陥落とは? わかりやすく解説

かん‐らく【陥落】

読み方:かんらく

[名](スル)

落ち込むこと。陥没。「地盤が—する」

攻め落とされること。「首都が—する」

地位順位が下がること。「最下位に—する」

口説き落とされること。「熱意負けて—する」

欠けていること。欠落していること。

自分性質一部—しているばかりに」〈花袋春潮


陥落(おとしあな)

作者勝目梓

収載図書もうひとつ理由
出版社双葉社
刊行年月2001.8

収載図書もうひとつ理由
出版社双葉社
刊行年月2004.8
シリーズ名双葉文庫


陥落

読み方:かんらく

  1. いろいろと骨を折つて女を口説き落すことをいふ。戦争用語から転訛したものである。〔情事語〕
  2. 男にさんざん口説かれ落されること。〔花柳界
  3. 〔隠〕女を口説いて苦心惨憺結果口説き落す事をいふ。
  4. 口説き落されること。
  5. 女を口説き落す事を云ふ。
  6. 本来は戦争用語であつて、敵城攻めかけて、降伏せしむる事をいふのであるが、転じて種々な意味に用ふる。その中で最も普通に用ひらるるものは、女を口説いて苦心惨憺結果、之を口説き落す事をいふ。例、「一つあいつを陥落させてやらうか」など。
  7. 女を強く口説いて承知させること。
  8. 女を口説き落すこと。

分類 情事語、花柳界

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陥落

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/08 22:37 UTC 版)

陥落(かんらく)とは、地面などが落ち込むこと、城塞などの軍事拠点が攻め落とされること。転じて人や団体がその地位を失う、降格する、追われることや、口説き落とされることもいう。




「陥落」の続きの解説一覧

陥落

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/08 07:09 UTC 版)

ラ・ロシェル包囲戦」の記事における「陥落」の解説

イギリスラ・ロシェル救援すべく更に2度渡り艦隊派遣している。 デンビー伯爵ウィリアム・フィールディング英語版率い艦隊1628年4月出発したが、交戦することなくポーツマス帰還した第二次ラ・ロシェル派遣軍)。デンビー伯については「彼は国王の船を戦闘危険にさらす権限与えられておらず、不面目にもポーツマス帰港した」と述べてられている。 リンジー伯爵ロバート・バーティー率い軍艦29隻、商船31からなる艦隊が、1628年8月出発した第三次ラ・ロシェル派遣軍)。9月イギリス艦隊ラ・ロシェル救援のため、国王軍陣地への砲撃の後に堤防突破試みた失敗終わり撤退している。絶望したラ・ロシェル10月28日降伏した

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陥落

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/25 10:08 UTC 版)

ハルツーム包囲戦」の記事における「陥落」の解説

救援隊1月スーダン入りハルツーム救援を急ぐためにハーバード・スチュアート准将ラクダ2400余り先遣隊として派遣した先遣隊はバイユーダ砂漠越えてハルツーム目指した。途中1月17日マフディー派ベドウィン襲撃受けたがこれを撃破している(アブクレアの戦い)。彼らが1月20日にメテッマに到着したとき、ゴードンが4か月前に救援隊援助するために派遣していた4隻の蒸気船遭遇した。ここでハルツームが今にも陥落しそうだということ分かったため、ハルツーム急行した。 アブクレアにおけるアンサール敗北知ったアフマド救援隊がすぐ近く迫っていることを察知し1月25-26日の夜、総攻撃開始した。ちょうどこの時、ナイル川増水期過ぎており、白ナイル川底露わにしていた。そしてエジプト人の下士官一人であったファラズ・パシャなる人物水門開け5万人のアンサール城内導いた飢えと病、度重なる戦闘によりもはや守備隊抗戦能力はなく、アンサール一気市街になだれ込んだゴードン以下守備隊全員市民4,000人が殺戮され、最終的にアフマドによって殺戮中止された。 ゴードン戦死については明らかではないが大きく分けて二つの説がある。一つは、ゴードンは赤いフェズ儀礼用の軍服を身に着けリボルバー軍刀抵抗し死闘の末に殺害されたというもので英国人々から広く支持されている。 もう一つの説がゴードンオーストラリア領事館逃れようとしたところをアンサール発見され通り殺されたというものであるゴードンについてはアフマド生け捕り命じていたが、命令守られなかった。どちらにせよ、ゴードン遺体首を刎ねられてアフマド届けられ、体は井戸投げ込まれた。 救援隊ハルツーム到着したのはそのわずか2日後であったマフディー軍ハルツーム陥落の勢い乗って救援隊攻撃した撃退された。しかし任務失敗悟った救援隊エジプト撤収した

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陥落

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/24 06:48 UTC 版)

双城総管府」の記事における「陥落」の解説

双城総管府陥落は1356年恭愍王5年)に始まった枢密院副使だった東北兵馬使となって恭愍王から双城総管府攻略の命を受け、大護軍貢夫甫、宗簿令金元鳳江陵道存撫使李仁任らとともに出征した。この時、趙暉の曽孫である総管・趙小生千戸・卓都卿は死に物狂い反撃したが、趙暉の孫である趙暾と李子春彼の息子李成桂内部高麗軍内通して双城総管府城門開いた双城総管府陥落し総管・趙小生逃げだした。 以後和州牧を設置して残り双城総管府管轄し地域を収復した双城総管府陥落の手引を行なった李子春家系は、先祖代々モンゴルダルガチ千戸長という高位高官地位にあったが、このとき高麗寝返った新たに高麗王の臣下となり、東北兵馬使となった双城総管府初代総管だった趙暉の子孫である趙暾も、双城総管府陥落に積極的に協力して功を立て先祖の裏切りを清算し新たに高麗中央政界に進出した。以後、趙暾は李氏朝鮮建国にも関与して開国功臣にまで至った李成桂が後に太宗嫌って咸興発ってしまったのも、彼の出身地がこの地域だったからである。

