TORA TORA TORA
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「TORA TORA TORA」 | ||||||||
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MAX の シングル | ||||||||
初出アルバム『MAXIMUM』 | ||||||||
B面 | SO MUCH IN LOVE | |||||||
リリース | ||||||||
規格 | CD | |||||||
ジャンル | J-POP、J-EURO | |||||||
レーベル | avex trax | |||||||
作詞・作曲 | 鈴木計見、TIGER BOYS | |||||||
チャート最高順位 | ||||||||
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MAX シングル 年表 | ||||||||
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「TORA TORA TORA」(トラ・トラ・トラ)は、MAXの3枚目のシングルである。1996年2月21日発売。
概要
- 表題曲「TORA TORA TORA」は、Dominoの同名同曲(「Tora Tora Tora」)のカバー。
- カップリング曲「SO MUCH IN LOVE」は、Queen Of Timesの同名同曲(「So Much In Love」)のカバー。
- チャート順位・売上共に前作を大きく上回り、MAXを世に知らしめた楽曲。メディアでのMAX紹介時等で代表曲の中に数えられる。
- 1996年3月1日ミュージックステーションに初出演。
- プロモーション用に制作された非売品のアナログ盤にCD未発売のリミックス「TORA TORA TORA (RANDOMIZER MIX)」が収録されている。
- 28thシングル「ニライカナイ」のカップリング曲として、デビュー10周年を記念したセルフカバー「TORA TORA TORA 2005」が収録されている。
- カバーアルバム「BE MAX」のCDのみにはボーナストラックとして「TORA TORA TORA (15th Anniversary Mix)」が収録されている。「TORA TORA TORA (2010 YEAR OF THE TIGER REMIX)」のエクステンデッド・バージョン。
- 33rdシングル「Tacata'」の3曲目に「TORA TORA TORA -world's end dance floor remix- 」が収録されている。
- 前作・前々作が順位・売上共に芳しくなかったことから、「TORA TORA TORA」を事実上のデビュー曲と主張していた時期がある。(音楽番組『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』に初出演の際には、「一応これが3曲目です」と注釈を付けている。)
- この曲を発売する前、所属事務所の社長から、「この曲が売れなかったら沖縄に帰す。これが最後のチャンスだ」と言われた経緯もある[1]。
収録曲
全曲 作詞:鈴木計見 / 作曲:TIGER BOYS
- TORA TORA TORA
- 編曲:TIGER BOYS
- SO MUCH IN LOVE
- 編曲:星野靖彦
- TORA TORA TORA (ORIGINAL KARAOKE)
- SO MUCH IN LOVE (ORIGINAL KARAOKE)
タイアップ
- TORA TORA TORA
- テレビ朝日系「ぱふぉぱふぉ」オープニングテーマ
収録アルバム
- TORA TORA TORA
- MAXIMUM (#3)
- MAXIMUM COLLECTION (Disc-1 #1)
- PRECIOUS COLLECTION 1995-2002 (Disc-1 #3)
- MAXIMUM PERFECT BEST (Disc-2 #1)
- NEW EDITION 〜MAXIMUM HITS〜 (#9, DJ PLANET MIX)
- BE MAX (#15, 15th Anniversary Mix)
- NEW EDITION II 〜MAXIMUM HITS〜 (#4, 2019 Mix)
- 寅 寅 寅(「TORA TORA TORA」のオリジナルバージョンと過去に発表されたリミックスバージョンを収録した配信限定ミニアルバム。)
- SO MUCH IN LOVE
- MAXIMUM (#4)
脚注
- ^ “MAX 2作連続不発…「TORA TORA TORA」売れなければ“解散”だった「沖縄に帰すって」”. スポーツニッポン (2023年10月23日). 2023年10月23日閲覧。
トラ・トラ・トラ!
