収束
「収束」とは・「収束」の意味
「収束(しゅうそく)」とは、国語としては「集めて束ねること」や「まとまって収まりがつくこと」といった意味を持つ。多様な意味合いを持つ語で、数学や海洋学などさまざまなジャンルで広く用いられている。収束は「終息(しゅうそく)」や「集束(しゅうそく)」との使い間違いなどで誤用が目立つ語だ。使い方には注意が必要である。「収束」の主となる意味は、まとまって収まりがつくことである。これは、分裂していたものや、混乱によって勝手な行動を取るようになったものが、一所に集まることだ。収束の例としては「秘められた力を解放するだけでなく、それを自分の意思で収束できるようになること。これが重要だ」「事態は収束へと向かい、やがては穏やかな終焉にたどり着くだろう」「この事件をきっかけにその男が現れることは一切なくなった。事件は犯人が不明のまま収束したのだった。」のようなものが挙げられる。
「まとまって収まりがつくこと」を意味する収束は、誤用が多い。例えば、「感染症にようやくしゅうそくの目途が立った」と言ったとき、この「しゅうそく」は「収束」と「終息」のどちらを用いるべきなのだろうか。収束は「収(おさ-まる)」と「束(たば-ねる)」という、物事をまとめる意味を持った2つの語が結びついてできた言葉だ。そのため、状態がまとまる様子、あるいは一定の形に収まる様子をニュアンスとして持つ。
対して終息は「終(お-わる)」と「息(や-む)」という2つの言葉が結びついている。言葉が持つ印象通りに「(物事が)やむこと、終わること」あるいは「絶えること」を終息は示す。つまりは、完全に終わることを表す言葉だ。「感染症にようやくしゅうそくの目途が立った」とある場合、収束と終息のどちらをあてるべきかは「しゅうそく」が何を指すかで考えるとよい。
「感染状況が安定した」あるいは「ほぼ事態がおさまりつつある」というなら「収束」が適しているだろう。もし、「感染症を完全に撲滅した」もしくは「もはや問題とならない状況になった」というなら「終息」がふさわしい。終息の例文には「スペイン国内における戦闘が全面的に終息したのはその年の末のことだった」「起訴猶予となり事件は終息した」などが考えられる。これらを「収束」とすると「すっかり終わった」というニュアンスが崩れてしまう。誤用しないように注意しなければならない。
収束は「集束」との使い分けにも注意がいる。ただし「終息」とは違い、どちらを使っても誤りとはいえないことも多い。集束は「(光線が)1点に集まる様子」を意味する言葉で、収束と意味を同じにする部分がある。例えば「集束ビーム」という言葉は、光を集めて一点に絞りビーム状にしたものを指す。これは「収束ビーム」としても誤りではない。しかし、集束には「おさまりがつく」といった意味合いはない。上述の「感染症にようやくしゅうそくの目途が立った」の「しゅうそく」に「集束」を入れると誤用と捉えられるだろう。
数学的意味での収束は、主に3つの意味がある。1つは数列における収束である。無限数列が特定の値に近づくことを収束と呼ぶ。無限数列とは、数列の項が無限に並んでいる数列のことを意味する。無限数列{an}において、添数の「n」が限りなく増大するとする。anが特定の値αに近づくのであれば、{an}はαに限りなく近づく。これを収束すると言う。例えば、{1/n}の場合(つまりは1,1/2,1/3,1/4,1/5,……,1/nとなる数列)、nを限りなく増大させると、第n項である「1/n」は限りなく「0」に近づく。
2つ目は関数値の収束である。実変数の関数f(x)においてxがaに限りなく近づくとき、f(x)は値αに向かって限りなく近づく。このように、xの変動により関数f(x)がαへと近づいていく状態を収束といい、lim[x→a] f(x) = αと表せる。αはxがaに近づくときの極限値という。
3つ目は関数列の収束である。関数列とは規則性を持って順番に並べられた関数の列を指す。ある集団D上に、任意のxによる関数列f1(x), f2(x), ……, fn(x)が存在するとする。数列{fn(x)}が常に任意の値へと近づいていくなら、その極限値はf(x)と表せる(極限関数)。このとき、前述の関数列はf(x)と近づていく。この状態を収束と呼ぶ。関数f(x)へと近づく状態は、lim[n→∞] fn(x) = f(x)で表せる。
また、光が集まり一点に集まる様を指して「収束」と呼ぶ。「集束」とも書く。光線は屈曲レンズを用いることで、屈折させ、一定の場所に集めることができる。これが収束である。光の収束には、中央が膨らんだ凸型の屈曲レンズを使う。収束させた光が通過する収束点を焦点と呼ぶ。光の収束はさまざまなものに応用されている。虫眼鏡の集光による点火は、収束のわかりやすい例といえるだろう。写真のフィルムは外部からの光を収束させ、フィルムに感光させることで像を焼き付ける仕組みだ。このほかにもレーザーやホログラフィなどさまざまな応用例が光の収束には存在している。
