ふぉ~ゆ~福田悠太「4人でちゃんと仕事をさせてください」…意を決して事務所に伝えた“答え”【前編】

ジャニーズ事務所
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 ふぉ~ゆ~初の冠番組となるCS日テレプラス「ふぉ~ゆ~の王道テレビ~これにかけてるんで!」(隔週金曜・後9時)の「Season2」が8日から始まる。リーダーの福田悠太(35)は入所やグループ結成当時のエピソードを交え、「とにかく楽しいことをやりたい」と冠番組を共にするメンバーとの未来を語った。(田中 雄己)

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 一言目から“らしさ”を感じさせた。Hey!Say!JUMPの山田涼介(28)、Snow Manの向井康二(27)に続く特集だと伝えると、福田は間髪入れずに言った。「良いですよね。ジャニーズはその落差が」。ジャニーズらしからぬ自虐的な発言だが、そこに悲壮感はない。

 ことあるごとに「なにわ男子の公式ライバル」など自虐的な発言で場を盛り上げるが、その言葉には福田の、ふぉ~ゆ~の歴史が詰まっている。

 1998年に入所した福田の実家はパン屋さん。パン選び放題だった朝ご飯、マラソン大会当日にフィッシュバーガーを食べ過ぎて気持ち悪くなったこと、入所当時のことを思い出すと、自然と実家の思い出が頭をよぎる。

 「思い返してみると、あの頃からパン屋の経営がきつくなってきて。お父さんがアル中だよなという状態で飲み歩くようになって。僕は近所の飲み屋さんを探し回るのが日課でした。でもジャニーズに入っていなければ、パン屋になっていたかもしれませんね」

 華やかな世界に身を置く現在は触れたくない過去かもしれないが、福田は隠したりしない。同様に、入所後に味わった苦難も隠すことはしない。

 「当然、やめようとしたこともありましたね。中学生の頃は何となく仕事があったんですけど、高校生から全く仕事がなくなって」

 唯一の仕事は、嵐のライブのバックダンサー。

 「毎年夏休みに呼んでいただいて、スーパー楽しかったですね。仕事がなさ過ぎてやめようと思っていたんですけど、仕事がないから続けていても、やめても変わらないんですよね。だから高校時代はレッスンもなく、普通に学校に通う高校生でしたね」

 高3の夏。嵐のライブのリハーサルを見ていたジャニー喜多川さん(享年87)に声をかけられた。

 「ユーたち、良いね」

 運命が動き始めた言葉だった。ジャニーズJr.のユニット「M.A.D.」として、今井翼のツアーなどでバックダンサーを務めた。その中から、KinKi Kidsの堂本光一(43)主演のミュージカル「Endless SHOCK」に4人が選抜された。今の「ふぉ~ゆ~」の顔触れだった。

 「その時に初めて4人で仕事をして。それから4人だけで動くことが多くなったんですけど…」

 今は「4人で飲みに行く」ほど仲が良いが、当時は違った。

 「4人だけになった途端、ぶつかることが増えたんですよね。やりたいことを話し合ったりしていく中でケンカしたり、やめようというメンバーもいて。お互いに話さない期間が半年続いたり」

 このままではダメだと、意を決して事務所を訪ねた。

 「4人でちゃんと仕事をさせてください」

 4人の名前の共通点が「ゆう」だということにも気づき、グループ名は「UFO」と提案した。しかし、後日予想もしなかった形で事務所の“答え”を知ることになる。

 ◆福田 悠太(ふくだ・ゆうた)1986年11月15日、東京都出身。35歳。98年1月にジャニーズ事務所に入所。2011年にふぉ~ゆ~を結成し、リーダーに。15年に「壊れた恋の羅針盤」で舞台初主演。19年には辰巳雄大と共にジャニーズ初めて「M―1グランプリ」に出場。身長178センチ、血液型B。

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