今年の2月にリリースされたデビュー25周年アルバムが1位を獲得するなど、急逝から9年たった今なお愛され続けるZARD(坂井泉水)。
露出を抑えたアーティスト活動、そして衝撃の死。
すべてがミステリアスで神格化した存在だった。そんなZARDが“地上に降り立った”1日、1999年の初ライブを振り返りたい。

生ZARDに会えるのはベストアルバム購入者の中から600名のみ


ZARD初のライブが開催されたのは1999年8月31日。この年の5月に発売されたベストアルバム『ZARD BEST The Single Collection ~軌跡~』に付属の応募ハガキを出した中から抽選で600名のみが招待されるという、ファン垂涎のプレミアムイベントだった。
デビュー9年目にして初めてのライブであり、ファンの前で歌声を披露するのも初めて。初めての“生ZARD”への渇望はベストアルバムのセールスを後押し、初動売上で100万枚を記録し、累計売上は300万枚を突破。年間オリコンアルバムチャート2位を獲得するメガヒットとなっている。

600名の枠に対し、応募総数は驚異の100万通! ZARDに会える機会はそれぐらいレアだったのだ。

「ホントにいるの?」都市伝説を覆して登場したZARD


会場となったのは東京湾をクルーズする客船「パシフィック・ビーナス号」。全長180メートル、12階建てと日本最大規模であり、プール、ジャグジー、展望浴室、カラオケルームなどもある超豪華仕様の客船だ。東京湾を5時間近くクルージングした中、8階のメインホールでライブは開催された。
「ジャケットと歌は別人ではないか?」「人前で歌えないのではないか?」「そもそもZARDは本当に存在するのか?」
そんな都市伝説を吹き飛ばすべく、生ZARDが登場。1時間40分に渡り14曲を熱唱している。

歌詞を間違えるハプニングもあったが、「ホオを赤く染めてはにかむと『かわいい~』と男性ファンのタメ息が漏れていた」と、スポーツニッポン。
まったくもって美人は得である。
ちなみに、1曲目は『揺れる想い』だったのだが、これは船の揺れとかけていたのだろうか?

姿を見せない「ビーイング商法」で神秘のカリスマに


そもそもZARDが所属するビーイングは、各種メディアへの露出が厳しく制限されているのが特徴。B’zなどの一部を除き、テレビへの出演は特に制限されることが多く、ライブも行わないのがプロモーションのセオリーだった。
それがもっとも徹底されていたのがZARDだ。

1991年のデビュー当初は多少なりともメディア露出があったが、1993年2月のテレビ朝日系『ミュージックステーション』を最後にテレビへの出演もストップしていた。それにより、その神秘性に拍車がかかり、この時代もっともカリスマ性を感じる女性アーティストとなっていた。

ZARDが姿を消してからシングル24作連続チャートTOP3入り!


事実、テレビ出演を絶ってからの方が人気・セールスともに勢いを増していることがデータからも伺える。

1992年9月の3rdアルバム『HOLD ME』が107万枚だったのに対し(それでも凄い!)、1993年7月の4th『揺れる想い』は224万枚と一気にダブルミリオンを達成。
シングルでは、テレビで最後に歌う姿を披露した『負けないで』が初のオリコンチャート1位を獲得。以降、1999年6月リリースの29枚目のシングル『世界はきっと未来の中』まで、すべてチャートTOP3入りを果たしているのだ。
同年10月の30枚目のシングル『痛いくらい君があふれているよ』では最高位5位にとどまってしまったが、船上ライブで姿を現したことでその神秘性が薄まってしまったからだろうか……?

「たぶん詩人というのは、あまり外に出さない分、作品に言葉をぶつけているんでしょうね」
これは、00年にZARDが雑誌インタビューで語ったもの。残された多くの作品から『永遠』に『あなたを感じていたい』ものです……。
(バーグマン田形)
※イメージ画像はamazonよりZARD Forever Best~25th Anniversary~