暮しの手帖社創業者・大橋鎭子を主人公・小橋常子のモデルとするNHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」で、昭和を代表するカリスマ編集者兼ライター兼グラフィックデザイナー・花森安治(《暮しの手帖》初代編集長)をモデルとする「花山伊佐次」を唐沢寿明が演じている。

花森安治関連書籍の出版や文庫化が相次ぐなか、映画ジャーナリスト・二井(ふたい)康雄さんの『ぼくの花森安治』(CCCメディアハウスKindle)が刊行された。

「とと姉ちゃん」のモデル「暮しの手帖」はNHKをdisっていた『ぼくの花森安治』

著者は1969年、大学卒業と同時に暮しの手帖社に入社し、創業者である大橋鎭子のもとで40年、編集者として働いた。入社してから8年間は、初代編集長である晩年の花森安治といっしょに仕事していたということになる。
2002年から退社までは《暮しの手帖》副編集長をつとめた。 

〈まるで、家庭そのもの〉


この本は題に花森安治と書いてあるが、著者自身の自伝でもあるし、また暮しの手帖社がどういう会社だったかということをめぐる回想記でもある。

著者が入社したころには、暮しの手帖社には定年がなく、組合がなく、残業手当もなく、タイムカードもなかったという。入社面接試験では支持政党を訊かれた(こういうのは、近年は訊いてはいけないことになってるはずだ)。
入社の前日、大橋鎭子の末妹でデスク担当の大橋芳子(美子のモデル)は二井青年に、
〈「明日から社員でしょ、そこの銭湯に行きなさい」と、タオルと石けんと入浴料をくれた。
まるで、家庭そのもの、その心遣いが、嬉しかった〉

営業担当の横山啓一(経理担当・水田正平のモデル。主人公の次妹鞠子のモデル・大橋晴子の夫)は、
〈毎日ではないが、お昼には銀座界隈のいろんなお店に連れていってくれた。天丼なら「天國」、うな重なら「登亭」、オニオン・グラタンなら「千疋屋レストラン」〉

暮しの手帖研究室と商品テスト


2003年まで、東麻布に〈暮しの手帖研究室〉が存在した。本書によると、工作室には大きな作業台に電動鋸があり、また廊下の天井一面にずらりとレセップ(ソケット)が並んで、電球のテストができる。
化学実験室では細菌や食品添加物の検査ができた。広い洗濯室。洗濯機、ガス湯沸かし器、レインコートなどのテストをする。


2階への階段には〈一段ごとに異なる種類のじゅうたんが張ってあり、人が上り下りする際には、その回数をカウントする計器がセットしてある〉。人工芝のテストにも使った。
現像はすべて2階の暗室でおこなう。新館1階ではエアコン、冷蔵庫、掃除機、アイロン、薬鑵などをテスト。新館は3階まで吹き抜けで、クレーンが設置してあり、重いものを3階まで揚げ降ろしできる。

3階の音楽室には最新のオーディオ装置。
防音処理がされていて、掃除機など音の出る家電の騒音レベルをテストした。
もはや出版社のレベルを超えている。

完全主義とキレキャラ、言葉遊び好き


本書で語られる花森安治の人柄は、とにかく激烈で情熱的。悪く言えばキレキャラ。

カラーページで手作りのカヌーを作るという企画(すごい企画だ)を進行中、工作室に現れた花森は、パドルの出来が気に食わなかったのか、それを踏み折ったという。
こういう人の下で働くのはとにかくたいへんだけど、これだからあの徹底した誌面ができたんだろうなあ。

花森はそのいっぽうで、機嫌がいいときには言葉遊びをやり、社員のダジャレも楽しんだという。

〈無理問答が好きなようで、「海で惚れても岡惚れとはこれいかに。山に住んでるのに生みの親というが如し」といった類を、よく口にしていた〉

「攻め」の編集姿勢で知られた《暮しの手帖》編集部の、こういうオフショット部分の記録が、本書の読みどころのひとつだ。

書き文字ライター


ところで、本書のカヴァーや章扉の書き文字は著者自身の手になるものだ。
著者は2004年から、《暮しの手帖》本誌の記事の題・見出し・自社広告など書き文字を担当した。退職後の現在も、書き文字ライターとして、映画・出版・広告・CDジャケットで活躍している。

書籍編集者としては、《お母さんが読んで聞かせるお話》シリーズの藤城清治のカラー影絵絵本『ロンドン橋でひろった夢』、立川談四楼『寿限無のささやき』、阿久悠『凛とした女の子におなりなさい 日本人らしいひと』などを手がけた。
その書き文字は、やはり編集を担当した沢木耕太郎の映画論集『世界は「使われなかった人生」であふれてる』(現在は幻冬舎文庫Kindle)の親本の表紙でも見られる。

「とと姉ちゃん」のモデル「暮しの手帖」はNHKをdisっていた『ぼくの花森安治』

もちろん本書のカヴァーや章扉の書き文字も著者による。
「とと姉ちゃん」のモデル「暮しの手帖」はNHKをdisっていた『ぼくの花森安治』

カヴァー装画(佃二葉)では奥の眼鏡の人物が著者、手前が花森。こういう見かけの人なんです。
そういえば、ドラマでは唐沢寿明ではなく、きたろうが演じたほうがいいのではないか、というツイートを見たなあ。

暮しの手帖社では食事をいっしょに食べたりもしていたが、ドラマでも《あなたの暮し》編集部で花山、小橋三姉妹、水田、庶務の岡緑が会社で食卓を囲む場面があった。
唐沢寿明が食卓にむかっていると、なんにでも味ぽんをかけてしまわないかと思ってしまう。


《暮しの手帖》とNHKの意外な関係


ところで、この本が出たのはNHK「とと姉ちゃん」がきっかけだが、そのNHKが本書に出てくる。
1969年、花森は、
〈読者から、テレビの「困った番組」をハガキで募集する。「これは困る、いかになんでもひどい、そういうテレビ番組があったら投票して下さい」と誌面で呼びかけた〉

そしてのちの号で、
〈最終結果を集計、「こんな番組は困ります」 という記事が出た。 投票総数は4244、教養・報道部門の第1位は「NHKニュース」で1784票。
2位のTBS系の「時事放談」は630票で、大きく引き離している。たぶん、いま同じことをしても、同じか、これ以上の結果になるかもしれない〉
「時事放談」がいまも存在しているのも、考えてみたら驚きに値する。

二井さんは
〈「とと姉ちゃん」では、このあたりまでは、たぶん、ドラマにならないと思う〉
と書いているが、たしかに、この挿話を「とと姉ちゃん」でやったらすごいだろうなあ。
(千野帽子)