2008年7月号 [第454号] 4面  
ニュース専修 ウェブ版
◎4面PDFは【こちら】 注: リンク先のない記事はウェブ版で読むことができません。本紙でご覧ください。
4面

<寄稿> 一方を聞いて決めつけるな!道路特定財源を例に政策論争を考える−商学部教授 太田 和博
専修大学フィルハーモニー管弦楽団第21回サマーコンサート

■<寄稿> 一方を聞いて決めつけるな! −道路特定財源を例に政策論争を考える / 商学部教授 太田 和博

「下がったと思ったらまた上がる」。消費者を直撃した4月、5月の「ガソリン狂想曲」は記憶に新しい。連日のマスコミ報道で「道路特定財源の一般財源化」という問題を意識した人も多いことだろう。この問題を例に、交通政策を専門とする太田和博商学部教授から、報道を鵜呑みにせず、政策論争を深く考えるには、私たちがどのようにすることが必要か、寄稿していただいた。


 たとえ間違っていることであっても、繰り返しそれを聞かされると、人は信じてしまう。霊感商法の勧誘も、つい信じてしまう。政策論争もそうであり、幾度も幾度も一方の主張のみがマスコミなどで繰り返されると、その主張が正しいように思えてくる。
  政策(公共政策)はすべての人を幸せにするものではない。すべての人をより幸福にする政策であれば誰も反対しないので、すでに実行されているはずである。それゆえ、論争の対象となっている政策は、誰かに利益をもたらす反面、必然的にある人に損失をもたらすことになる。このような公共政策の性質を考えると、その政策の賛成者の意見とともに反対者の意見も公平に聞かなければならない。一方を聞いて沙汰するな、である。
  道路特定財源の一般財源化は改革であると考えられている。世論調査を見ても一般財源化への支持は高い。しかし、一般財源化に関する議論は正しく行われなかった。

課税の根拠がなくなる

 いまもっとも有名な専修大学OBは東国原英夫宮崎県知事である。東国原知事は「道路特定財源を一般財源化したら、課税の根拠がなくなる」と主張した。東国原知事は、宮崎県における道路整備の重要性を強調しているため、「道路族」とみなされることがあるが、そうではない。「道路族」とは道路に関与することによって私欲を追求し、私利を得る者であって、東国原知事はそうではない。
  「一般財源化をするとガソリン税の根拠がなくなる」という主張は正論である。しかし、それが大きく取り上げられることはなかったし、この主張が正しいかどうかが議論されることもなかった。そこで、一般財源化の根拠といわれるものを整理し、それが正しいかどうかを検証してみよう。
  第1の論拠は、道路だけに使うと決まっている場合には、有効に予算が使えない(予算の硬直化)というものである。お小遣いの使い道は自由な方が良い、と考えればわかりやすい。これは一般会計の使い道は自由でなければならないという主張であり、正しい。だが、一般会計の財源としてガソリン税は適切な税なのであろうか。
  この疑問への回答が第2の論拠である。つまり、自動車ユーザーは担税力があるため、負担させるべきなのだ。このように主張する人は、ガソリンはタバコや酒と同じであると論じる。
  タバコや酒は嗜好品であるが、ガソリンはそうではない。しかし、担税力はある。では、担税力に応じて税を課すことは正当化されているのであろうか。所得税や資産課税は担税力に応じて負担するのが公平性に適っている。一方、消費に関しては、担税力に関係なく一律課税をすることが錦の御旗で消費税が導入されたことを考えると、担税力に基づくガソリンへの課税は正当化されない。
  ガソリン価格が1リットル150円であるとすると、このうち税金は60円強であるから、本体価格は約90円である。この場合、ガソリン消費に課されている税率は65%を超えている(つまり、消費税が65%)。高級アクセサリーの消費税が5%であることを考えると、自動車ユーザーは課税差別を受けていることになる。東国原知事が「課税の根拠がなくなる」と言ったのは当に正論なのである。