気象学や海洋学など流体を扱う学問では、流体が一点に集まる様子を指して「収束」が使われている。例えば気象学においては、気圧などによって生まれた気流が、一点に集まる様子を指して収束と呼ぶ。風が周囲から集まってくる様子を「方向収束」という。方向収束が感じやすい状態は台風であろう。台風は中心部に向かって地上付近の風を巻き込む。この中心部に向かって風が集まる状態が方向集束だ。前方の風が遅く後方が速いとき、一点に気流が集まる状態が起きる。これを「速度収縮」と呼ぶ。偏西風で起きる気圧の谷の西側などで観測できるだろう。
流体における収束は一点を過ぎ去ったあとは、必ず拡散に転じる。台風は低気圧の周辺から風が中央に向かって集まり収束した後、集まった気流は行き場を失い上昇気流に転じる。上空に行くほど収束する力は弱まり周囲へと気流は発散されていく。なお、上昇気流が最も強くなり、収束と発散が逆転していく辺りを非発散面と呼ぶ。
「収束」の熟語・言い回し
「収束」は、一般的に「収束した」「収束する」のように使う。熟語では、集まっていく状態を指したものが多い、例えば、光を一点に集める「収束レンズ」、超音波を照射する治療方法に使う「収束(集束)超音波」などである。また、数学の数列において、特定の項が任意の値へと近似となる様を表す「数列収束」のように、近づいていく様子を表している熟語も少なくない。条件付き収束とは
経済仮説の1つである。経済学では、第二次世界大戦以降の経済成長を説明するにあたって、ソロー・スワンモデルが広く用いられてきた。これは、日本の戦後復興や先進国と途上国の経済格差を理解する上で、非常に有用で強力なモデルである。しかし、1980年以降、経済学で内生的成長論が唱えられるようになった後の実証研究において、ソロー・スワンモデルから導き出される結論は「無条件収束(Unconditional Convergence)」ではないとの主張が起きるようになった。
その中心人物であるマクロ経済学者ロバート・バロー(Robert Joseph Barro)は、すべての経済が同様の均斉成長へと徐々にたどり着くわけではなく、貯蓄率等の変数によって決まる各国それぞれにおける定常状態に到達する、という仮説を主張した。これが「条件付き収束仮説(条件付き収束)」である。バローは研究の結果、アメリカの州別データや日本の県別データにおいて、条件付き収束仮説が確認できたことを報告した。なお、バローは経済成長に大きな変化を与える変数として初等教育の水準を挙げている。
収束
収束とは、収束の意味
収束とは、日常生活においては混乱していた物事がいったん収まるという意味。収束の収は、ものごと決着すること、ある範囲内に入りきることといった意味を持ち、束は、たばねる、ひとまとめにするといった意味を持つ。英語では convergence と表現する。なお、高校数学などで学ぶ数列における収束は、一定の値に限りなく近づくという意味である。新型コロナウィルス感染症における収束とは
新型コロナウィルス感染症における収束とは、新規感染者数が一定期間減少傾向にあり、医療機関が落ち着いた状態にある時である。一方、新型コロナウィルス感染症の終息といった場合には、ワクチンが開発され、新規感染者がほとんどいない状態を指す。しゅう‐そく〔シウ‐〕【収束】
収束
収斂
(収束 から転送)
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収斂(収㪘、収れん、しゅうれん)または収束(しゅうそく)(en:convergence)とは、複数の物が互いに異なる性質・指標などを持っている状況から変更・移行を起こし、同質化・同等化・相似化(互いの性質等の差を無くす方向)が進むこと。散布的に位置していた複数の物を一箇所に集める(集まっていく)こと。一般的に、広がっている何かが一点に集まる(集める)こと。
- 1 収斂とは
- 2 収斂の概要
収束
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格子幅を限りなく0に近づけたときに、離散化方程式の解が元の微分方程式の厳密解に収束することである。数値解析をするときに求められる正しい解とは、この意味での収束解のことである。
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収束
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日本が世界貿易へ復帰するためにはインフレ抑制と財政赤字の健全化が必要であった。1948年12月、アメリカ合衆国政府がGHQを通じて経済安定9原則を示し、以後、総需要抑制政策がインフレ対策の中心となっていった。経済安定を達するため、1949年2月にデトロイト銀行頭取のジョゼフ・ドッジがGHQ経済顧問として日本に派遣され、ドッジ・ラインと呼ばれる一連の経済政策を進めたことでインフレ要因は根絶されたが、次いで日本経済はデフレに転じた(安定恐慌)。 また、復金債の日銀引受けによって資金を調達したことがインフレ加速の主たる要因であったため、1949年以降その新規貸出しは停止された。 なお、1947年3月31日に定められた財政法第5条では、 すべて、公債の発行については、日本銀行にこれを引き受けさせ、又、借入金の借入については、日本銀行からこれを借り入れてはならない。但し、特別の事由がある場合において、国会の議決を経た金額の範囲内では、この限りでない。 と定められ、公債の日銀引き受けは原則禁止となっている(市中消化の原則)。