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陥落

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 18:27 UTC 版)

広州の戦い (1857年)」の記事における「陥落」の解説

1857年12月29日2日連続砲撃され広州官署壊滅状態になった午前の間に、広州の壁は突き破られ:p.4-5 。当時広州市内の通り逃げてきた市民混雑していた:176連合軍15人が死亡しただけの被害広州占領なしとげた:p.4-5。連合軍市内頂点観音山占拠したことになった:951858年1月5日イギリス軍広州入って葉名琛捜索した葉名琛は左副都統署の第五院で発見され捕らえられた:176-177。直後インドコルカタ流された。

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陥落

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 15:29 UTC 版)

スアンロクの戦い」の記事における「陥落」の解説

4月15日北ベトナム軍はスアンロクへの砲撃中止しビエンホアへの大規模な砲撃開始した1日中継続的に続けられ砲撃により、ビエンホア南ベトナム第3空軍師団では全ての航空作戦中止する事を余儀なくされた。スアンロク守備隊への航空支援任務はトラノクの南ベトナム第4空軍師団引き継がれた。同日北ベトナム軍の第6歩兵師団と第95B歩兵連隊はスアンロク西部にて南ベトナム軍の第52タスクフォースと第13装甲中隊撃破した4月16日から17日にかけて、北ベトナム軍第6歩兵師団と第95B歩兵連隊はさらに進出し、ダウジアイの奪還試みた南ベトナム軍第8タスクフォース第3装甲旅団撃破したまた、スアンロクに展開する南ベトナム軍43、第48歩兵連隊、第1空旅団なども北ベトナム軍による側面攻撃受けて大きな被害受けた。 これらの攻撃により、ダウジアイ及び全ての主要道路が北ベトナム軍支配下置かれ、スアンロクの南ベトナム軍第18師団は完全に孤立し18日までに北ベトナム軍第4軍団包囲された。4月19日南ベトナム軍参謀本部レ・ミン・ダオ将軍に対して第18師団始めとする各部隊脱出、および他の拠点における抗戦続行命じた。この移動命令によれば第18師団にはビエンホア守備任務与えられていた。4月20日大雨の中でおよそ200両の軍用車両用いた南ベトナム軍将兵およびスアンロク住民脱出始まった4月21日までに最後守備部隊であった南ベトナム軍1空旅団脱出し、スアンロク市街中央は完全に放棄された。同日午前4時までに、スオイ・カ村にて第3および第1空旅団北ベトナム軍によって壊滅させられる。こうしてスアンロクは北ベトナム軍支配下置かれサイゴン侵攻阻むものは皆無となったのである

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陥落

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 03:28 UTC 版)

シュラクサイ包囲戦 (紀元前214年-紀元前212年)」の記事における「陥落」の解説

ローマの攻撃撃退したシュラクサイ自信過剰となった紀元前212年ローマシュラクサイ市民アルテミス神の祝祭参加し防御手薄になるとの情報得たシュラクサイ二重の城壁囲まれていたが、少数ローマ兵が暗闇まぎれて外郭城壁梯子使って突破し直ち援軍招きいれたため、外郭部はローマ軍の手落ちた。しかし、内郭依然として堅牢であったアルキメデス殺害されとされるのは、このときである。 マルケッルスは、高名な数学者であり、防衛兵器発明家であったアルキメデス殺さないように命令していた。アルキメデスはこのとき既に78歳前後であったが、ローマ軍侵入してきた後で研究続けていた。ローマ兵が家にやってきて彼の研究邪魔すると、アルキメデスはこれに対して強く抗議し退去求めた。この兵士は、それが誰だかを知らずその場アルキメデス殺害した(あるいはローマ軍苦しめた兵器発明家知っていたのかもしれない)。 ローマ外郭支配下においたものの、シュラクサイ市民内郭退避して抵抗続けた。しかし内郭面積小さくローマ外部からの補給を完全に遮断することができた。8ヶ月経過した頃、場内では飢餓苦しみ始まりローマとの講和議論されるようになった。モエリスカスという名の指導者一人ローマ内通しアレトゥーサの泉近くローマ軍招き入れ陽動攻撃行っている間に城門開けた。親ローマ地区衛兵を置き、マルケッルスシュラクサイ略奪許した長期攻城戦苦戦していたローマ兵は市内暴れ周り多くシュラクサイ市民殺害し、また生き残った市民の殆どを奴隷とした。シュラクサイは完全に略奪され破壊された。

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陥落

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 19:04 UTC 版)

ホッラムシャフル解放戦」の記事における「陥落」の解説

1980年10月6日英国BBCホッラムシャフル陥落した報じた。しかし、イラン事実ではないと否定、まだ市内一部では抵抗続いていた。10月10日イラク軍は同市の東25km地点においてカールーン川渡河し、迂回攻撃実施。これにより同市は孤立する格好となった10月24日激戦の末ホッラムシャッフルは陥落した

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陥落

出典:『Wiktionary』 (2021/11/07 09:06 UTC 版)

この単語漢字
かん
常用漢字
らく
第三学年

発音(?)

か↗んらく

名詞

(かんらく)

  1. 落ち込むこと。
  2. (軍事) 城や都市攻め落とされること。
  3. 今まで保っていた地位順位下がること。

動詞

活用


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