横浜正金銀行
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横浜正金銀行(よこはましょうきんぎんこう、英語: Yokohama Specie Bank)は、かつて存在した日本の特殊銀行。1880年(明治13年)に開設された国立銀行条例準拠の銀行で、外国為替システムが未確立だった当時、日本の不利益を軽減するよう現金(正金)で貿易決済を行なうことを主な業務としていた[2]。その名の通り神奈川県横浜市中区に本店を置いた。東京銀行(現在の三菱UFJ銀行)の前身とされる。
注釈
出典
- ^ 【9/1関東大震災】犠牲10万人以上 ”海底に眠る駅"が語る防災の大切さ【公式】日テレNEWS
- ^ 加太宏邦「注釈『ふらんす物語』:遊歩者荷風のリヨン」『法政大学多摩論集』第20巻、法政大学多摩論集編集委員会、2004年3月、199-271頁、doi:10.15002/00003148、ISSN 09112030、NAID 120000994070。
- ^ 荒井泰治 『銀行誌』 青梅堂、1888年 近代デジタルライブラリー
- ^ a b 横浜正金銀行条例(明治20年7月勅令第29号)。法規提要明治22年編中巻(1903年)、法制局[注釈 3]。
- ^ 『横浜正金銀行-世界三大為替銀行への道ー』神奈川県立歴史博物館、2004年
- ^ 大分県人士録、大分県人士録発行所、1914年。
- ^ 蕭一平、郭徳宏等、1993年。「中国抗日戦争全史」、第87章・日本的殖民経済掠奪与殖民文化。
- ^ インドシナ銀行名義で横浜正金銀行に開設された諸勘定に関する問題の解決に関する日本国政府とフランス共和国政府との間の議定書 昭和32年3月27日
- ^ 第33回国会 外務委員会 第20号 昭和34年12月17日「まず特別円という問題につきましては、戦時中当時の旧仏領インドシナを占領中の日本軍が、その軍の軍費を調達」「いたしまするために、日仏政府間で協定をいたしました。また旧正金銀行とインドシナ銀行との間に、これに基いて金融協定というものを締結いたしました。」「その結果、終戦の当時に」━━よくここのところを聞いておいていただきたいんです━━「その結果、終戦の当時にわが方の債務として残りましたものは、米ドル勘定で四十七万九千六百五十一ドル十九セントでございます。また特別円勘定といたしまして残りましたものが、十三億千五百二十七万五千八百十八円三銭、かくのごとく相なっております。」「米ドル勘定の債務の決済残り、特別円の債務の決済残り、これらはいろいろと勘考いたしまして、あらためてフランス側との間の話し合いによりまして、三十二年の三月二十七日に円貨十五億円とドル貨四十八万ドルをもってこれの決済をいたしたわけでございますから、」「戦時中、」━━ここも重要だと思う━━「戦時中、戦争以前からのいわゆる仏印の特別円問題というものは全部片がついた、こういうことに相なるわけでございます。それから三十三トンの金の価格がどうであるか、これの見合いのものは何の決済であったかというお尋ねがございましたが、」「これは、」「戦争前からの協定によりまして、こういう軍のピアストル貨の調達については、金で支払うという条項に基きまして、一九四一年の十一月六日以来、」「約十回にわたりまして軍費の調達」「それから」「ゴムの輸入代金」「そのほかに、昭和十七年末に、一般勘定と称するものがございまして、その残高も金で決済しなければならなかったわけであります。これらを合計いたしますると、」「三十三トンに相なるわけでございます。」と、こういう答弁なんでございます。これは日仏特別円決済に関する政府のわざわざ閣議を開いて統一した見解であります。」
- ^ "旧横浜正金銀行本店". 国指定史跡ガイド. コトバンクより2022年3月25日閲覧。
- ^ “建物のご紹介”. 神奈川県立歴史博物館. 2022年3月25日閲覧。
- 1 横浜正金銀行とは
- 2 横浜正金銀行の概要
- 3 歴代頭取
- 4 参考文献
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