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詳細は「確率変数の収束」を参照 数理統計学の重要なテーマは、例えば大数の法則や中心極限定理のように、ある確率変数の特定の列の収束結果を得ることである。 確率変数列 (Xn) を確率変数 X に収束させる方法は様々なものがある。詳細は確率変数の収束で説明する。
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収束
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上記のように、ケカビ目の分類体系において、この科は長く重要な位置を占めた。ところが、分子系統などの情報が集まるにつれ、上記のような無性生殖器官および有性生殖器官の形態による分類体系が真の系統を反映していないことが明らかになった。そのため大規模な体系の見直しが行われている。そんな中、エダケカビがケカビ科入りするという説が浮上した。そうなると、エダケカビ科そのものが存在しなくなる。2013年でもこのような体系が提唱されている。今後の変動はあるかもしれないが、この科の名は消える可能性が大きい。
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収束
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/25 06:55 UTC 版)
論争は共産党の事実上の機関紙である「マルクス主義」の終刊によって一応終結した。しかし、土地所有関係、小作料問題で論争が交わされていた。また、共産党は1931年に「政治テーゼ(草案)」を発表し、その内容は基本的に労農派と一致するに至った。 1932年、三十二年テーゼが発表され、1931年発表の草案は廃棄され、日本共産党は二段階革命論堅持を確認した。論争は日本資本主義論争として引き継がれ、講座派対労農派として引き継がれることになる。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 05:49 UTC 版)
数学の用語。「極限」を参照 気象学の用語。「収束帯 (気象)」を参照 水中音響学の用語。「収束帯 (音波)」を参照 地質学の用語。「収束型境界」を参照
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収束
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 20:21 UTC 版)
本節の目標は、位相空間上での収束概念を定義し、収束概念によってこれまで述べてきた様々な概念を捉え直す事にある。位相空間における収束概念は、距離空間における点列の収束概念を適切に修正する事により得られる: 定義 (距離空間における点列の収束) ― ( X , d ) {\displaystyle (X,d)} を距離空間とする。Xの点列 ( x n ) n ∈ N {\displaystyle (x_{n})_{n\in \mathbb {N} }} がXの点xに収束するとは以下が成立する事を言う: ∀ ε > 0 ∃ n 0 ∈ N ∀ n > n 0 : x n ∈ B ε ( x ) {\displaystyle \forall \varepsilon >0\exists n_{0}\in \mathbb {N} \forall n>n_{0}~:~x_{n}\in B_{\varepsilon }(x)} ここで、 B ε ( x ) = { y ∈ X | d ( y , x ) < ε } {\displaystyle B_{\varepsilon }(x)=\{y\in X|d(y,x)<\varepsilon \}} である。 位相空間における収束を定義するにあたり、上述の距離空間における収束の定義に2つの変更を行う: ε-近傍 B ε ( x ) {\displaystyle B_{\varepsilon }(x)} の代わりに一般の近傍を用いる。 点列の概念を一般化した有向点族の概念を導入し、有向点族の収束を定義する。 1番目の変更を行うのは、位相空間には距離の概念がないので、そもそもε-近傍を定義できないからである。一方2番目の変更を行うのは、点列の収束概念だけでは位相空間の諸概念を定式化するのに不十分だからである。たとえば距離空間の場合には連続性の概念は lim n → ∞ f ( x n ) = f ( lim n → ∞ x n ) {\displaystyle \lim _{n\to \infty }f(x_{n})=f(\lim _{n\to \infty }x_{n})} が収束する任意の点列に対して成り立つ事により定式化できるが、一般の位相空間の場合は「任意の点列」ではなく「任意の有向点族」に対してこれと類似の性質が成り立つ事により連続性を定義する必要がある。 