名古屋場所で初優勝。76年に引退して二所ノ関部屋を継承した。95年には麻雀賭博で逮捕され、相撲協会から降格処分などを受けた。昨年6月に健康上の理由で退職。現役時代の通算成績は449勝414敗。幕内優勝1回、三賞は殊勲賞3回、金星3個。

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