産経抄

入院生活が私の大学 7月24日

 ▼寂しがり屋の平尾さんに、病院関係者は進んで話し相手となり、地元住民は野沢菜漬などを差し入れた。信州の人たちの人情に触れて、平尾さんの音楽に変化が表れる。ポップス系の歌ばかり作っていたのが、「日本の心」を強く意識するようになった。退院後まもなく作曲したのが、小柳ルミ子さんのデビュー曲「わたしの城下町」である。よく散歩した諏訪湖畔から見える高島城をイメージしたという。

 ▼もう一つ、入院生活をきっかけに取り組んだのが福祉活動だった。看護のありがたみを痛感したからだ。昭和50年から、歌手やプロゴルファーに呼びかけて始めた「チャリティゴルフ」は38回を数え、寄付金のトータルは3億円にのぼる。

 ▼塩嶺病院はなくなったが、その流れをくむ看護専門学校の校歌を2年前に作っている。♪心ひとつ みんなのために未来のために。平尾さんの曲作りと人生そのものである。

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