なぜなら点列の場合は添字集合が可算なので、点列の概念で連続性を捉え切るには位相空間の方にも何らかの可算性を要求する必要があり(列型空間を参照)、一般の位相空間の連続性の概念を適切に定義するには点列の概念では不足だからである。 なお、位相空間上ではフィルターの収束という、もう一つの収束概念を定式化できる事が知られているものの、収束する有向点族と収束するフィルターとにはある種の対応関係がある事が知られている。詳細は有向点族#フィルターとの関係を参照。
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収束
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この事態を憂慮したのは、前関白で典仁親王の実弟(天皇からみて叔父)でもある鷹司輔平であった。輔平はこのままでは朝廷と幕府の全面対決を招いて典仁親王の身にも危険が及ぶと考え、定信に事の次第を告げて尊号を断念させる代わりに、典仁親王の待遇改善を求めた。定信は大政委任論を根拠に天皇に代わって幕府が公家を処分できると主張して中山愛親・正親町公明らの公家に処分を下し、また九州で活動していた勤皇家の高山彦九郎を処罰した。勤皇派の水戸徳川家が定信に賛成すると、輔平と後桜町上皇の説得を受けて天皇も渋々尊号一件から手を引いた。定信も典仁親王に1,000石の加増をする等の待遇改善策を行うことで尊号の代償とした。 だが「皇位についていない人間に皇号を贈る例」は後高倉院や後崇光院という先例が存在している。むろん碩学の定信も承知のことであり、これについては「承久の乱や正平の一統(南北朝の戦い)という非常事態が生んだ産物で、太平の世に挙げる先例ではない」と述べている。定信は寛政の改革によって幕藩体制の再建を進めていく中で、その思想的根幹である朱子学を保護して「寛政異学の禁」や「処士横議の禁」を打ち出していた。朱子学は儒教の中でも大義名分や主君への「忠」、「君臣の別」を重んじる学派であり、特に日本では本来儒教が徳目として最も重んじていた「孝」以上に重要視された。この問題は言うなれば「忠」と「孝」の衝突であり、陽明学や古学、尊王論などの反朱子学的な(反幕藩体制につながりかねない)動きを抑圧するために強硬策を採ったことも考えられるのである。 また、同時期に11代将軍・徳川家斉は、実父の一橋治済に対して「大御所」の尊号を贈ろうとしていたが、定信は朝廷に対して尊号を拒否している手前、将軍に対しても同様に拒否をせざるをえなくなった。定信にとって治済は、御三卿のひとりとして将軍位を狙える立場にあった自分を、白河藩へと放逐した政敵であり、治済が大御所として権力を掌握することに危機感を抱いていた。定信としては治済の大御所就任を阻止するためにも、典仁親王への太上天皇宣下を拒否すべき立場であった。しかしこれにより家斉の不興を買った定信は、後に失脚することとなる。 更に天明の京都大火後の内裏再建の際に、財政問題などを理由とする定信の反対論を押し切る形で朝廷が古式に則った内裏再建を行い、結果として幕府が莫大な出費をすることになったことも、定信の朝廷に対する不信感を強める一因になったと言われている。
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収束
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 00:55 UTC 版)
「量子力学の数学的定式化」の記事における「収束」の解説
C∞0(Ω)の元の列および S ( R d ) {\displaystyle {\mathcal {S}}(\mathbf {R} ^{d})} の元の列の収束性を定義する。 定義 ― 以下の2条件を満たす時、C∞0(Rd)の元の列{φn}はC∞0(Ω)の元φに収束するというF15(p103): nに依存しない有界閉集合K⊂Ωで、supp φn⊂Kが任意のnに対して成立するものが存在する。 任意のβ=(β1,…,βn)に対し、 s u p { | ∂ β ϕ n ( x ) − ∂ β ϕ ( x ) | : x ∈ K } → 0 {\displaystyle \mathrm {sup} \{|\partial ^{\beta }\phi _{n}(x)-\partial ^{\beta }\phi (x)|~:~x\in K\}\to 0} が成立する。 また以下の性質が満たされているとき、 S ( R d ) {\displaystyle {\mathcal {S}}(\mathbf {R} ^{d})} の元の列{ψn}は S ( R d ) {\displaystyle {\mathcal {S}}(\mathbf {R} ^{d})} の元ψに収束するという: 任意のα=(α1,...,αd)、β=(β1,...,βd)に対し、 ‖ ψ n − ψ ‖ α , β → 0 {\displaystyle \|\psi _{n}-\psi \|_{\alpha ,\beta }\to 0}