(TORA_TORA_TORA から転送)
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『トラ・トラ・トラ!』(Tora! Tora! Tora!)は、1970年に公開されたアメリカの戦争映画である。
注釈
- ^ 黒澤明は脚本執筆のため阿川弘之の『山本五十六』からも多くのアイデアを得たが、後に黒澤が降板したことから阿川の名前がクレジットに入ることはなかった
- ^ ただし、九九式艦上爆撃機による急降下爆撃は再現できず、史実とは異なる水平爆撃による攻撃シーンとなった。急降下爆撃は急降下後に機体を急激に引き起こす必要があるため、ダイブブレーキ等の専用装備と高い機体強度を要求する機動であり、改造機体では機体強度や構造的に無理がある。また急降下爆撃は第二次世界大戦を境に廃れた攻撃方法であり、(たとえ撮影用の真似事であっても)こなせる技量のある操縦士は、撮影当時は既に存在しなかった。また、実際に真珠湾の米軍施設上でロケを行った関係上、危険防止の観点から投下した模擬爆弾もFRP製のハリボテ(投下しても実物のようにスムーズな弾道を描かない)を使用せざるを得ず、リアリティの点でスタッフには悔いが残ったという。
- ^ エセックス級航空母艦のうちの1隻で、ミッドウェー海戦で戦没した先代(CV-5)とは異なる。
- ^ 実際の赤城の艦橋は左舷側にある。『パールハーバー』(2001年)では同じくエセックス級空母のレキシントン(AVT-16)(ヨークタウンと同じく名前を引き継いだ、空母としては二代目)の飛行甲板の艦首側から艦尾側にかけて、つまり通常とは逆方向に強引に発艦し、日本空母独特の左舷艦橋を再現している。
- ^ 艦船セットの製作と撮影の顛末については以下を参照[71][72]。
- ^ 飛行甲板上に蒸気吹出口を設け、放射状に描かれた線により甲板上の風向きを視認するための標識
- ^ 正式には「烹炊員」と呼ばれる主計科所属の兵員。但し渥美清は艦内帽でなくコック帽をかぶっており、また二人しかいないため、「割烹」と呼ばれる士官食を作る軍属(民間人だがその職業のために軍艦に乗っている)のコックであると思われる。
出典
- ^ a b 訳書新版は『トラ トラ トラ 太平洋戦争はこうして始まった』(千早正隆 訳、並木書房、2001年)
- ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』キネマ旬報社〈キネマ旬報ムック〉、2012年5月、285頁。ISBN 978-4-873-76755-0。
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- ^ 「タウン 映画 『トラ・トラ・トラ!』」『週刊新潮』1970年10月10日号、新潮社、14頁。
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- ^ 黒澤明vs.ハリウッド 2006, p. 74.
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- ^ 黒澤明vs.ハリウッド 2006, p. 144.
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- ^ a b c “久々古巣でメガホン 舛田監督 ヤクザにも日活の味 『トラ……』貴重な経験 大幹部殴り込み 熱こめる渡哲也”. 報知新聞 (報知新聞社): p. 14. (1969年8月1日)
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- ^ 当日は山村の59歳の誕生日。
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- ^ “映画『トラ・トラ・トラ』 米軍事委が公聴会 空母使用 議会で問題化”. 毎日新聞 (毎日新聞社): p. 17. (1969年6月19日)
- ^ a b “"トラ・トラ・トラ"紛争解決 米下院軍事小委 艦艇使用を認める”. 毎日新聞 (毎日新聞社): p. 10. (1969年12月11日)
- ^ “スポット”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社): p. 13. (1969年10月20日)
- ^ “日本側の撮影シーンは5分の2『トラ・トラ・トラ!』編集立ち合いの舛田監督帰る”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社): p. 15. (1969年10月30日)
- ^ “映画『トラ・トラ・トラ』(日米合作) 戦闘場面圧巻だが…思想性に欠ける”. 毎日新聞夕刊 (毎日新聞社): p. 9. (1970年10月10日)
- ^ 『三島由紀夫映画論集成』ワイズ出版
- ^ 実松譲「第二部 第四章 太平洋情報戦線異状あり 人類最大のドラマ」『真珠湾までの365日 真珠湾攻撃 その背景と謀略』光人社〈NF文庫〉、1995年7月1日(原著1969年12月)、373-374頁。ISBN 978-4769820932。
固有名詞の分類
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