デロイとヒロポン
1943年8月発行「科學朝日」誌より転載
私の手元に太平洋戦争中に発行された1册の科学雑誌がある。
「科學朝日」という名のその雑誌の内容は時局柄、誌面の半分以上が兵器の
解説にあてられているが、その中から興味深い記事を発見した。
幻の機関車である「デロイ形電気機関車」に関する記事である。
デロイ形は朝鮮半島の京城(現ソウル)と元山を結ぶ京元線の福渓−高山
間53.9kmの電化に際して製造された電気機関車である。この区間は最大
勾配25‰を有する山岳路線であることもあって、直流3000Vでの電化が
計画された。国鉄の直流電化区間は1500Vであり、狭軌の線路幅といい
電化区間の使用電圧といい、日本の鉄道は常に初期設定が控えめだった
ために拡張性に乏しくて後で後悔するということの繰り返しだったが、その点、
大陸での鉄道建設に際しては、日本国内で受け入れられないような革新的な
試みを行っていた。
デロイ形は19,060mm、直径1,370mmの動輪6軸を擁する堂々たるF型機で、
同時期に製造された国鉄EF12形をひとまわり大きくしたようなスタイルで
ある。
この記事の中には工場内で製造中の写真と共に、上に掲載した略図面と
更には詳細な仕様書まで掲載されている。但し、定格出力だけは伏せ字に
なっている。この定格出力こそが恐るべき秘密の性能であって、実に2250kw
のパワーを有していた。これは国鉄で当時最強だったEF12形の1600kwより
40%も強力で、戦後の新性能電気機関車EF60形に匹敵する。また山岳
路線で稼働するため回生ブレーキが装着され重連総括制御まで備えていた。
ちなみに「デロイ」という形式は電気機関車の「デ」、6軸動輪の「ロ」、1番目
の形式の「イ」を意味している。
デロイ形電気機関車は太平洋戦争中に5輌が完成して内、4輌が朝鮮鉄道局
に引き渡された他、戦後も7輌が新たに製造されて食料と交換に輸出された。
しかしその後の朝鮮戦争によってこの鉄道区間は北朝鮮領域内に入った
ため、デロイ形電気機関車12輌はその消息を絶っている。
「科學朝日」の中で私はもうひとつぶっ飛んでしまうような記事を発見した。
なんと「ヒロポン」が製薬会社の広告として堂々と掲載されていたことだ。
「ヒロポン」は戦後の荒廃の中で大流行した覚醒剤であり、もともと太平洋
戦争中に眠気を覚まし作業能率を向上する目的で開発されたものだから、
当時の雑誌広告に載っていても不思議ではないかもしれないが、もちろん
常用すると中毒症状を起こす非常に危険な薬物である。
よく戦争中は人手不足のため国鉄の乗務員も覚醒剤を使われていた
(ついでに言うと特攻隊員も)とかいうような話が当時の非人道性を示す格好
の事例として語られるが、見方を変えれば薬局で普通に売っている疲労回復
剤みたいな存在だったと考えられる。
これを現代に当てはめれば、例えば疲労回復剤を飲みながら徹夜で頑張る
SEさんの姿も、50年後の日本人からは極めて非人道的な社会現象として
評価されるのかもしれない。
人間薬に頼らず、寝るべき時には寝るべし。
1943年8月発行「科學朝日」誌より転載