ウイリアム・パトリック・キンセラ
ウイリアム・パトリック・キンセラ(William Patrick Kinsella, 1935年5月25日 - 2016年9月16日)は、カナダの小説家。
人物
1935年5月25日、カナダ・アルバータ州エドモントン出身[1]。キンセラの祖先はアイルランド人の血を引くため、キンセラはアイルランド系カナダ人である[2]。
キンセラはアイオワ大学、ヴィクトリア大学で文学を学び、学士号と修士号を取得[1][3]。またカルガリー大学で教授をしていた[4]。
1982年にキンセラが発表した小説『シューレス・ジョー』は、1989年にユニバーサル・ピクチャーズにより映画化され、ケヴィン・コスナー主演で『フィールド・オブ・ドリームス』という題名で世界各国で封切られた[5]。
1997年に交通事故に遭った影響で体調を崩した。これにより全ての執筆活動を停止することとなる[6]。
2016年9月19日、医師の幇助により死亡[4][1]。カナダの報道では、6月にカナダで成立したカナダでの安楽死法による希望死であったという[7]。81歳没。
主な作品の訳
- 『シューレス・ジョー』(1982年)
- 『アイオワ野球連盟』 永井淳訳(文藝春秋、1986年)
- 『野球引込線』 永井淳訳(文藝春秋、1992年)
- 『インディアン・ジョー フェンスポスト年代記』 永井淳訳(文藝春秋、1995年)
- 『マイ・フィールド・オブ・ドリームス~イチローとアメリカの物語~』(井口優子訳・構成、講談社、2002年)
脚注
- ^ a b c W.P. Kinsella ‘did things his way’: Author best known for Shoeless Joe novel opts for assisted death at 81 NATIONAL POST September 16, 2016
- ^ アイリッシュ・ダンスに民族音楽 トロント流セントパトリック・デーの楽しみ方 トロント観光局日本語公式ブログ
- ^ マイ・フィールド・オブ・ドリームス イチローとアメリカの物語 E-hon TOHAN CORPORATION
- ^ a b 作家・キンセラ氏安楽死 「フィールド・オブ・ドリームス」原作者 スポーツニッポン 2016年9月18日付
- ^ 「フィールド・オブ・ドリームス」の舞台を訪ねて サンケイスポーツ 2012年4月17日付
- ^ Car accident ends W.P. Kinsella's writing career The Carillon September, 1999. Volume 42, No. 05
- ^ カナダの作家、キンセラさん死去 自ら死を選択と報道 朝日新聞 2016年9月18日付
「W. P. Kinsella」の例文・使い方・用例・文例
- その切手には W. Trevor という人の署名がついている.
- 去るための口実を見つける以前に、彼女はついさきほど到着したところであろう − W.B.イェーツ
- 捕食性の動物−−初期の地質学におけるギャングである−W.E.スウィントン
- 原子式とすべての化合物、そこから創出可能である−W.V.クワイン
- 遊撃隊員の整った真ちゅうで取り付けられたカービン銃−F.V.W.メイスン
- ヨーロッパの陰謀による邪悪な計画に取りつかれた利己的で腹黒い国 −W.チャーチル
- 地面を血で染めた血生臭い復讐心でその協力者たちを追いかけた ? G.W.ジョンソン
- 事実と一致する仮説を一時的に受け入れること−J.W.クラッチ
- 問題は、非常に用心深い方法でのみ取り扱われた−W.S.ホワイト
- 唇…死の色で鉛色の−メアリー・W.シェリー
- 話好きな人で、そして、彼女が知っていたすべてを素早く話した−W.M.Thackeray
- すべての人類に同情する高貴な情にもろい生物−W.M.サッカレー
- 別の場所に住んでいたため、守られた−W.H.ハドソン
- 彼の環境に非常に敏感な少年−W.A.ホワイト
- 非現実的で影の多い世界の奇妙な空想−W.A.バトラー
- たとえ、彼らが好きでなかったとしても、彼は礼儀正しくあるべきだった−W.S.モーガン
- 大理石の女性像−−冷たいが抽象的な美しさを描いた理想の媒体−C.W.カニンハム
- 予期せぬ当惑させる発達系統−H.W.Glidden
- とても自然と親密なこの女の子−W.H.ハドソン
- 彼女の話は、非常に文学的ではなかった−W.D.オーエルス
- W. P. Kinsellaのページへのリンク