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/23 03:41 UTC 版)
ザンボアンガ危機ではMNLFとフィリピン政府の間で戦闘が発生し、MNLFはザンボアンガ市庁舎を占領し市庁舎に旗(英語版)を掲げたものの、同月末にMNLFの指導者Asamin Hussinheは、カサニャンガン地区(Kasanyangan)でとらわれた200人の人質のうち数人を解放し、その後ザンボアンガ市庁舎の開放も行った。2013年の9月28日にはすべての支配地域を失い、バンサモロ共和国は実体を持たなくなった。しかし、MNLFはバンサモロ共和国の独立の宣言を放棄していない。 一方で、フィリピンとモロ・イスラム解放戦線の間では和平プロセス(英語版)が進められ、イスラム教徒ミンダナオ自治地域よりも強力な自治政府をもつバンサモロ自治地域の発足を目指した。バンサモロ自治地域は2019年に発足した。
※この「収束」の解説は、「バンサモロ共和国」の解説の一部です。
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収束
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/22 04:25 UTC 版)
60mほどの高さの玄武岩の塊をめぐる国々の争いは、新聞などの媒体を賑わせた。島に旅行したものによって2つの小さな湖が発見され、またそばを通過する船員達にも観察された。伝えられるところによれば、ブルボン家の貴族たちは島の海岸に休日の行楽地を据えることを計画したらしい。しかし、島はすぐに水面下に沈んでしまったため、こういったアイデアが明かされることはなかった。1831年12月17日、政府は何の痕跡も残っていないと報告した。海山は劇的に現れたと同様に、劇的に消え、それに伴って紛争もなくなった
※この「収束」の解説は、「フェルディナンデア」の解説の一部です。
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収束
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 04:45 UTC 版)
収束は平常時に戻るための段階であり、原因の究明、緊急対応の不備の点検、対策の検討実施などからなる。
※この「収束」の解説は、「防災」の解説の一部です。
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収束
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 05:26 UTC 版)
引き続き拘束された人々については高等裁判所で審理が行われ、多くは無罪判決を受けた。1693年5月、収監者に対し大赦を宣言して事態は収束した。 裁判にも関与したジョン・ヘイル牧師は、死後に発表された手記の中で「我々は暗雲の中に道を見失った」と記している。
※この「収束」の解説は、「セイラム魔女裁判」の解説の一部です。
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収束(しゅうそく)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 03:11 UTC 版)
一局の将棋が終わりに近づくこと。寄せが最終段階に入って収まりをつけるというところから。
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収束
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 01:42 UTC 版)
英語で歌っている側からの一方的な批判だったこともあり、はっぴいえんどがアルバム『風街ろまん』で、ロックのメロディーに日本語の歌詞を乗せるという事に一応の成功を収めた頃には、論争らしき事態は沈静化していた。フラワー・トラベリン・バンドがカナダ経由で海外進出しアトランティック・レコードと契約するなどそれぞれが主張通り体現したことによる。 1972年12月、キャロルがデビューして、日本語英語チャンポン歌詞+矢沢永吉の「巻き舌唱法」で商業的な成功を収めると"日本語ロック論争"は、何語で歌うかは問題外になり、それまでのナンセンスな論争も、ロックの精神性云々を問う思想問答も一蹴された。この1972年以降の流れで「日本語でロックを歌うのはバカ」と言い放っていた鈴木ヒロミツのバンドザ・モップスも日本語詞の川内康範作詞の月光仮面や吉田拓郎作「たどりついたらいつも雨ふり」などカバーがヒット曲になる事態が起り(ここまでにモップスは阿波踊りを取入れ「いいじゃないか」という日本語を織り交ぜた英詞曲「御意見無用」や「パーティシペーション(参加)」と「迷子列車」という同じ曲で英詞と和詞というバージョンの実験を試みていた。)