無駄遣いはなくならない

 課税の原則から見れば、道路特定財源の一般財源化は希薄な根拠しかなく、むしろ課税差別ということになる。しかし、この点は注目されなかった。注目されたのは、道路整備における無駄遣いである。談合などの不法行為や交通量の少ない所での不必要な高グレードの道路整備などが問題視されている。道路特定財源の一般財源化は、道路整備に回る資金を減らすため、道路整備の無駄を減らすと考えられたのである。
  確かに、道路整備に回る資金が減れば、道路での無駄は減少する可能性がある。では、余った資金はどうするべきなのであろうか。一般財源化では、その余剰資金を一般会計が使うことになる。
  これには2つの問題がある。第1に、すでに指摘したように、一般会計の財源調達において課税差別になる。第2に、一般会計が効率的であるという証拠がないことである。実は、国民は一般会計が非効率であることを知っている。一般会計は、毎年巨額の赤字を垂れ流している。一般会計をコントロールする政府は非効率であるので、民営化や規制緩和などの行政改革がなされている。
  国民が皆知っているように、道路行政も無駄であるが、一般行政も無駄の塊なのである。一般財源化されても行政全体が効率的になることはない。それゆえ、余った道路特定財源は道路ユーザーに減税などによって還元しなければならない。
  「高福祉・高負担」対「低福祉・低負担」という言葉があるように、道路に関しては、「高整備・高負担」と「低整備・低負担」との間の選択をすべきである。一般財源化では、「高整備・低負担」(暫定税率や道路関係諸税の廃止)や「低整備・高負担」(道路ユーザーの負担による福祉の拡充)も選択可能となる。これまで国会や政府は「高整備・高負担」か「低整備・低負担」かという二者択一の選択すらうまくできなかった。一般財源化によって選択肢が4つに増えたので、さらに正しい選択は困難になった。事実、一般財源化が決まった途端、財務省、環境省、厚生労働省、農水省等が道路財源の分捕り合いを始めた。やはり政府は非効率なのである。

より深く考えるために

 政策論争をより深く考えるためには、自らの知識を深め、論理的に思考する訓練をしなければならない。マスコミなどで一般に言われていることの真偽を自ら検討することが重要である。道路特定財源のこの点に興味のある人は、拙稿(太田和博「道路特定財源の一般財源化は間違いだ」『エコノミスト』2007年7月10日号)および筆者の国会参考人招致での意見陳述(http://www.shugiintv.go.jp/衆議院TV→平成20年2月27日→国土交通委員会)を参照されたい。

  おおた・かずひろ=慶應義塾大学大学院商学研究科博士課程修了。商学博士。日本交通学会常務理事。主な担当は学部では「交通と通信」、「交通経済」。大学院では「交通論特論」。

 

■専修大学フィルハーモニー管弦楽団第21回サマーコンサート

 専修大学フィルハーモニー管弦楽団第21回サマーコンサートが6月26日、多摩市民館大ホールで開催された。専フィルは今年も多数の新入団員を迎えて、期待に違わないフレッシュな力強い演奏だった。プログラムはハイドンの交響曲104番「ロンドン」を間に挟んでボロディンの作品を2曲「中央アジアの高原にて」「交響曲第2番」を取り上げ、古典派と国民楽派という構成でさまざまな聴き手が楽しめる内容。「中央アジアの高原にて」は管楽器のソロがところどころにあり、十分な練習と度胸が試されるが、繊細なメロディーをよく聴かせていた。「ロンドン」で、その様式美を堪能した聴衆に、「交響曲第2番」では重厚な響きで管弦楽のコンサートの楽しみを十分に伝えていた。特に中低音管楽器の元気のよさは特筆に価する。指揮の角岳史さんはストイックな中にも要所を締める力強い指揮で情熱を感じさせた。
  600人の聴衆を集めた会場は満場の拍手に包まれ、アンコールは専フィルではおなじみのドボルザーク「スラブ舞曲第8番」。12月の定期演奏会ではシベリウス「交響曲第1番」を予定。会場がミューザ川崎ということもあり、重厚な響きに更に磨きをかけてほしいと期待が高まった。(S・K)


[ページの先頭へ戻る]
Copyright(C) 2008 Senshu University All Rights Reserved.