「すこぶるわいせつ」禁止令も出た盆踊り、それでも各地で受け継がれ…無形文化遺産になるかも

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 [New門]は、旬のニュースを記者が解き明かすコーナーです。今回のテーマは「盆踊り」。

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 日本の夏の風物詩、「盆踊り」。

 各地で親しまれてきたその風習が、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産になるかもしれない。文化庁がユネスコに「 風流踊 ふりゅうおどり 」として申請しており、秋にも登録の可否が審議されるからだ。世界に羽ばたこうとする盆踊りだが、その伝統の陰には、踊り続けた先人たちの苦労があった。

「風紀の乱れ」明治時代に禁止令

 「もってのほかの悪習で、一切禁止」「すこぶるわいせつ」

 今から約150年前、「盆踊り禁止令」が全国各地で出された。男女が夜通し騒ぎ、女装や男装、そして派手な化粧も。近代化を目指した明治政府にとって、盆踊りは風紀の乱れと映ったのだ。

 盆踊りの起源の一つは、鎌倉時代の僧・一遍が始めた「踊り念仏」だ。その後、室町時代には、奇抜に着飾って踊る「風流」が流行し、先祖供養の意味で盆に踊られるようになったという。

 江戸時代には各地に根付き、庶民は華やかな“非日常”を楽しむようになった。ただ、あまりの盛況ぶりに、幕府や藩は一揆へつながることを警戒し、踊る時期や場所を制限したこともあったという。

多様で華やか 世界に誇る文化に

 盆の「徹夜踊り」で知られる岐阜県 郡上 ぐじょう 市の「郡上おどり」も規制を受けた一つだ。明治7年(1874年)、県は踊りが風紀を乱すとして、布達で禁止した。それでも、町民たちは細々と踊りを受け継ぎ、大正時代には、町の有力者が警察署長と交渉を重ねて保存会を設立。その後、風紀の改善や踊り、お 囃子 はやし の統一に取り組んで芸術性を高め、今につながる。

 そのようにして、各地で受け継がれてきた踊りは多様だ。華やかな花笠を使ったり、女装した青年が踊ったり。形式の違いが各地の風土を伝え、地域コミュニティーの核としての役割も果たしている。

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3267605 0 社会 2022/08/19 05:00:00 2022/08/22 09:44:12 2022/08/22 09:44:12 https://www.yomiuri.co.jp/media/2022/08/20220818-OYT1I50170-T.jpg?type=thumbnail

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