「新譜ジャーナル」の編集長を務めた鈴木勝生は、「日本語でうたう運動そのものが影を薄め、日本語でうたうのが当たり前という時代を迎えたのは1972年、(フォークの)吉田拓郎が「結婚しようよ」「旅の宿」の2曲の大ヒットした以降で、そのためか、1970年9月から東京日比谷野外音楽堂で年に2回開かれ多くのフォークとロックのアーティストを育てた“日本語のふぉーくとろっくのコンサート”も1972年5月で終了した」と論じている。 この時期のロック音楽呼称でニュー・ロックは、(実際は、レコード会社の宣伝文句「ニュー〜」の一つに過ぎなかった)、欧米のサイケデリック・ロック影響経てハード・ロック、カントリー・ロック、ロックンロールを指向するグループ、ソロ・アーティスト達に使われた。また「フォークとロックの確執」が存在し「西(関西)がフォーク、東(東京)は、ロックで、(はっぴいえんどは、)どっちつかずのコウモリ(と揶揄された)。」との細野の発言も残されており(「はっぴいえんど」項目参照)、こちらのわだかまり解消は、「岡林信康」の伴奏を「はっぴいえんど」が務めるなど歩み寄りは進んでいた。「日本語ロック論争」とは音楽指向の多様化が進む流れ手前時期にマス・メディアが増幅し顕著化させた出来事でもあった。
※この「収束」の解説は、「日本語ロック論争」の解説の一部です。
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収束
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 10:13 UTC 版)
全共闘は、各大学における各主要党派の連合体に一般学生が多数参加した形態であり、特定の思想・組織・目標があったわけでもなく、その経過の全貌、形態、評価は多数のものがある。当時街頭闘争を行っていた三派全学連(共産主義者同盟、革命的共産主義者同盟全国委員会、社青同解放派の全学連)や、それを支持した二次ブント・革共同その他の新左翼諸党派との関連も、活字化された記録が中心である。また、三派全学連と全共闘を混同すべきでない、とする当事者も存在する。 一般には、「1970年代に入り、新左翼諸党派間で内ゲバにより累計100人以上の殺人が発生したほか、連合赤軍によるリンチ事件およびあさま山荘事件や、日本赤軍によるよど号ハイジャック事件などの事件により、急進的な学生運動は急速に支持を失い、自然発生的な全共闘は急速に崩壊した」と言われる。しかし「どこの党派にせよ無党派運動にせよ、連合赤軍事件により動員力が減ったという史実は存在しない」との指摘 もある。 いずれにしても、「一気に発火した全共闘運動はまたたく間に鎮火した」。1969年9月5日に日比谷野外音楽堂(大音楽堂)において結成され、全国78大学、26,000人(主催者側発表)が参加した全国全共闘(東大全共闘の山本義隆が議長、日大全共闘の秋田明大が副議長)時点においては、具体的には中核派、社学同、学生解放戦線、学生インター、共学同、反帝学評、フロント、プロ学同の新左翼八党派の「実質的な党派共闘」あるいは「カンパニア組織」 となっていたという。一方、国会においては8月3日に佐藤内閣の下、最悪の場合、文部省の命令で大学全体の業務を休止することができるとする「大学の運営に関する臨時措置法」が成立した。これにより大学の自治を重視し自力解決を目指していた複数の大学構成員にも、大学がつぶれるのではないかという動揺が広がった。後期授業が始まる9月に入って、ほとんどの大学でバリケード解除のための機動隊が導入された。
※この「収束」の解説は、「全学共闘会議」の解説の一部です。
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「収束」の例文・使い方・用例・文例
- 私は地震が収束するのを待ったが、なかなか収まらなかった。
- この問題は収束した。
- 我々はこの問題が収束したと見なしてよいか?
- 私はこの事態が早く収束して欲しい。
- それは収束する。
- 私はその争いが収束する事を望む。
- その被害は収束する気配を見せていない。
- 大地震の発生から、応急対策の収束までの避難の流れです。
- 同地の混乱が収束するまでにはもうしばらくかかるだろう.
- 収束性の斜視があるさま
- 委員会は集会を収束した
- 中心点で、または、それの方へ収束させる
- 線は、この点で収束する
- 2つの収束レンズシステムを持つ軽い顕微鏡:対物レンズと接眼レンズ
- 両端が収束するやすり
- 安定恐慌という,インフレ収束時に生ずる恐慌
- 一つに収束する
- 光線を収束させる光学レンズ
- 電子レンズという,電子の流れを収束させる装置
- 変数の値が収束する
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品詞の分類
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